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ドラマ「王女の男」のモチーフには朝鮮時代の二つの〝都市伝説〟(?)

  〝都市伝説〟昔からこんな言葉がありましたっけ?
自分は最近になってよく耳にする言葉のひとつのような気がしていますが、人から人へコソコソッと言葉だけで伝わる風聞のようなもの、その真実は定かではない内容なのに、何か人から聞けばまたそれを誰かに伝えたくなるような話ってよくありますよね。
そこにはまったくの根拠もないのに、「こんなことがあり得るかも(?)」「こんなことがあったら面白いかも(?)」 そんな気持ちが作用して、中には元々の話しに尾ひれが付いたり、ちょっと加工が加えられたりしながらも、まるでそれが真実かのようにまことしやかに伝えられる話しというのはよくあるもので、なぜかこうした会話の中だけの世界には不思議な興味をそそられるものです。

  「ねえねえ、こんな話し知ってる?」 「おい、こんな噂があるけど知ってるか?」
もう誰から聞いた話かも分からないのに、どこまでが真実でどこからが創作なのかも知れないのに、「えーっ、知らなーい」 「うそー!本当に(?)」と、どんどん口頭で伝わる話、それが大きく広がり後々まで残れば過去の伝説となり、いつか忘れ去られていけば一時の都市伝説で終わる。

  いつの時代も、どこのお国でも、やはり人間の興味なんて変わりはないようで、その〝都市伝説〟の残された片鱗から生まれたドラマが「王女の男」のようです。


  朝鮮時代、世宗(セジョン)国王が以前から不安視していたものが、とうとう現実となってしまった「癸酉靖難(ケユジョンナン)」というクーデター。
その血の繋がった肉親どうしの権力争いの中で、巻き込まれてしまった多くの人間の血が流されました。
その中心となって命を落とすことになった人物が「キム・ジョンソ」でした。
  犠牲者となったキム・ジョンソには本妻との間に、キム・スンギュ、キム・スンビョク、キム・スンユという三人の息子がいたというのが記録に残っています。
ただ、上の二人はこのクーデターの犠牲になった記録が残っていますが、三男のキム・スンユについては「癸酉靖難(ケユジョンナン)」当時の記録が無いようです。

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  一方のクーデターの首謀者である「首陽大君(スヤンテグン)」には、不思議なことに記録にある娘「懿淑(ウィスク)公主」、ドラマの中では次女のイ・セジョンの上に、記録にはない長女がいた可能性が見え隠れしています。
『世宗実録112巻』という記録によると、 1446年当時、首陽大君は「1男2女」を授かっていたというようなことが書かれているそうで、それが「宜逞(ウィリョン)公主」、ドラマの主人公のイ・セリョンの存在ということになります。

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  犠牲者の方の三男「キム・スンユ」には犠牲になったという記録がなく、一方の首謀者の方には、きちんと記録には残されていない長女の存在があった可能性がある、ここが都市伝説を生むキーポイントとなりそうです。

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  さて、このクーデターの犠牲となったキム・ジョンソ一族の本貫・順天(スンチョン)には『順天金氏大同譜(スンチョン・キムシ・デドンボ)』というものが残されているそうです。
その中にあった民衆の間で広まった噂話のようなものを集め、後にひとつにまとめあげたもの、言ってみれば〝都市伝説集〟のような「童子民説」の中に、こんなひとつの話しが残されているようです。

  『おみゃあさん、知っとりゃあす? 首陽大君様の上の娘さんと、キム・ジョンソ様の三男坊が、あのクーデターの後でかろうじて生き残りゃあてよう、首陽大君様の追っ手を避けて逃げのびてござったんだと、そんで南漢山の麓あたりでひっそり身分を隠しながら暮らしてみえたらしいで。
そんでもよう、生活の苦労は多少しやあたものの、二人で死ぬまで仲よう幸せに暮らしとりゃあたげなに』
 『ほんとにきゃぁ?そりゃよかったなも、悲惨な事件だったで、ちょこっとでも幸せに暮らしてみえた方がおりゃあたなら、そりゃ、ええ話しだわなも』

  読みづらい?すいません_(._.)_ 風聞の都市伝説らしく(?)名古屋弁の会話風に脚色してみました(笑)
でもお解かりですね? きちんとした記録には残されていないドラマの基本となるような話が、順天の〝都市伝説〟として、過去にまことしやかに語り継がれていたということになります。

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  一方、似たような民衆の間で語り継がれていたものを書き綴った書物、『錦渓筆談(クムゲピルダム)』というものがあり、首陽大君の幻の長女が父親の野心に嫌気がさして、父娘の間がうまくいかなくなり、それを心配した母親が乳母と一緒に娘を遠くへ逃がしてかくまうことにした。
その先で偶然にも、「癸酉靖難(ケユジョンナン)」の混乱から逃げ延びてきたキム・ジョンソの孫という男性と出会い、縁を結んで洞窟のような場所で共に暮らしたというようなことが書かれているそうです。
そのキム・ジョンソの孫を三男のキム・スンユに置き換えれば……ということになります[手(チョキ)]
この『錦渓筆談』については多くのサイトで書かれていますし、ご存知の方も多いかもしれませんが、こちらのサイトの方がうまく解釈して解説されていますので、ご紹介しておきます、リンクしませんので、URLをコピーして貼り付けて飛んでください。
  
  http://韓国の歴史.com/oujyonootoko/%E7%8E%8B%E5%A5%B3%E3%81%AE%E7%94%B7%E3%81%AE%E5%8E%9F%E4%BD%9C%E3%81%AF%E9%8C%A6%E6%BA%AA%E7%AD%86%E8%AB%87%EF%BC%9F/

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  人の口から口へとまことしやかに伝わっていた二つの〝都市伝説〟、これを合体させれば…あーら不思議、ドラマのモチーフができちゃったよ[わーい(嬉しい顔)] ってことですね。
ただ、これは韓国のものを直訳したり、日本の方がそれなりに理解して書かれていたものを、自分なりに解釈して独自の世界でまとめていますので、間違った解釈があるかもしれませんのでご了承願います。

  ただひとつ真実は、「信じるか信じないかはあなた次第」という〝都市伝説〟は、いつの世にもどこの国にも存在して、それにきちんとした脚色をし立派なストーリーとして仕上げれば、こんなにもすばらしいドラマにもできるということです。

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【韓ドラ雑記】 古い話しですが、「ホ・ジュン」の中のあの人が「朱蒙(チュモン)」のテソで、あの人がこの人?

  また長ったらしいタイトルを付けました、最近本当にタイトルが長いですよねぇ、ちょっとお馬鹿になって(笑)いいタイトルが浮かばないってんで、思いつくそのままをタイトルにしてしまっている安易な今日この頃です[わーい(嬉しい顔)]

  さて、光海君(クァンヘグン)といえば朝鮮王朝の暴君と言われる王様で、燕山君(ヨンサングン)と並んで悪者にされてしまっている国王です。
廃位されてしまってますから、そのお墓も〝陵〟ではなくって〝墓〟となってしまっている哀れな人です。
燕山君はともかくとして、光海君は自分にはどうしてもそんな悪者には思えないんですよね。

  前々回にホ・ギュンの話題でこの光海君の名前が出てきた時に、ちょっと懐かしく思えました。
それは自分が朝鮮王朝の王族として、初めて名前を覚えた人物だったからです。
かのハングル(訓民正音)制定の世宗(セジョン)大王よりも、自分が先に名前を知ったのがこの光海君だったんです。
  もちろんそこにはドラマの影響があります、それが「ホ・ジュン~宮廷医官への道」です。
ところが、自分の順番としては、このドラマの前に「チャングムの誓い」を見ています、当然そこにはあの料理をよく食らう国王さんが出てらっしゃいましたが、名前なんてどうでもよかったんですね、〝チャングムの王様〟それでしかなくって、それが11代国王の中宗(チュンジョン)だと知ったのは、もっともっと後のことです。

  「ホ・ジュン」のドラマの中の光海君はどこか寂しげで、ホ・ジュンを師のように仰ぎ、父親のように慕い信頼していました。
毒になる薬が含まれていようが、ホ・ジュンを信用しているからと、皆の制止もきかずにその薬を飲むなんていうのは、本当にいいシーンでした。

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  主役のホ・ジュンが幼い頃からその成長を見守り、光海君はホ・ジュンの誠実な生き様を手本にして育ったのですから、さぞや立派な王様になったんだろうと信じてました。
現にドラマの中の終わりでは王様になったのですから、どんな王様なんだろうと当時調べてみたのです。
韓国の歴史上の人物で、自分が初めて『ウィキペディア』で調べたのもこの光海君でした。

  そうしたら、なんと!そこには信じられない文字が並んでるじゃないですか[もうやだ~(悲しい顔)]
    暴君・廃位・流刑、なんのこっちゃです。
さぞや名君の誉れ高い国王と思いきや、真逆の王様になってはる!ってとこです。
でもね、歴史なんてものは勝者が作りだすものですから、自分は今でもこの光海君は陥れられたのだと信じて疑わないんです、だって、政策的なことは悪くはないし、文禄の役の後の復興に尽力した功績は大きいと思うんですよね。
  ですから、歴史がなんて言おうが、自分の中の光海君はいつまでもあのドラマの中の人物なんです。

  そんな、このドラマ「ホ・ジュン」の中で、自分にいいイメージとして洗脳してしまった、その光海君を演じていた俳優さんを一昨日初めて知りました[あせあせ(飛び散る汗)]
  まさか、この人だったとは! 知った今でも信じられない状態です。
そして、このキム・スンスの生まれが1973年ですから、この当時27歳くらいだったっていうのも信じられません、韓国版を見ると1971年生まれ(?)、この当時29歳(?)、どっちにしてももっと若い人だと思ってました…だから、今は成長して何かのドラマに出てるのかな(?)という興味だったんです。
あれがキム・スンスだったなんて、自分としては今更ながらの大発見に近いものがあったんですよォ(笑)

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  この「ホ・ジュン ~宮廷医官への道」のドラマの中で、自分にとってもう一人印象に残る人物がいました。
現在で言う「ハンセン病」にもかかわらず、あの時代に完治してしまって、後にはホ・ジュンの手足となって働いたキム・サンファという人物です。
病気が治ってきれいな顔で登場した時には、「この時代にありえんのでは?」なんて思いましたが、ドラマの中で成長し変わっていく姿を見るのはちょっと楽しみでもありました。

  このサンファを演じていたのがヨ・ヒョンス という俳優さんで、最近はどうしてるのかな(?)とこちらも調べてみましたら、最近のドラマで見たばかりだったのに、またまたキム・スンス以上にびっくりさせられました。
「トンイ」の幼馴染みのケドラの成長した姿だったんですよね、1982年生まれですから「ホ・ジュン」の頃は18歳くらいです、こちらは反対に終盤に見せた18歳とは思えない大人の姿には、ちょっと信じられないものがありますねえ。

成長とともに変わっていく様子をご覧あれ!
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  今でも最終回の葬列のシーンを見ると泣けてくるこの「ホ・ジュン ~宮廷医官への道」というドラマ、いくつか韓国の時代劇を見てきていますが、このドラマが一番涙を流させたドラマだったんじゃないかな、と思います。
ちょっとこうした古いドラマについて調べてみるのも面白いものです、今回の自分のように
  「あの役の人がこの人だったなんて!」と、意外な発見ができるかもしれません、と言うか、俳優の名前をいちいち気にしてない自分だし、主役級でないと名前なんてわかりませんから、韓国ドラマならではの楽しみのひとつだったりするのかも[exclamation&question]

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まだある「江陵」の『王女の男』撮影地、こちらは有名な姉と弟の生家、キーワードは「ホンギルドン」

  江陵(カンヌン)というところ、こんなに伝統的な家屋が多く存在する地だというのを、本当に今回「王女の男」で調べていて初めて実感しました。
以前から時代劇ばかりではなく、現代ドラマの撮影地としてもよく耳にしたこの「江陵」ですが、ただ観光地としても撮影地としても少しばかり目立たない存在というか、華やかな表舞台を嫌うかのような、地味で落ち着いた雰囲気を守り通してきた、そんな土地柄のような気がしています。

  このところ、「船橋荘( ソンギョジャン)」、そして「鳥竹軒(オジュッコン)」という江陵にある伝統的家屋のことを書いてきています。
もちろん、このブログは〝大好きな韓国時代劇の話題〟を中心にしているのですから、当然ながら新番組の「王女の男」の撮影地として紹介はしています。
しかしながら、この江陵という土地は、韓国の伝統的な街並みとして有名で、観光客が押し寄せる「全州」以上に魅力的な、韓国の伝統美が守られ息づいている場所ではないだろうかと個人的には思えてなりません。

  
  日曜日に放送された「王女の男」の特番を見ましたか?
このドラマ、内容もさることながら、その背景となる場所、つまり撮影された場所の幅広さに驚かされます。
あの45分間という短い番組の間の、しかも半分にもなってしまうドラマ映像の中でさえ、いくつもの韓国の伝統的な観光地や撮影セットのあるテーマパークが出てきていました。
その精力的な撮影は、あの韓国の隠れた観光地を随所に見せていた「推奴(チュノ)以上かもしれません。
ただ、「推奴」の場合は美しい自然や雄大な風景が主体だったのに対して、この「王女の男」は朝鮮時代から引き継がれている〝伝統美〟を主体にしているように思えます。
  ですから、前半の両班の様式が中心の風景に、江陵のいくつかの伝統家屋がその撮影場所に選ばれたのではないでしょうか(?)
そして、これまでの記事でその内の2ヶ所を紹介してきましたが、江陵の伝統家屋で「王女の男」の撮影地となっていたもうひとつの家屋があります。


  「許蘭雪軒」、日本読みをすればそのまま「きょらんせっけん」、韓国読みをすれば「ホ・ナンソロン」という女性を知ってますか?
1563年に生まれ、たった27年という短い生涯でしかありませんでしたが、今でも、いえ、今だからこそ語り継がれる女流詩人・女流文学者です。

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  以前に放送されたことのあるドラマ『ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男』の中でもホ・チョヒとして、嫁ぎ先で好きな文学もままならず虐げられた女性として登場してましたから、名前に記憶のある方はみえると思います。
女性蔑視の当時の朝鮮の時代に、女性による女性主体の作品を書き残し、この方も韓国の新札発行の時には、肖像画の候補者の一人として名前が挙がった人物です。
ただ、女の身での文学者なんてのは、日本でもそうでしたが、ましてや朝鮮ではとんでもないこととして、過去にはなかなか認められるものではなかったですから、作品は朝鮮ではなく日本や中国で先に認められたものの、その生涯としては短く悲しいものでしかなかったようです。

  そして、その弟が「許筠(ホ・ギュン)」なんですね、こちらもドラマを見た方はご存知のように、光海君(クァンヘグン)の事件に巻き込まれて波乱万丈の人生をおくった人物なんですが、韓国の時代劇が好きな人ならこの「ホ・ギュン」という人物そのものよりも、そのハングルで書かれた最初の小説とされる『洪吉童(ホンギルトン)伝』の方が親しみがあるかもしれません。
前々から映画やドラマの題材としてよく使われてきた「洪吉童」、そして最近ではカン・ジファン主演のドラマが記憶に新しいところです。
そうなんですよね、あの「快刀 ホン・ギルドン」のドラマ自体はかなり創作的でしたが、その本元となる小説を書いたのがこの「ホ・ギュン」なんです。

『ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男』より、「ホ・ギュン」と「ホ・ナンソロン(ホ・チョヒ)」
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  この韓国の文学史に名前を残す姉と弟の生家がやはり江陵にあります、となればお解かりでしょう[わーい(嬉しい顔)]
この「ホ・ナンソロン」さんと「ホ・ギュン」さんの生家も、今度のドラマ「王女の男」の撮影地になっているんです。

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  でもね、我々日本人がこの人たちの生家や、お札になっている母子の家を、画面の中で区別するなんてのはなかなか難しいと思います。
ですから、あの「王女の男」の中の両班の風格を残す建物の中には、この江陵にある、有名な母子と姉弟の家も使われているんだな、って思いながらドラマを見ていくことにしましょう。

  詳しいアクセスの載っている日本の観光サイトはありませんが、
    江陵駅から 29番(回)バスやタクシー利用  と書いてあるものがあります。
         観光案内所(江陵駅) 033-640-4534

   許蘭雪軒 生家(許筠・許蘭雪軒記念公園)
    허난설헌 생가터(허균·허난설헌 기념공원)
       033-640-5118  江原道 江陵市 草堂洞

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『船橋荘』とセットの「王女の男」撮影地、「チャングム」の時代に建てられた〝お札母子〟の家にも行っとく?

  前のページで、ドラマ「ファン・ジニ」や「宮 -クン- Love in Palace」の撮影地として有名な『船橋荘』のことを書きました。
現代でもそのまま過去の朝鮮王朝時代にタイムスリップできそうな、そんな風景が息づいている感じの空間ですから、今度の「王女の男」の撮影地のひとつにもなったのでしょう。

  ところで、この江陵(カンヌン)にある『船橋荘』は、こうしたドラマの撮影地として、現地ツアーもあったりしてましたが、ここと必ずセットでの見学地になっている場所があります、といっても、撮影地ではなかったのですが、やっぱりここまで行ったらこちらも行っておくべきでしょう、ということで必ずやセットでツアーが組まれる場所です。
そして今回はこちらも「王女の男」の撮影地になったと言われます。

  ちょうど一週間前に韓国のお札の話題を書きました。
韓国のお札では初の女性の肖像画として登場した5万ウォン札の「申師任堂(シンサイムダン)」さんと、以前から5千ウォン札の肖像画として描かれている「栗谷李珥(ユルゴッイイ)」さんは親子で、しかも現在の5千ウォン札には母親の作品の絵が描かれていて、まさに韓国のお札の中での母子共演をしているっていう話題でした。

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  でも以前の5千ウォン札は違いました、母親の絵ではなくって、「栗谷李珥(ユルゴッイイ)」さんの生家が描かれていたんですよね、ってえことは、5万ウォン札の「申師任堂(シンサイムダン)」さんの家でもあるってことです。
それが、よく「船橋荘」とセットでツアーが組まれる「烏竹軒(オジュッコン)」と呼ばれる建物です。

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  「烏竹軒(オジュッコン)」と呼ばれる韓国のお札母子のこの家、なぜにこう呼ばれるかといえば、周囲に鳥のような黒竹が生えているからそう呼ばれるんだとか(?)
  おいらにゃこれがどうも分からない、黒竹が鳥のよう? どう見たって鳥なんかにゃ見えない、鳥の巣のように…とか、鳥篭のように…って言うんなら、なんとなく理解もできようってもんだが、黒竹が鳥? ウーンッ!分かりゃん!!
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  まあそれはいいとして、この「烏竹軒(オジュッコン)」なんですが、なんでも朝鮮11代国王である中宗(チュンジョン)の時代に建てられたという、韓国でも木造の住宅建築としては最も古いとされている中のひとつなんだそうです。
中宗(チュンジョン)王、憶えてますよね(?)、あの「チャングムの誓い」で料理を食べては唸っていた西暦1500年頃の国王さんです(笑)
そうなんですよぉ、つまりは500年も前のあのチャングムの時代から存在している木造住宅ってことなんです。
  なんでも現在でもずっと子孫のお方が管理しているっていうことは、あのお札母子のご子孫の皆さんってことですよね、お札の肖像画になった母親と息子が住んでいた家、しかもそれを代々子孫が守っているって、もしかしたら凄いことかも(?)

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  烏竹軒(オジュッコン)案内サイト
    http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=281337
    http://www.seoultour.jp/Korean_site/siteview.asp?siteID=48   
    http://www.jafnet.co.jp/jkplaza/kanko/korean/22ojunhun.htm
    
  今度「王女の男」が放送されて、その撮影地として「船橋荘」を訪れることがあったら、やっぱりついでに(?)立ち寄ってみるべきかもしれませんよね。
なんたって、韓国の通貨の肖像画になっている、しかも母と子で、言ってみりゃ〝韓国の顔〟みたいな母と子、そんな人が住んでいた家、それだけでもなんだか特別な感じがしてしまう上に、韓国の木造住宅の最古として数えられる家なんですから。
そして今回はおまけのセットの観光地ではなく、「王女の男」の撮影地としての目的も加わりました。

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新番組「王女の男」であの「ファン・ジニ」の世界が再び ~船橋荘

  正式に「トンイ」の後番組として、NHKのホームページで紹介されてから、「王女の男」が急にクローズアップされてきました。
“韓国版のロミオとジュリエット”、以前の記事で自分もこのフレーズを入れようかと思ったのですが、なんやらくすぐったくてやめましたら、番宣自体から使われていて、あっちこっちにこのフレーズが飛び交ってます。
いい気になって、自分が考えたようにこのフレーズを使わなくってよかったです(笑)

  「王女の男」という単純なタイトルですが、男女の許されざる愛の中でもがく葛藤、そして政治もからんだいろんな人間模様と、ちょっとこのタイトルで表すには惜しいようなドラマのようです。
そして、自分個人としては最も気になるのが撮影地、時代を表現する背景にも注目していきたいところです。

  李氏朝鮮時代の歴史の香りがして、しかもなんとなく重みがあって歴史的な風格があって…そんな背景にこだわっていたドラマが同じKBSで過去にもありました。
  自分はそのドラマの中の風景を見て、「ここへ行ってみたい」、そんな感覚に捉われてこの時代劇の撮影地を中心にした韓国への旅行が始まりました。
そのドラマが「ファン・ジニ」です。
内容はとっても女性的で、自分が好きな歴史を題材にしたドラマではありませんでしたから、内容というよりも、とにかく韓国の伝統ある風景を美しく見せていた映像に魅せられてしまったという感じでした。

  しかし、その「ファン・ジニ」の世界も、次から次へと新しいドラマが現れ、そして身近な撮影地を訪れているうちに、忘れ去っていた場所があります。
それが江陵(カンヌン)の「船橋荘(ソンギョジャン)」です。
「ファン・ジニ」が妓生として成長していく過程での背景となっていた場所として、撮影地としてはあまりに有名なのにまだ自分は訪れたことがありません。

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     「船橋荘」案内サイト
       http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/AC/AC_JA_6_1.jsp?cid=757043
       http://www.seoultour.jp/Korean_site/siteview.asp?siteID=47
     
  そして、今度始まる「王女の男」でも、やはりあの撮影所のセットにはない気品や風格を漂わせながら、朝鮮の歴史の息吹が感じられる「船橋荘」の風景は使われています。
本物にしか出せない雰囲気の中で、このドラマがどのようにあの風景を生かしたシーンを展開しているのか、今からとっても楽しみでもあり、もしかしたら、また自分の撮影地巡りの旅行の目的地のひとつとして復活しそうで、今からちょっとばかり心配している自分です、だってもうキリが無くなりそうでですから[たらーっ(汗)]
韓国時代劇の撮影地に限りなくのめり込んでいく自分の、更に後押しをするようなドラマの予感です。

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  ところで、この「船橋荘」は、ドラマ「宮 -クン- Love in Palace」にも登場していたのは、知っている方も多いと思います。
あのドラマでは分かり易かったですよね、旅行で訪れた先の別宮のような設定でしたが、「ここはどこだろう?」なんて考える必要もありませんでした。
画面の中にそのままの看板があって、ちゃんと「船橋荘」と書いてありましたもんね[手(チョキ)]

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  これまでは「ファン・ジニ」と「宮 -クン- Love in Palace」の撮影地として紹介されていた「船橋荘」に、きっと「王女の男」の名前も加わることでしょう。

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「宮 -クン- Love in Palace」 に 『慶熙宮(キョンヒグン)』 が使われた理由(わけ)

  このドラマの話題を書こう書こうと思いながら、どうしても「トンイ」とかの新しい方のドラマのことが先になってしまって、気がつけば、何回〝再〟を付けたらいいのか分からない最近の放送、「チャクペ」の後でやっていたのもいつの間にやら終わってました[たらーっ(汗)]

  なんやら不思議な感覚のドラマでした、特に、いくら王朝が存続してたら(?)という架空のドラマでも、あんなカチェまで付けたでっかい頭の朝鮮時代の姿なんかせんでも…と思うのですが、それがなんとなく空想の世界っぽくていいのかも、これだから反対にリアリティさが生まれるのかも、とかなんとか、ドラマの展開には直接には関係のないことで、自分の頭の中は盛り上がってました(笑)

  そして、時代劇の世界で見た風景もいくつか登場してるよ、ってなことも自分にとっては興味を惹くことでしたが、その中でもシーンの切り替わりなどに登場した「慶熙宮(キョンヒグン)」に興味を持ちました。
外観だけで、しかもCG加工するんなら別に「慶熙宮」でなくってもよさそうなのに…(?) そう思ってしまったのです。

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  「慶熙宮(キョンヒグン)」といえば、過去の「ファン・ジニ」での華やかな宴のシーンが浮かぶ王宮です。
でも正直なところ、どちらかと言えば、おいらみたいに〝地味~な〟存在の王宮です。
外観だけなら「景福宮(キョンボックン)」の方が派手で映像的には映えるだろうし、「昌徳宮(チャンドックン)」なら風格のある落ち着いた映像が撮れるだろうに…とかなんとか、こちらでも内容には関係の無いことでおいらの頭の中はいっぱいになってました[わーい(嬉しい顔)]

  理由として考えられるとしたら、観光客が少ないから撮影がし易いだろうということや、王宮の中でもランク的には下だから撮影許可がおりやすかったのかな(?)などと考えたりしてましたら、どうやら、それに近い理由があったらしい。
  自分も初めて知ったのですが、韓国の王宮って全部同じお役所が管轄して管理をしているのかと思ったら、どうやら違うみたいなんですよね。

  「景福宮」や「昌徳宮」のような有名どころは、大韓民国代表宮ということで「文化財庁」という部署が管轄しているらしい。
一方、「慶熙宮」についてはソウル市が管理しているのだそうです。

  ドラマ「宮 -クン- Love in Palace」の王宮は「景福宮」をイメージしているらしいのだから、「景福宮」を撮影すれば早い話なのですが、それがそうはいかない理由があったようなのです。

  上に書いたように「景福宮」は文化財庁が管轄している王宮、こういった王宮をドラマに使おうとする際はもちろん許可を取らなければなりません。
ところが、この「宮 -クン- Love in Palace」というドラマには許可がおりなかったのです。
その理由は〝歴史的考証に忠実でないドラマ〟だから…なんだそうです。
  確かに、現在に王朝が存続してたら…なんていう突拍子もない発想のドラマなんですから、歴史的な考証に基づくなんてことは有り得ない話しではあるのですが、さすがに〝庁〟と付くだけあって、ガチガチで融通性が利かないっていうのはどちらの国でも同じようなものらしいですね。

  そんなわけで、この「宮 -クン- Love in Palace」というドラマは、ソウル市が管轄の「慶熙宮」の映像を使うことになったということです。
「景福宮」や「昌徳宮」が使えれば、池とか庭園とかも一度に撮影できたのでしょうが、結局は「慶熙宮」になってしまいましたから、表の庭園はわざわざ慶州の「雁鴨池(アナプチ)を。
裏庭には自分も行ってきた全州の「慶基殿(キョンギジョン)」を使用して撮影をするという具合に、あっちゃこっちゃしなきゃならなくなってしまったようです。
でもそのおかげで、全州なんかは観光客が増えたりしましたから、ドラマの製作陣は大変だったでしょうが、幸いした自治体もあったわけだし、「慶熙宮」だったおかげで、あの馬に乗ったポロのようなスポーツの撃毬(キョック)なども、王宮内部での撮影ができたらしいし、悪い面もいい面もあったようですよ。

  とにかく、この「宮 -クン- Love in Palace」というドラマの、「景福宮」の勤政殿のような風景をはじめとした王宮風の風景は、「慶熙宮」を基にしたCGの世界でうまく完成させたドラマなんだそうです。

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  そうそう、そういえば、えりなーサンの大好きな「根の深い木」も一部がこの「慶熙宮」で撮影されたようですよ。

  慶熙宮案内サイト
     http://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=486
     http://www.seoulnavi.com/miru/5/

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「トンイ」の最終回、そのラストシーンは、あの「善徳女王」の〝斯多含(サダハム)の木〟だったよね

  「トンイ」が終わってしまいました、最終回はどうでもいいお話で、いわば〝お・ま・け〟そんな感じで、ゆっくり「トンイ」を偲んでやってください的な回でしたが…。

  以前の特番で、最終回のシーンは慶州で撮影して、それをそのままソウルへ映像を送信して、その夜に放送したというようなことを言ってましたっけ。
だから慶州のどの辺りが登場するのか(?)と気になって…すんまへん、嘘つきました。
あのYou Tubeで最終回のシーンが紹介されてましたから、もう既に去年から薄々は知ってましたけどね(笑)
でも実際に自分が画面の中で確認したいと思ってましたんです。

  そうしたらやっぱりでした、「トンイ」のラストシーンは、あの「鉄の王 キム・スロ」のソク・タレがまんまとせしめた慶州の半月型の土地、後には「善徳女王」がピタ゜ムの乱で陣地を構えたという「月城(半月城)址」でした。
(何の話?って方は過去記事を探しておくんなまし_(._.)_)

  一昨年の5月に訪れた時にはこの「月城」のあたりはあっちこっちで工事をしてました。
そんな中の一角が大きな花壇になっていたのですが、今はすっかりこの付近もきれいに整備がされたようで、「瞻星臺(チョムソンデ)」からこの「月城址」の一帯は見違えるような憩いの場になっているようです。
  その道すがらに、こんなものが立っているようです、立っていたでしょうか(?)、今もあるかどうかと聞かれても困りますが、観光の宣伝にもなりますから、多分今も立っているんでしょうと言っておきます。

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  以前に自分がここを訪れた時には、「月城址」から「雁鴨池(アナプチ)」へ向かう方にこれが立っていました。

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  この慶州歴史地区の「月城址」の近辺は、「トンイ」と「善徳女王」の撮影地というのを前面に出してアピールしているということみたいです。

  そんな人気時代劇の撮影地としての顔を見せるようになった「慶州歴史地区」、その中でも「月城址」の「石氷庫(ソッピンゴ)」の正面にあるものが、それを代表するものになったと言ってもいいのではないでしょうか?
  「善徳女王」で美室(ミシル)の初恋の象徴として登場し、「鉄の王 キム・スロ」ではデートの場所になり、そして今回の「トンイ」ではラストシーンを飾る風景となったもの、それが〝一本の木のある風景〟です。
それを我々は『斯多含(サダハム)の木がある風景』と呼ぶ、ってなわけで、「善徳女王」の中でのミシルの初恋の相手の名前が付けられた木が、慶州のこの一帯での撮影地の代表格になってしまいました[わーい(嬉しい顔)]

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  根元から分かれているこの大きな木、遠目で見るといい形をしています、しかも、開けた草っ原にたった一本だけ立っているってのが、これまたいい風情を出しているじゃないですか。
これが二・三本並んでたんじゃたいした絵にはなりませんけどね、こうして、たった一本っていうのがいいんですねえ。

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  上の画像のようにミシルさんが一人で佇んでおられましたが、今もあるんですかねえ(?)、遠くから見たって「ありゃミシルだよ!」って分かるくらいにいい目印になってました。

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  本当に「石氷庫」の正面の位置に立ってますからすぐに分かりますが、見てみりゃただの一本の木、どう見たって普通の木にしか見えやしませんが、「善徳女王」の〝斯多含(サダハム)の木〟、そして「トンイ」のラストシーンを飾った木として見れば、なんか特別な木に見えてしまうかもしれませんね。
  

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【韓国よもやま話】 お札になり損ねた「金萬徳(キム・マンドク)」、その代わりに母子でのお札共演が誕生した(?)

  今や珍しくもなくなった韓国の5万ウォン札、ましてや我々のような外国旅行者が両替となりゃ、やたらめったらこのお札を目にすることになります。
確かに最初の時点での嵩張りは緩和されますが、どうもタクシーなんかではいまだに「これで払ってお釣りは大丈夫かいな(?)」などと心配してしまうお札です。
それにも増して構想中の10万ウォン札なんてのが出たら、もう即コンビニなどでちょっとした買い物をして、細かく両替をしなきゃ気軽に使えません、銀行の両替時点で拒否ってしていいのかな?
ちょっと絵柄に失敗して(?)、とにかくは中止になってよかったよぉ、なんでも地図のような絵に竹島(独島)問題があったとかって…。

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  話しを戻して、この5万ウォン札に描かれているのが、申師任堂(シン・サイムダン)というおばさん。
この人は女流画家なのですが、それよりも韓国の「良妻賢母」の鑑(かがみ)として有名なお方、…らしいのだが、あまり韓国でもポピュラーな人物ではないような(?)
日本の5千円札で「新渡戸 稲造」さんが登場して、「誰?それ?」と多くの人が思ったのと同じような感じでしょう(?)
おいらはいまだにこの新渡戸という人がお札になるような功績を理解していない[あせあせ(飛び散る汗)] <(_ _)>

  でもって、この新札の肖像画を決める際に何人かの候補が挙げられます、まあこれはどこのお国でも同じことなんですが、その中にちゃんと前のページで紹介して、現在はドラマとして放送されている「金萬徳(キム・マンドク)」さんもいたんだと言います。
女性候補としてはいいところでしょう、前に書いているように、私財を投げ打って多くの人を餓死から救ったんですから、そりゃもう功績としてみたら、女流画家で単なる「良妻賢母」と言われるお方よりも、自分だったら金萬徳さんの方に軍配を上げますけどね。
なんたって人の命の方が重いわけで、そこに慈悲の心が宿っているんですから。

  だけど、現実には負けてしまって、申師任堂(シン・サイムダン)さんが韓国初の女性のお札の肖像画にあいなったということです。
いかにも儒教の国らしいといえばそうかも、〝慈悲の心〟が〝良妻賢母〟に負けちゃったってところです。


  こうして韓国初の女性肖像画の座を射止めた申師任堂さん、7人の子供の教育に励んで立派に育て上げました。
その中の一人、息子に栗谷李珥(ユルゴッ・イイ)っていうお方もいます。
このお人は儒学者で朱子学者として有名な方なんだそうですが、韓国の5千ウォン札の肖像画のおっちゃんなんです。
やっぱり韓国だけあって思想方面の第一人者がお強いようです。

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  ということで、5万ウォン札の「申師任堂(シン・サイムダン)」と5千ウォン札の「栗谷李珥(ユルゴッ・イイ)」は親子なんですよねえ。
しかもこの5千ウォン札の肖像画の裏に描かれているのが、「草虫図」という母親の作である絵なんだそうで、まさにダブルでの親子共演が実現した韓国のお札なんです。
母親と息子が揃ってお札の肖像画になってるってことなんですが、こりゃあ父親の「李元秀」さんの立場がありゃせんがなってとこですよね(笑)


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金万德(キム・マンドク)は商人なのに医女(?) 正祖王との関係

  ドラマ「キム・マンドク~美しき伝説の商人」、まだ商人としての活躍は先のことのようですが、この主人公の「金万德(キム・マンドク)」という女性、日本で見られる資料というのは本当に少ないのですが、済州島では大きな碑が建てられているほど、島の恩人として語り継がれている偉大な人物だというのを初めて知りました。

  このドラマは聞慶(ムンギョン)の「KBS撮影所」を訪れた時に撮影をしていて、その若い男の子のスタッフから、「自分の財産を投げ打って貧しい人たちを助けた女性の話」であるというのは聞きました。
でも、具体的なことは何も知る由も無く、ましてやその救ったのが昔の済州島民の命だったなどというのも、今回調べてみて初めて知ったことです。

  済州島に韓国の夕日の名所、しかも〝韓国の絶景12景〟にも数えられている「沙羅峰公園(サラボンコンウォン)」という観光地があるそうです。

   沙羅峰公園
     http://travel.k-pops.jp/spot_view.kn?item_id=61&category_id=8&qstr=Y2F0ZWdvcnlfaWQ9OCZjaXR5TnVtPSZzdGF0ZU51bT0mc3R4PSZpY29uPSZwYWdlX2luZGV4PTk=

     http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=1069350

その「沙羅峰公園」の南側に、金万德さんの功績を讃える碑やお墓などもあり、「金万德記念館」なる施設までもあるそうなのですが、お墓を始めとしたその金万德さんを表するものには〝内医女〟とか〝医女班首〟という文字が名前の前に記されています。

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  この人ってあのチャングムのような医女だったのか(?)、医女でありながら伝説の商人(?)
しかも済州島ではこの金万德さんを「島を救った医女」と呼んでいるのだといいます。
なんだかよく分からなくなってきます、この金万德という女性は妓生?医女?商人? どれが正解なんだろう(?)

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  そもそもこの金万德という女性は何をやった人なのか?
  この金万德さんは1739年に仲介商人の娘として生まれたのですが、12歳で両親と死別してしまい、親戚の家の世話で妓生として育つことになってしまいます。
ところが、大人になって世間を知るようになると、妓生というのは世間から蔑視される職業なのだと悟り、23歳で済州の役所に願い出て苦労の末にやっと元の身分を回復します。
  元々の血筋なのか金万德さんは商才に長けていたようで、島の特産物であるミカン・ワカメ・トチなどを内地で売り、そして反対に内地から装飾品や日用品などを仕入れて両班などを相手に商売をするというように、妓生の頃の経験を活かしながらの商才を発揮したのだそうです。
また、薬草の栽培なども手がけるなど、その活躍の場を広げたのですが、この当時の朝鮮は田植えという農業技術の発展とともに、商業も発展するという時代で、その時流をうまく読んだ人物だったようです。
そんな成功者で巨万の富を得ながらも、本人の生活はいたって質素でつつましく、神の恩恵で自分はこうして生きていられるという気持ちを持ち続けて生活していたといいます。

  しかし、その後の1793年のこと、済州島をひどい飢饉が襲います。
3つの村だけでも600人の餓死者が出るほどの飢饉が続き、このままだと済州の島民の多くが餓死の危機に陥るというひどい有様になってしまったのです。
1795年には政府も救援の手を差し伸べはしますが、その救援の食料を積み込んだ船5隻が沈没してしまうというアクシデントで、支援の政策もあえなく失敗に終わってしまいます。

  そこで乗り出したのが金万德(キム・マンドク)さんです。
自身が築いた富を惜しげもなく投じて内地の米500石の買い付けをし、その殆どを飢えにあえぐ島民に無償で分け与えたのです。
当時の朝鮮王朝ができずにいた済州島民の救済を、私財を投じて、しかも女の身でありながら成し遂げたんですねえ、多くの餓死寸前の島民の命を救った女性、医術や看護ではなく、〝慈悲深い救世主〟という敬いの意味合いでの『内医女』 だったわけです。

  そんな王朝が成しえなかった偉業を成し遂げた女性なのですから、当時の国王さんが直接謁見して褒め称えることになるのですが、それが「イ・サン」である正祖王なのです。
そして翌年の1796年に金万德の願いを聞き入れ、漢陽(ハニャン)の宮廷に招待をし、霊峰である金剛山を見物させるということになります。
  ところが、当時の済州島から一般の女性が出て、ましてや宮殿に入るなんてことは前代未聞のこと、そこでこの国王である正祖が、『医女班首』という特別な地位の称号を金万德に与え、特別な待遇をしたということなのです。

  そういうことだったんですね、「内医女」には〝救世主〟のような意味合いが込められ、「医女班首」には〝最高の救済者〟というような特別な尊い意味合いが込められていたようです。

  金万德さんは1813年に73歳で亡くなりますが、今も済州島の救世主として「内医女・金万德」は生き続けています。
こんな偉業を成し遂げた女性をこれからのドラマで、どこまで描いてくれているのか、ドラマを観ていく上での興味が沸いてきました。

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やっぱり行っておくぞ! 『南漢山城』、もちろん「トンイ」の撮影地 & 「推奴」と「チャクペ」の豪華おまけ付き(笑)

  これも少し前に書きましたよね、その時は「チャクペ -相棒-」の話題でしたが。
その話題の主は「南漢山城(ナムハンサンソン)」、韓国の時代劇ではチョクチョク姿を見るけど端役のようなもので、決定的な撮影地としての魅力にイマイチ欠けるんだよねってことで、なかなか旅行の目的地として訪れることができないでいる、そんな話題で書きました。

E38381E383A3E382AFE3839AE38080E58D97E6BCA2E5B1B1E59F8E_wmv_000004404.jpg チャクペ

  自分がこういった話題にすると不思議なことに、ちょっとするとまたすぐにテレビの画面でその姿を見せてくれます。

  「チャクペ」でも、楽安邑城のことを「トンイ」と同じ場所には見えないけれど同じ場所なんですよ、なんて書いたら、なんとまあその翌日には、まるっきり「トンイ」と同じ場所が画面に現れて、「ありゃー!話題にするのを一日早まっちまったよ」てなわけでした。

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  今回もまるっきりそうです、「もう少し書くのを待っていたら、ここは〝トンイの撮影地〟で書いてもよかったんじゃねッ」てなことに相成りました[たらーっ(汗)]

  「トンイ」の58話を見ましたか?
以前の話でも、王様が大きな決断をする時には訪れると言っていた場所「温陽(オニャン)」、それがかの「南漢山城」の「守禦将臺」でしたが、今回の58話でもやはり同じ将臺の登場です。
これだけなら改めてこんなページを使って書くようなことはしません、将臺だけなら「チャクペ」と同じでやっぱり端役ですからねえ。

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  これまで、自分が好きな韓国時代劇で、この「南漢山城」が登場したドラマは三つです、これはあくまで〝自分の好きな〟が前提なのですが、まずは「推奴(チュノ)」、そして「チャクペ -相棒-」、そんでもって「トンイ」の三つです。
  ところが、「推奴」の場合は城壁だけ、「チャクペ」やこれまでの「トンイ」は将臺だけ、これでは撮影地として訪れるのにはちょいと物足りない。
だから以前のような話題で、「行っておくべきか?行かざるべきか?」ってなまるでハムレットのような心境(?)って、そんな大袈裟なものではござんせんが、ちょいとばかり撮影地バカとしては迷っていたわけなんです。


  でもね、時間は短いシーンではありましたが、とうとう「トンイ」の58話では、「守禦将臺」の前は当然ながら、城壁もちゃんと肅宗(スクチョン)さんのチ・ジニさんが歩いてくれよりました[わーい(嬉しい顔)]
これでもって「南漢山城」の将臺+城壁のダブルが同じドラマで登場したってことです。

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自分の中じゃこれで決まりです!
 『「南漢山城」は「トンイ」の撮影地で決定! そんでもって城壁は「推奴」のおまけが付いて、将臺は「チャクペ」がおまけで付いてくるやんか!』
なんとも嬉しい大きなおまけ付きで、晴れて「南漢山城」は「トンイ」の撮影地ということになったわけです。

  こうなりゃ、「加恩SBS」の次は「南漢山城」ということで、次回の多分7月か8月の旅行には目的地のひとつに加えることにしました[わーい(嬉しい顔)]

  7月か8月に「南漢山城」へ行かれて、ちょっとみすぼらしい一人旅のオッチャンの日本人を目にしたら、それはおいらですけんね[手(チョキ)]

  「南漢山城」関連サイト
    http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=281827
    http://japanese.seoul.go.kr/cav/ena/hallyu_view.php?idx=10854
    http://shigeseoul.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_3afb.html

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