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謎が多すぎて面白い! 「善徳女王」「天明王女」「善花姫」の三姉妹(?)

  月曜日の夕方の「善徳女王」はもうすぐ最終回を迎えます、そしてまた再び、毎 月~木曜の夕方に「薯童謠(ソドンヨ)」が始まったばかり。

  大昔に書きましたが、この「薯童謠(ソドンヨ)」の善花(ソンファ)姫は、善徳女王の末の妹と一部の記録ではされている人物です。
でもこの三姉妹の記録は実に様々で、実に面白い、その記録がある書物ごとで、こんなにも記録が異なる姉妹の存在は実に不思議だ。

  まず、父王の真平王の後をついだ「善徳女王」については、" 三国史記 "では真平王の長女として名前が記されているものの、" 花郎世記 "という記録では次女となっている。
ドラマ「善徳女王」は、全てがどうやらこの" 花郎世記 "をベースに、ドラマの脚本が書かれ展開していたようだ。
  そして、ドラマ「善徳女王」では双子の姉とされていた「天明王女」は、その真逆の記述がなされている。
" 三国史記 "では次女、" 花郎世記 "では長女となっている。

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  まあこの辺はどうってことはない、大昔の歴史ではよくあること、ましてや女性では細かな記載も無くこんがらがって伝わることもよくあることだから。

  ただ、この二人については、天明王女は息子の「金春秋(キム・チュンチュ)を産んだ後に亡くなっているだろうことは推察できるようだ。
王位を善徳女王が継いだことや、その善徳女王の亡き後には、従姉妹の「真徳女王」が継いでいることから、そう考えられても不思議ではない気がする。
天明王女が生きていれば、カリスマ性を持った善徳女王の後継者には、その姉妹である天明王女が真っ先に候補に挙がってもおかしくはないのだから。

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  そんなわけで、上の二人の姉妹は多少生まれの順があやふやになっているとはいえ、片や王位を継承し、片や後に国王となる金春秋の生母ということで、実際に存在していた姉妹なんだろうってことは、こんな素人でも推察ができる。

  分からないのが、三女の「善花姫」だ。
この三女の存在は、高麗の時代に書かれた" 三国遺事 "にだけ登場してくる。
この" 三国遺事 "は、上の善徳女王と天明王女については、真平王の娘と記されているだけで、長女だの次女だのという記述は無いのに、なぜかこの善花姫についてだけは、〝真平王の三番目の娘〟と記されているらしい。
  これからして不思議だ、「三国史記」と「三国遺事」は同じ高麗時代に書かれたものなのに、片方では存在する人物が、片方では存在していないということになり、しかも一方にははっきりと〝真平王の三番目の娘〟と書かれているのが、どうも怪しい(?)
ましてや一番古い記録書である「花郎世記」には影も形もない、この記録自体が本物・偽者の議論の的になっているものなので、真偽は定かでないとは言え、仮にも〝花郎〟と名の付く記録で王女様を記録から抹殺していることになる。
敵国の百済に嫁いだからと考えれば考えられなくもないが、やっぱり伝説上の架空の人物という気がしてならない。
ドラマ「善徳女王」はこの「花郎世記」をベースにしているのだから、当然三女の善花姫の存在が無かったわけです。

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  だけどですよ、もしこの「善花姫」が架空の人物となったら、現在放送中の「階伯(ケベク)」の義慈(ウィジャ)こと、後の義慈王はどこから湧いてきた(?)ってことになってしまう。

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  ところで、こうした歴史書の中で、もう一人なんやら出生やらが伝説に彩られてよく分からない人物がいるんですよ。
それが、義慈(ウィジャ)の父親である「武王」です。
法王の息子であったり、寡婦が産み落とした子であったり、龍の化身が産ませた子であったり様々(?)

  早い話が義慈王の両親ともが、伝説に色塗りされた、とってもわけが分からない人物なんですよねぇ。
つまり、あの有名な「薯童謠(ソドンヨ)」の主の二人ともが、歴史的な伝説の中で脚色されている人物だってことです。

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  そこでおいらの結論、この「薯童謠(ソドンヨ)」を中心にした義慈王の両親の伝説は、義慈王が作り出したものではなかろうか(?)って思うわけです。
正当な国王の後継者でなかった父親と、どこやらのわけの分からない女性との間で生まれたのが「義慈王」で、それを覆い隠すためにいろんな伝説を作り出した。
そう考えると、自分の母親にカリスマ性や悲劇性を持たせるために、新羅の王女で、父王と国境を越えた激しい恋に落ち、敵国である百済に嫁いで寂しさと苦労の中で「義慈王」を産んだ。
そうなりゃ血筋も敵国とはいえ王族の血統です、しかも激しい両親の愛の結晶として自分が存在しているわけですから… そしてそして、敵国の新羅の血を引きながらも、新羅と敵国として戦わなくてはならない…となったら、カリスマ性も民衆の同情心を得るにも充分じゃないですか(?) どうですかぁ???? おいらの想像は[わーい(嬉しい顔)]

  ちなみに、2009年に発見された 「彌勒寺址石塔」には、武王の妃は「沙宅(サテク)妃」の名前しか出てきてないそうです。

  ところで、ドラマ「階伯」の中で、ケベクに思いを寄せている「恩古(ウンゴ)」が義慈王の妃になってますが、ドラマの上ではどんないきさつでそうなるんでしょうね(?)、ちょっとこれからが楽しみです。

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