自由気ままな韓国一人旅
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一人きりで韓国の地方旅にまで挑戦!その悪戦苦闘 ・ ドジ連発の旅行記や、大好きな韓国時代劇の話題を中心にしたブログです
gg-doara
2017-09-19T02:23:40+09:00
ja
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長い間、ありがとう
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2017-09-19
ずっとずっと続けてきた、韓国の話題を取り入れながらのブログ。続編の「今韓日触(きんかんにっしょく)」でもう何年になるんでしょう?その間に年をとり、生活が変わり、本当にいろいろなことが身の回りでありました。そんな自分の生活と同じように、日本と韓国の関係もいろいろと事情が変わってきましたよね。政治と旅行やドラマを楽しむのは別物とずっと考えていたのに、やっぱりここまで国通しのすれ違いや考え方の壁があると、どうしても引いてしまって、だんだんと遠のいてしまうっていうのは、仕方のないことだとも思うのです。こうしてブログを立ち上げて、12回という旅行をした韓国という国なのに、今は「また行こう」という気にはなれない自分がいます。そして、あんなにのめり込んだ韓国時代劇も、やっぱり以前とは様変わりしてしまって、夢中になれるものが登場してこない、〝時代劇〟〝史劇〟というものは、どこの国もだんだんと魅力ある作品が無くなっていくというのは運命なのでしょうか?何はともあれ、気持ちが韓国から離れるにつれて、ずっとずっとほったらかしにしてきたこのブログ、いつまでもほったらかしというのは無責任なので、ここでけじめをつけることにしました。韓国からは全面的に離れたブログへと移行することにしました。これまで訪れてくださった皆さん、350万という驚きの閲覧数も皆さんのおかげです、そして、今でも毎日300人とか500人とか訪れてくださっています、本当に嬉しい話しです。このブログは自分が歩んだ証しのひとつとしてずっと残させて頂きます、が、もう更新することはありません。本当に本当に本当に…長い間ありがとうございました。これから立ち上げるブログは、まったく韓国には関係のない内容になりますので、タイトルとかお知らせしませんが、偶然に立ち寄っていただけることがあるかもしれません、その時にはまたよろしくお願いします<(_ _)>自分は写真が嫌いで、韓国旅行をしても自分の画像は殆どありませんが、数少ない〝韓国にいる自分〟を残してお別れさせていただきます、さようなら…
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gg-doara
2017-09-19T02:23:40+09:00
続編の「今韓日触(きんかんにっしょく)」でもう何年になるんでしょう?
その間に年をとり、生活が変わり、本当にいろいろなことが身の回りでありました。
そんな自分の生活と同じように、日本と韓国の関係もいろいろと事情が変わってきましたよね。
政治と旅行やドラマを楽しむのは別物とずっと考えていたのに、やっぱりここまで国通しのすれ違いや考え方の壁があると、どうしても引いてしまって、だんだんと遠のいてしまうっていうのは、仕方のないことだとも思うのです。
こうしてブログを立ち上げて、12回という旅行をした韓国という国なのに、今は「また行こう」という気にはなれない自分がいます。
そして、あんなにのめり込んだ韓国時代劇も、やっぱり以前とは様変わりしてしまって、夢中になれるものが登場してこない、〝時代劇〟〝史劇〟というものは、どこの国もだんだんと魅力ある作品が無くなっていくというのは運命なのでしょうか?
何はともあれ、気持ちが韓国から離れるにつれて、ずっとずっとほったらかしにしてきたこのブログ、いつまでもほったらかしというのは無責任なので、ここでけじめをつけることにしました。
韓国からは全面的に離れたブログへと移行することにしました。
これまで訪れてくださった皆さん、350万という驚きの閲覧数も皆さんのおかげです、そして、今でも毎日300人とか500人とか訪れてくださっています、本当に嬉しい話しです。
このブログは自分が歩んだ証しのひとつとしてずっと残させて頂きます、が、もう更新することはありません。
本当に本当に本当に…長い間ありがとうございました。
これから立ち上げるブログは、まったく韓国には関係のない内容になりますので、タイトルとかお知らせしませんが、偶然に立ち寄っていただけることがあるかもしれません、その時にはまたよろしくお願いします<(_ _)>
自分は写真が嫌いで、韓国旅行をしても自分の画像は殆どありませんが、数少ない〝韓国にいる自分〟
を残してお別れさせていただきます、
さようなら…
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韓国画像のページ ⑥ 祝!「南大門」再建・一般公開 ということでソウルの仲間の〝門〟達を集めてみました
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2013-05-05
今日、2013年5月5日、2008年に放火で消失した「崇礼門(スンネムン)」通称「南大門」が再建されて一般公開されます。新しい方のブログではなんだかんだと結構こけおろしていますが_(._.)_ 、まあまあソウルの皆さんにとっては嬉しい日であろう(?)ってことで、喜びを共に分かち合おうということで(笑)、ソウルのお仲間の〝門〟の皆様に集合していただきました どれがどこの門か判りますか?まずは、跡継ぎが誕生して喜んでみえることでしょう、「旧南大門」からです。次は古宮代表の〝門〟たちですピカピカ新品の「再建仲間」の誕生で喜んでいるのがそしてお仲間の最後は、「相棒が戻ってきてよかった」、とは言うものの、「相棒よかやたら古めかしい年寄りにみえるやんか!」と言っていそうな…(笑)ラストはもちろん「新生 南大門」
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gg-doara
2013-05-05T08:10:02+09:00
新しい方のブログではなんだかんだと結構こけおろしていますが_(._.)_ 、まあまあソウルの皆さんにとっては嬉しい日であろう(?)ってことで、喜びを共に分かち合おうということで(笑)、ソウルのお仲間の〝門〟の皆様に集合していただきました
どれがどこの門か判りますか?
まずは、跡継ぎが誕生して喜んでみえることでしょう、「旧南大門」からです。
次は古宮代表の〝門〟たちです
ピカピカ新品の「再建仲間」の誕生で喜んでいるのが
そしてお仲間の最後は、「相棒が戻ってきてよかった」、とは言うものの、「相棒よかやたら古めかしい年寄りにみえるやんか!」と言っていそうな…(笑)
ラストはもちろん「新生 南大門」
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新しいブログです
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-27
新しいブログを立ち上げました。タイトルは「今・韓・日・触(きんかんにっしょく)」です。韓国の話題ばかりじゃなく、テレビなどを見ていて思い出したり、書いてみたい日本の観光地なども幅広くしてみました。 ということで、「今、韓国や日本に触れる」という意味を込めてこんなタイトルにしてみました。 この「自由気ままな韓国一人旅」の続編にもなっていますので、どうかよろしくお願いします_(._.)_ http://hanlove-8.blog.so-net.ne.jp/ 最初の記事は、日本と韓国の話題をふたつ同時にアップしてみました。
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gg-doara
2012-07-27T05:11:31+09:00
タイトルは「今・韓・日・触(きんかんにっしょく)」です。
韓国の話題ばかりじゃなく、テレビなどを見ていて思い出したり、書いてみたい日本の観光地なども幅広くしてみました。
ということで、「今、韓国や日本に触れる」という意味を込めてこんなタイトルにしてみました。
この「自由気ままな韓国一人旅」の続編にもなっていますので、どうかよろしくお願いします_(._.)_
http://hanlove-8.blog.so-net.ne.jp/
最初の記事は、日本と韓国の話題をふたつ同時にアップしてみました。
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「善徳女王」の父「真平王」も美室(ミシル)の愛人??? 【当ブログの最終回】
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-16
ドラマ「善徳女王」の元となったのが『花郎世記』という記録だというのですが、この記録は、元々は日本の宮内庁書陵部に秘蔵されていたのを、朴昌和と言う人物が密かに書き写していたとされる筆写本が、1989年に見つかったものなんだそうです。ところが偽物だと主張したりする人も多いらしく、その真偽は定かでないらしい。だったら日本の宮内庁にあるのか? あったら確認すれば済むことなのに…と思うのだが、その辺はどうなってんの(?)っておいらのような凡人は思ったりする。 それはともかくとして、「三国史記」や「三国遺事」、そしてこの「花郎世記」前のページで書いているように、真平(チンピョン)王の三女とされる善花姫は「三国遺事」にしか登場してこない人物なのだが、それとは逆に「花郎世記」にしか登場しない人物がいる。それがドラマ「善徳女王」の人気者「美室(ミシル)」だ。 「花郎世記」によれば、あのドラマ「善徳女王」に描かれているように魔性の女性で、花郎を掌握していた権力者となっている、そんな歴史を左右する人物が、他の歴史書には登場してこないというのは、善花姫以上にミステリアスな話しだと言える。 自分のような凡人が、歴史家の間でも論争になっているものに割り込むような知識はないので、そんなことは置いといて、「花郎世記」に描かれているミシルがとっても興味深い、とは言っても歴史的な高尚な興味ではなく、凡人は凡人らしく(?)スキャンダラスな面がとっても面白い。 ドラマで描かれていたように、才知と美貌の持ち主だという女性ミシル、生まれは540年代だと推測されている、これは弟のミセンが550年生まれとなっていることから推測されているらしい。そして没年もよくわかっていないらしく、こちらも推測するよりなく、「花郎世記」に最後に登場している612年以降の数年らしいということだ。 このミシルのほぼ7~80年の生涯での男性遍歴が凄い!(笑)おいらにはこっちの方が凄く興味がある。若かりし頃から熟女になるまでの間に記録されている相手が7人、その内訳は夫が一人に愛人が六人となっている。 まず夫は「世宗公(セジョンゴン)」という人物で、六代目の風月主(プンウォルジュ)、早い話が花郎のリーダーです、ドラマを見ていた人はよくご存知と思います。 そして愛人として名を連ねるのが、お馴染みの「斯多含公(サダハムゴン)、こちらは五代目の風月主です。 次が、薛原郞(ソ..
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gg-doara
2012-07-16T05:02:13+09:00
ところが偽物だと主張したりする人も多いらしく、その真偽は定かでないらしい。
だったら日本の宮内庁にあるのか? あったら確認すれば済むことなのに…と思うのだが、その辺はどうなってんの(?)っておいらのような凡人は思ったりする。
それはともかくとして、「三国史記」や「三国遺事」、そしてこの「花郎世記」
前のページで書いているように、真平(チンピョン)王の三女とされる善花姫は「三国遺事」にしか登場してこない人物なのだが、それとは逆に「花郎世記」にしか登場しない人物がいる。
それがドラマ「善徳女王」の人気者「美室(ミシル)」だ。
「花郎世記」によれば、あのドラマ「善徳女王」に描かれているように魔性の女性で、花郎を掌握していた権力者となっている、そんな歴史を左右する人物が、他の歴史書には登場してこないというのは、善花姫以上にミステリアスな話しだと言える。
自分のような凡人が、歴史家の間でも論争になっているものに割り込むような知識はないので、そんなことは置いといて、「花郎世記」に描かれているミシルがとっても興味深い、とは言っても歴史的な高尚な興味ではなく、凡人は凡人らしく(?)スキャンダラスな面がとっても面白い。
ドラマで描かれていたように、才知と美貌の持ち主だという女性ミシル、生まれは540年代だと推測されている、これは弟のミセンが550年生まれとなっていることから推測されているらしい。
そして没年もよくわかっていないらしく、こちらも推測するよりなく、「花郎世記」に最後に登場している612年以降の数年らしいということだ。
このミシルのほぼ7~80年の生涯での男性遍歴が凄い!(笑)
おいらにはこっちの方が凄く興味がある。
若かりし頃から熟女になるまでの間に記録されている相手が7人、その内訳は夫が一人に愛人が六人となっている。
まず夫は「世宗公(セジョンゴン)」という人物で、六代目の風月主(プンウォルジュ)、早い話が花郎のリーダーです、ドラマを見ていた人はよくご存知と思います。
そして愛人として名を連ねるのが、お馴染みの「斯多含公(サダハムゴン)、こちらは五代目の風月主です。
次が、薛原郞(ソルファラン)、この人は七代目の風月主です。
ここまでは花郎の風月ですから、花郎のリーダーの五代目から七代目までを掌握してたってことで、ドラマの花郎を我が物にしていたってことが納得できますよねぇ。
これからがもっと凄いんです。
24代国王の「真興(チヌン)王」、ドラマのイ・スンジェお爺ちゃんですね。
それから、「铜轮=銅輪太子(ドンリュンテジャ)」、この人は真興王の息子であり、真平王の父親なんだそうです。
お次が、25代国王の「眞智(チンジ)王」、これがドラマでイム・ホが演じていたミシルに廃位された王様です。
そしてなんと、ドラマではマヤ王妃ひとすじだった「眞平(チンピョン)王」、善徳女王の父親ですよ、この人もミシルさんと情を通じた仲だったんです、と、「花郎世記」ではなっとりますようで
花郎のリーダーが三人、そして24代から26代の国王の皆様が、このミシルさんの魔性に呑み込まれたっていうか、毒牙にかかっていたというか、魅力の虜になっていたらしいってことで、これが本当ならドラマのように、新羅がミシルの手中にあったって不思議ではないですよねえと言うよか、そんなにも男を虜にする女性に一度お目にかかってみたいものだ
話は少し変わりますが、ミシルの存在が書かれていた最後が612年で、善徳女王が即位したのが632年ですから、善徳女王にミシルが反乱を起こすなんてことはちょっとばかり考えられないわけです。
実は、ドラマの中でミシルが起こしたとなっていた反乱は、父王である「眞平王」の時代の631年のこと(年代的にはドラマに合致してます)。
その反乱を起こしたのが、ドラマの中で、〝ミシルが命〟という感じで動いていたこの二人、
「柒宿(チルスク)」と「石品(ソクプム)」だったらしいですよ、でもこの反乱は失敗に終わって、チルスクはすぐに処刑され、ソクプムは一旦は百済に逃げ延びたものの、妻子を迎えにきこりに変装して新羅に戻ったところを捕まってしまい、やはり処刑されたんだそうです。
ドラマのように壮絶な最期の死闘は実際にはなかったようです。
それにしても、「花郎世記」に描かれたミシルと、実際に歴史に残る反乱なんかをうまく繋げて、しかも後のピダムの乱の主役もミシルの息子に仕立てたり、本当にうまくドラマにしていたものです、感心してしまいます。
ということで、この「自由気ままな韓国一人旅」というタイトルのブログは終了させていただくことにしました。
ただ、ファイルの容量の制限が近いということと、最近はドラマの話題の方が中心になってきてますから、タイトルなどを一新させて、韓国の話題+αでの出直しを考えています。
この「自由気ままな韓国一人旅」を読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。
しばらく休んで新しいタイトルのブログでまたお会いしましょう!
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謎が多すぎて面白い! 「善徳女王」「天明王女」「善花姫」の三姉妹(?)
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-12
月曜日の夕方の「善徳女王」はもうすぐ最終回を迎えます、そしてまた再び、毎 月~木曜の夕方に「薯童謠(ソドンヨ)」が始まったばかり。 大昔に書きましたが、この「薯童謠(ソドンヨ)」の善花(ソンファ)姫は、善徳女王の末の妹と一部の記録ではされている人物です。でもこの三姉妹の記録は実に様々で、実に面白い、その記録がある書物ごとで、こんなにも記録が異なる姉妹の存在は実に不思議だ。 まず、父王の真平王の後をついだ「善徳女王」については、" 三国史記 "では真平王の長女として名前が記されているものの、" 花郎世記 "という記録では次女となっている。ドラマ「善徳女王」は、全てがどうやらこの" 花郎世記 "をベースに、ドラマの脚本が書かれ展開していたようだ。 そして、ドラマ「善徳女王」では双子の姉とされていた「天明王女」は、その真逆の記述がなされている。" 三国史記 "では次女、" 花郎世記 "では長女となっている。 まあこの辺はどうってことはない、大昔の歴史ではよくあること、ましてや女性では細かな記載も無くこんがらがって伝わることもよくあることだから。 ただ、この二人については、天明王女は息子の「金春秋(キム・チュンチュ)を産んだ後に亡くなっているだろうことは推察できるようだ。王位を善徳女王が継いだことや、その善徳女王の亡き後には、従姉妹の「真徳女王」が継いでいることから、そう考えられても不思議ではない気がする。天明王女が生きていれば、カリスマ性を持った善徳女王の後継者には、その姉妹である天明王女が真っ先に候補に挙がってもおかしくはないのだから。 そんなわけで、上の二人の姉妹は多少生まれの順があやふやになっているとはいえ、片や王位を継承し、片や後に国王となる金春秋の生母ということで、実際に存在していた姉妹なんだろうってことは、こんな素人でも推察ができる。 分からないのが、三女の「善花姫」だ。この三女の存在は、高麗の時代に書かれた" 三国遺事 "にだけ登場してくる。この" 三国遺事 "は、上の善徳女王と天明王女については、真平王の娘と記されているだけで、長女だの次女だのという記述は無いのに、なぜかこの善花姫についてだけは、〝真平王の三番目の娘〟と記されているらしい。 これからして不思議だ、「三国史記」と「三国遺事」は同じ高麗時代に書かれたものなのに、片方では存在する人物が、片方では存在して..
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gg-doara
2012-07-12T12:00:00+09:00
大昔に書きましたが、この「薯童謠(ソドンヨ)」の善花(ソンファ)姫は、善徳女王の末の妹と一部の記録ではされている人物です。
でもこの三姉妹の記録は実に様々で、実に面白い、その記録がある書物ごとで、こんなにも記録が異なる姉妹の存在は実に不思議だ。
まず、父王の真平王の後をついだ「善徳女王」については、" 三国史記 "では真平王の長女として名前が記されているものの、" 花郎世記 "という記録では次女となっている。
ドラマ「善徳女王」は、全てがどうやらこの" 花郎世記 "をベースに、ドラマの脚本が書かれ展開していたようだ。
そして、ドラマ「善徳女王」では双子の姉とされていた「天明王女」は、その真逆の記述がなされている。
" 三国史記 "では次女、" 花郎世記 "では長女となっている。
まあこの辺はどうってことはない、大昔の歴史ではよくあること、ましてや女性では細かな記載も無くこんがらがって伝わることもよくあることだから。
ただ、この二人については、天明王女は息子の「金春秋(キム・チュンチュ)を産んだ後に亡くなっているだろうことは推察できるようだ。
王位を善徳女王が継いだことや、その善徳女王の亡き後には、従姉妹の「真徳女王」が継いでいることから、そう考えられても不思議ではない気がする。
天明王女が生きていれば、カリスマ性を持った善徳女王の後継者には、その姉妹である天明王女が真っ先に候補に挙がってもおかしくはないのだから。
そんなわけで、上の二人の姉妹は多少生まれの順があやふやになっているとはいえ、片や王位を継承し、片や後に国王となる金春秋の生母ということで、実際に存在していた姉妹なんだろうってことは、こんな素人でも推察ができる。
分からないのが、三女の「善花姫」だ。
この三女の存在は、高麗の時代に書かれた" 三国遺事 "にだけ登場してくる。
この" 三国遺事 "は、上の善徳女王と天明王女については、真平王の娘と記されているだけで、長女だの次女だのという記述は無いのに、なぜかこの善花姫についてだけは、〝真平王の三番目の娘〟と記されているらしい。
これからして不思議だ、「三国史記」と「三国遺事」は同じ高麗時代に書かれたものなのに、片方では存在する人物が、片方では存在していないということになり、しかも一方にははっきりと〝真平王の三番目の娘〟と書かれているのが、どうも怪しい(?)
ましてや一番古い記録書である「花郎世記」には影も形もない、この記録自体が本物・偽者の議論の的になっているものなので、真偽は定かでないとは言え、仮にも〝花郎〟と名の付く記録で王女様を記録から抹殺していることになる。
敵国の百済に嫁いだからと考えれば考えられなくもないが、やっぱり伝説上の架空の人物という気がしてならない。
ドラマ「善徳女王」はこの「花郎世記」をベースにしているのだから、当然三女の善花姫の存在が無かったわけです。
だけどですよ、もしこの「善花姫」が架空の人物となったら、現在放送中の「階伯(ケベク)」の義慈(ウィジャ)こと、後の義慈王はどこから湧いてきた(?)ってことになってしまう。
ところで、こうした歴史書の中で、もう一人なんやら出生やらが伝説に彩られてよく分からない人物がいるんですよ。
それが、義慈(ウィジャ)の父親である「武王」です。
法王の息子であったり、寡婦が産み落とした子であったり、龍の化身が産ませた子であったり様々(?)
早い話が義慈王の両親ともが、伝説に色塗りされた、とってもわけが分からない人物なんですよねぇ。
つまり、あの有名な「薯童謠(ソドンヨ)」の主の二人ともが、歴史的な伝説の中で脚色されている人物だってことです。
そこでおいらの結論、この「薯童謠(ソドンヨ)」を中心にした義慈王の両親の伝説は、義慈王が作り出したものではなかろうか(?)って思うわけです。
正当な国王の後継者でなかった父親と、どこやらのわけの分からない女性との間で生まれたのが「義慈王」で、それを覆い隠すためにいろんな伝説を作り出した。
そう考えると、自分の母親にカリスマ性や悲劇性を持たせるために、新羅の王女で、父王と国境を越えた激しい恋に落ち、敵国である百済に嫁いで寂しさと苦労の中で「義慈王」を産んだ。
そうなりゃ血筋も敵国とはいえ王族の血統です、しかも激しい両親の愛の結晶として自分が存在しているわけですから… そしてそして、敵国の新羅の血を引きながらも、新羅と敵国として戦わなくてはならない…となったら、カリスマ性も民衆の同情心を得るにも充分じゃないですか(?) どうですかぁ???? おいらの想像は
ちなみに、2009年に発見された 「彌勒寺址石塔」には、武王の妃は「沙宅(サテク)妃」の名前しか出てきてないそうです。
ところで、ドラマ「階伯」の中で、ケベクに思いを寄せている「恩古(ウンゴ)」が義慈王の妃になってますが、ドラマの上ではどんないきさつでそうなるんでしょうね(?)、ちょっとこれからが楽しみです。
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「王女の男」の第1話で見られた、あのドラマのあの場所・こんな場所
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-10
ドラマ「王女の男」は、精力的な撮影がなされて、移動も半端ではなかったようなことを耳にしています。それを象徴するかのような第1話でした、とにかくあっちの撮影所、今度はこっちのテーマパーク、そしてあの観光地と、たったの1時間にも満たない初回放送分だけでも、各地を転々としたシーンのオンパレードです。 そんな中、過去のドラマで登場した場所もいくつか目に付きました、今回はまったく別の使われ方をしている場所や、カメラアングルが変われば、同じ場所なのに気付かないようなものもあります。自分が気付いたそんな過去のドラマのあの場所この場所を、少しばかり紹介していきたいと思います。 まず最初は、キム・スンユが妓楼で寝過ごして慌てて飛び出していくシーンがありました。あの〝妓楼〟として使われていた場所に見覚えはありませんでしたか?場所は「聞慶KBS撮影所」、そして過去のドラマでは何度も目にしていたお屋敷でした。 「済衆院」のソンナンの家、通訳官様のお屋敷だった場所です。自分もじっくり見てきたあのお屋敷のセットが、なんとまあ今度は〝妓楼〟です、提灯をぶら下げて置物をちょっと変えれば、同じ場所が全然違って見えるどころか、お屋敷が妓楼に変身してしまうんですよねぇ。 お次のこちらは変身はしてません、ただ、ほんの一部しか映してもらえなかったよー!っていう場所です。同じ「聞慶KBS撮影所」のシンボル的な存在の「光化門」です。王女が宮廷を抜け出す時のシーンですね、「推奴」や「成均館スキャンダル」で目にした「光化門」のほんの一部分でした 以前のドラマでは〝学びの場所〟だったのが〝武道〟の場所へと姿を変えていたのがこちらです。「済衆院」ではドヤンが学ぶ「成均館」だった場所が、今回では正反対の武術の場になっていたのが、多くのドラマの撮影地となっている栄州市にある「ソンビ村」に、隣接した位置関係で存在する「士文化修錬院」です。キム・スンユの友人のシン・ミョンが華麗な武術の技を披露していた場所になっていました。 次の場所は、画面では分からないけれど、そこへ行った人には分かるというシーンです。場所は「南楊州総合撮影所」、「トンイ」で紙気球が飛び、「ファン・ジニ」が綱渡りをしていたシーンが撮られた撮影所ですが、、今回の場所はその〝綱渡り〟の方に関係しています。ドラマ「ファン・ジニ」で綱渡りをしていた場所のすぐ脇はこんな風景になっています。そ..
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gg-doara
2012-07-10T17:00:00+09:00
それを象徴するかのような第1話でした、とにかくあっちの撮影所、今度はこっちのテーマパーク、そしてあの観光地と、たったの1時間にも満たない初回放送分だけでも、各地を転々としたシーンのオンパレードです。
そんな中、過去のドラマで登場した場所もいくつか目に付きました、今回はまったく別の使われ方をしている場所や、カメラアングルが変われば、同じ場所なのに気付かないようなものもあります。
自分が気付いたそんな過去のドラマのあの場所この場所を、少しばかり紹介していきたいと思います。
まず最初は、キム・スンユが妓楼で寝過ごして慌てて飛び出していくシーンがありました。
あの〝妓楼〟として使われていた場所に見覚えはありませんでしたか?
場所は「聞慶KBS撮影所」、そして過去のドラマでは何度も目にしていたお屋敷でした。
「済衆院」のソンナンの家、通訳官様のお屋敷だった場所です。
自分もじっくり見てきたあのお屋敷のセットが、なんとまあ今度は〝妓楼〟です、提灯をぶら下げて置物をちょっと変えれば、同じ場所が全然違って見えるどころか、お屋敷が妓楼に変身してしまうんですよねぇ。
お次のこちらは変身はしてません、ただ、ほんの一部しか映してもらえなかったよー!っていう場所です。
同じ「聞慶KBS撮影所」のシンボル的な存在の「光化門」です。
王女が宮廷を抜け出す時のシーンですね、「推奴」や「成均館スキャンダル」で目にした「光化門」のほんの一部分でした
以前のドラマでは〝学びの場所〟だったのが〝武道〟の場所へと姿を変えていたのがこちらです。
「済衆院」ではドヤンが学ぶ「成均館」だった場所が、今回では正反対の武術の場になっていたのが、多くのドラマの撮影地となっている栄州市にある「ソンビ村」に、隣接した位置関係で存在する「士文化修錬院」です。
キム・スンユの友人のシン・ミョンが華麗な武術の技を披露していた場所になっていました。
次の場所は、画面では分からないけれど、そこへ行った人には分かるというシーンです。
場所は「南楊州総合撮影所」、「トンイ」で紙気球が飛び、「ファン・ジニ」が綱渡りをしていたシーンが撮られた撮影所ですが、、今回の場所はその〝綱渡り〟の方に関係しています。
ドラマ「ファン・ジニ」で綱渡りをしていた場所のすぐ脇はこんな風景になっています。
そこで、このシーンなんですが、つまりこの場所は、あの「ファン・ジニ」が綱渡りをしていたシーンが撮られたのと同じ場所なんです。
友人のチョン・ジョンが借金取りに捕まっているのを救ったシーンだったのですが、しかし、その前にチョン・ジョンが追われて王女の輿に飛び込んだのはまた違う場所なんです、そちらは「一枝梅に」関係してますが、後ほど別の話題で書くことになりそうです
このキム・スンユたちと出会った方のシーンだけが、「南楊州総合撮影所」が使われていたということなんです。
最後に控えしは、懐かしいドラマの懐かしいあのシーンの場所です。
今回の「王女の男」では、国王が娘の王女の勉強ぶりを抜き打ちで見に来たというシーンでのこの場所。
撮影所のセットではありません、この場所は水原にある「華城行宮」です、そして、この場所で過去に撮られたシーンがこちらになります。
「チャングムの誓い」で、医女試験の合格発表が貼り出され、合格に喜んでいたというシーンが撮影された場所というわけです。
自分が見つけただけでも過去のドラマとの共通の場所がこんなに! それよりも何よりも、撮影所から観光地まで、以前にも紹介している「江陵」の伝統家屋や「扶安映像テーマパーク」なども含まれますから、たったの1話だけでこんなに多種多様の場所が撮影に使われていたということの方が驚きです。
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『王女の男』の第1話で、美しい景観を見せていた「広寒楼苑」
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-09
昨日の記事、前のページでは「七夕伝説」由来の石橋のことを書かせてもらいました。そしてその石橋が存在する美しい庭園や大きな楼閣の姿も、やはり韓国を代表する伝統的な美のひとつと言えるでしょう。それが全羅北道 南原(ナムウォン)市にある「広寒楼苑(クァンハルルウォン)」です。今年は韓国の観光PRでは「全羅北道 訪問の年」となっていますが、その全羅北道を代表する観光地が、「全州」の韓屋とここ「広寒楼苑(クァンハルルウォン)」で、ひとつだけの観光地とすれば、全羅北道で最も多くの観光客が訪れる名所となっているんだそうです。「王女の男」TV画面より この庭園は、当初、「広通楼」という名前で、1419年朝鮮時代初期の宰相である「黃喜」という人物によって造られたものらしいのですが、1444年に「鄭麟趾(チョン・インジ)」という人物がここを見て、あまりのその美しさに、まるで月の世界にある宮殿「広寒清虚府」のようだ、と言ったことからここを「広寒楼」と呼ぶようになったんだそうです、…とあちこちに書いてあります(笑) 韓国では宮廷以外の場所での大庭園はなかなか存在していない中、この庭園は宮廷にも劣らない規模を誇っているという、韓国を代表する大庭園なのですが、植えられた樹木が、宮廷のような人工的な感じではなく、自然の中の樹木のような風情や景観を見せているため、その美しさはひときわのようです。 この「広寒楼苑」は昨日も少し書きましたが、天空、つまり天体である大宇宙を表現しているのだそうです。ドラマ「王女の男」の中で、世子が弓を射っていた場所が、ここを代表する建造物である「広寒楼(クァンハルル) 」です。そしてその楼閣を中心にして、東西100メートル、南北59メートルという長方形の人口池が築かれ、その池の中に「永住(漢拏山)」、「蓬莱(金剛山)」、「方丈(智異山)」という三神山に見立てた島が築かれた形になっています。つまり、大宇宙の中に、日本で言えば三霊山が存在するという形です。 世子が射た矢の的が置かれていたのが、ちょうど「蓬莱(金剛山)」と「方丈(智異山)」という二つの島を結ぶ橋になっています。 そして、この池の中には3,000匹という、在来の鯉や錦鯉が放されているんだそうです。かなり以前にどこやらで話題になってましたが、〝人面魚〟の鯉も10匹存在しているんだそうですよ。 ところで、ここ、以前は「屋根裏部屋の皇太..
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gg-doara
2012-07-09T19:14:53+09:00
そしてその石橋が存在する美しい庭園や大きな楼閣の姿も、やはり韓国を代表する伝統的な美のひとつと言えるでしょう。
それが全羅北道 南原(ナムウォン)市にある「広寒楼苑(クァンハルルウォン)」です。
今年は韓国の観光PRでは「全羅北道 訪問の年」となっていますが、その全羅北道を代表する観光地が、「全州」の韓屋とここ「広寒楼苑(クァンハルルウォン)」で、ひとつだけの観光地とすれば、全羅北道で最も多くの観光客が訪れる名所となっているんだそうです。
「王女の男」TV画面より
この庭園は、当初、「広通楼」という名前で、1419年朝鮮時代初期の宰相である「黃喜」という人物によって造られたものらしいのですが、1444年に「鄭麟趾(チョン・インジ)」という人物がここを見て、あまりのその美しさに、まるで月の世界にある宮殿「広寒清虚府」のようだ、と言ったことからここを「広寒楼」と呼ぶようになったんだそうです、…とあちこちに書いてあります(笑)
韓国では宮廷以外の場所での大庭園はなかなか存在していない中、この庭園は宮廷にも劣らない規模を誇っているという、韓国を代表する大庭園なのですが、植えられた樹木が、宮廷のような人工的な感じではなく、自然の中の樹木のような風情や景観を見せているため、その美しさはひときわのようです。
この「広寒楼苑」は昨日も少し書きましたが、天空、つまり天体である大宇宙を表現しているのだそうです。
ドラマ「王女の男」の中で、世子が弓を射っていた場所が、ここを代表する建造物である「広寒楼(クァンハルル) 」です。
そしてその楼閣を中心にして、東西100メートル、南北59メートルという長方形の人口池が築かれ、その池の中に「永住(漢拏山)」、「蓬莱(金剛山)」、「方丈(智異山)」という三神山に見立てた島が築かれた形になっています。
つまり、大宇宙の中に、日本で言えば三霊山が存在するという形です。
世子が射た矢の的が置かれていたのが、ちょうど「蓬莱(金剛山)」と「方丈(智異山)」という二つの島を結ぶ橋になっています。
そして、この池の中には3,000匹という、在来の鯉や錦鯉が放されているんだそうです。
かなり以前にどこやらで話題になってましたが、〝人面魚〟の鯉も10匹存在しているんだそうですよ。
ところで、ここ、以前は「屋根裏部屋の皇太子」というドラマが撮影されたというロケ地でもあるそうなのですが、あいにく自分はそのドラマを知りません。
見たことのある方にとっては、「あー、あの場面だ」と思い当たる風景かもしれません。
韓国を代表する伝統庭園である「広寒楼苑(クァンハルルウォン)」、ドラマを見ていたらついつい行きたくなってきてしまいますが、ここへのアクセスとなる「南原(ナムウォン)駅」はKTXも停車しますし、全州からのバスでのアクセスもいいかもしれません。
夜のライトアップされた風景もすばらしいようですので、夏の旅行にはちょうどいい観光名所になりそうです。
自分ももっと早くここを知っていたら、昨年の旅行で全州から行きたかったなと、ちょっとばかり残念な思いをしています。
韓国観光公社案内
http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=282137
南原市の観光サイト
http://jp.namwon.go.kr/jp/index.jsp
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『王女の男』に登場した宮廷庭園の石橋は、「七夕伝説」にまつわる〝愛の橋〟
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-08
いよいよ始まりました「王女の男」、比較的時代劇の場合は韓国で人気があったものは、日本でもかなり期待できるので今後の展開が楽しみです。24話完結なので、テンポよくイライラなしのドラマ展開がされそうってところが、自分みたいな短気な野郎にはもってこいのドラマかもしれません(笑)だけど、どうもNHKさんの吹き替えには辟易ですねえ、特にあの世子の声ったらまるっきりアニメの少年だっせ、とにかく吹き替えが全体的な雰囲気をぶち壊してる気がしてならないのは自分だけですか? さてさて、その「王女の男」開始後の一発目は、見事な庭園を見せていた「広寒楼(クァンハルル) 」の話題からいきたいと思います。ただし、その庭園やら全てを含めた「広寒楼」は次の話題に持ち越しさせていただいて、今日のところは見事な風景を演出していた池に架かる長い石橋の話題にしたいと思います。 ちょうど昨日は七月七日の七夕でしたから、話題としてはとってもタイムリーだと思うのですが… 王女たちが渡っていた長くて見事な石橋、名前を「烏鵲橋(オジャッキョ)」といいます、なんとまあ難しい漢字ですが、日本語では〝うじゃくきょう〟と読みます。烏鵲(うじゃく)とは鳥のカササギ、韓国ではカラスの代わりにやたら目にする白と黒の鳥の名前です。 なんでこんなカラスの親戚の名前が付けられてるのか(?)と調べましたら、そこには意味があったんですよねえ、それが七夕(たなばた)に関わることなんです。 古代中国に、カササギは〝七夕の夜に橋を作る〟という伝説があって、そこからこの橋の名前は由来しているようです。自分が読んだものにはどこにもそんなことは書いてありませんでしたが、多分そうだと思います、という、いい加減無責任なおいらですが、多分正解だと思いますよ、なんたって韓国ってけっこう古代中国の伝説を取り入れています。 そして何よりも、この庭園自体が天空を表現している庭園なんです、そして空にある川と言えば(?) んだ、「天の川」ですよねえ、そんでもって七夕の夜にカササギが橋を作れば、渡るのは彦星さんと織姫星さん、この織女と牽牛の伝説自体が古来中国のものなんですねえ。ということで、カササギが作った橋という意味があるということになります。 回りくどく書きましたが、この「烏鵲橋」は天の川に架かる橋を表現しているものらしいのです、だけど天の川は年に一度しか渡れませんが、..
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gg-doara
2012-07-08T22:03:24+09:00
24話完結なので、テンポよくイライラなしのドラマ展開がされそうってところが、自分みたいな短気な野郎にはもってこいのドラマかもしれません(笑)
だけど、どうもNHKさんの吹き替えには辟易ですねえ、特にあの世子の声ったらまるっきりアニメの少年だっせ、とにかく吹き替えが全体的な雰囲気をぶち壊してる気がしてならないのは自分だけですか?
さてさて、その「王女の男」開始後の一発目は、見事な庭園を見せていた「広寒楼(クァンハルル) 」の話題からいきたいと思います。
ただし、その庭園やら全てを含めた「広寒楼」は次の話題に持ち越しさせていただいて、今日のところは見事な風景を演出していた池に架かる長い石橋の話題にしたいと思います。
ちょうど昨日は七月七日の七夕でしたから、話題としてはとってもタイムリーだと思うのですが…
王女たちが渡っていた長くて見事な石橋、名前を「烏鵲橋(オジャッキョ)」といいます、なんとまあ難しい漢字ですが、日本語では〝うじゃくきょう〟と読みます。
烏鵲(うじゃく)とは鳥のカササギ、韓国ではカラスの代わりにやたら目にする白と黒の鳥の名前です。
なんでこんなカラスの親戚の名前が付けられてるのか(?)と調べましたら、そこには意味があったんですよねえ、それが七夕(たなばた)に関わることなんです。
古代中国に、カササギは〝七夕の夜に橋を作る〟という伝説があって、そこからこの橋の名前は由来しているようです。
自分が読んだものにはどこにもそんなことは書いてありませんでしたが、多分そうだと思います、という、いい加減無責任なおいらですが、多分正解だと思いますよ、なんたって韓国ってけっこう古代中国の伝説を取り入れています。
そして何よりも、この庭園自体が天空を表現している庭園なんです、そして空にある川と言えば(?) んだ、「天の川」ですよねえ、そんでもって七夕の夜にカササギが橋を作れば、渡るのは彦星さんと織姫星さん、この織女と牽牛の伝説自体が古来中国のものなんですねえ。
ということで、カササギが作った橋という意味があるということになります。
回りくどく書きましたが、この「烏鵲橋」は天の川に架かる橋を表現しているものらしいのです、だけど天の川は年に一度しか渡れませんが、こちらの天の川に架かる「烏鵲橋」は、いつでも何度でも渡ることができます。
そして韓国では知らない人はいないといわれる、「春香伝」という愛の小説の舞台として有名な場所なんだそうです。
そんなことから、文明が進んだこの現代でも、恋人達を結ぶ〝愛の橋〟として、それこそ愛を育む都市伝説のパワースポットとして語り継がれている橋でもあるんです。
恋人同士を結びつけるだけじゃない、夫婦和合、言い換えれば子宝も授かるというとっても有り難い橋だそうで、年に一度以上渡れば子供が授かるそうですよ、お年寄りのご夫婦なんかは一度渡るくらいにしとかなきゃ大変ですよねえ、80過ぎて子宝にめぐまれちゃったよーって(笑)
一説には、処女でない女性が渡れば橋が崩れるなんて言い伝えもあったりするそうで、昨今の事情を考えたらとうにこの橋は崩れ去ってます
でもこれは無いっしょ、それじゃ夫婦和合と噛み合わんだろうってことになっちゃいます
なんにしても、早い話が〝縁結び〟&〝子宝祈願〟というところ、過去の逸話から結びつける都市伝説のスポット、どこの国でもこういうのはおんなじみたいですね
なんでもこの石橋は幅が2.4メートル、長さが57メートルもあるそうで、韓国の庭園に架けられた石橋としては最長の長さを誇っているそうです。
しかも、広寒楼などの建物は壬辰倭乱(イムジンワラン)で消失して1626年に復元されてますが、この「烏鵲橋」だけは最初の1419年当時のままの姿を残しているといいます。
「王女の男」は韓国の伝統的な美しい姿を映像の中で随所に見せてくれるようです。
その最初ともいう美しい伝統庭園の姿、そしてそこに架かる石橋は、古い〝七夕伝説〟にまつわる韓国を代表する石橋だったのです。
そして昔も今も変わらない愛の願いが込められた橋でした。
では今日のところは「七夕」の翌日ってことで、それにまつわる橋の話題にしましたが、次回は「広寒楼(クァンハルル)」苑自体を話題にしたいと思います。
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【韓ドラ雑記】 あのドラマのあの人の、意外な姿で見始めた 現代ドラマ「私の心が聞こえる?」
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-07
自分が連続して視聴する韓国の現代ドラマなんて、ほんの稀で、続けて見る気になるなんてのは年に数作程度。昨年に見たドラマは、「赤と黒」と「明日に向かってハイキック」と、ってな感じで、すぐに指折り数えられてしまえます そして今年はもう半分が過ぎたのに、時代背景的に完全な現代ドラマと言える作品はひとつも無いという状況だったのですが、ここにきて今年初の連続して見始めた現代ドラマがあります。とはいっても、見始めたのは第8話目からで、まだホカホカもホカホカ、今週からなんですよね。 主人公が耳が聞こえないとかいう、テレビ予約の解説を見てちょっと興味が沸き、その主役が一昨年の「韓国地上軍フェスティバル」で、直に〝キラースマイル〟を目にしたキム・ジェウォンということで、「この人ドラマに復帰したんだぁ」という、そんな興味からちょっと録画して見てみることにしたんです。そうしたら、多分これは最終回まで続けて見る今年初の現代ドラマということになりそうです。それが「私の心が聞こえる?」というドラマです。 もちろん韓国ドラマですから(?)、復讐とか複雑な人間模様とかありますが、ドロドロ感がなくってなんやらホンワカしていて、なんとなくあったかい感があるんですよ。自分が視聴する韓国の現代ドラマは、何故だか韓国ではあまり視聴率が振るわなかったものが多いのですが、やっぱりこのドラマもそのようです。現代ドラマに限っては、どうも韓国の皆さんの嗜好と自分の嗜好は一致してないようで(笑)、このドラマも韓国人よか日本人向きのドラマではないかと思っている次第です、自分が日本人代表ってわけではないですが(当然です!) ところで、このドラマのあっかい感を出しているのが、意外な人物なんですよねえ、以前にも書きましたが、この人ったらいったいどれだけの顔があるんだろうって感じです。確かによくよく見れば、顔のつくりは同じなんですよぉ(あったりまえじゃい!)、なのによくもこんなに変身ができるものだと感心してしまいます。 その人の名は「チョン・ボソク」、前にも書きました、「明日に向かってハイキック」のちょっと頼りないお間抜けな父親が、「ジャイアント」でのあの冷徹なチョ・ピルヨンだっていうことで驚いたものです。そうしたら、その昔は「大祚榮(テジョヨン)」で、爬虫類のような憎々しい顔のイ・ヘゴをやってた人だぁ、「商道(サンド)」でも冷たいライバルのチョン・チスを演じてた..
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gg-doara
2012-07-07T16:19:51+09:00
昨年に見たドラマは、「赤と黒」と「明日に向かってハイキック」と、ってな感じで、すぐに指折り数えられてしまえます
そして今年はもう半分が過ぎたのに、時代背景的に完全な現代ドラマと言える作品はひとつも無いという状況だったのですが、ここにきて今年初の連続して見始めた現代ドラマがあります。
とはいっても、見始めたのは第8話目からで、まだホカホカもホカホカ、今週からなんですよね。
主人公が耳が聞こえないとかいう、テレビ予約の解説を見てちょっと興味が沸き、その主役が一昨年の「韓国地上軍フェスティバル」で、直に〝キラースマイル〟を目にしたキム・ジェウォンということで、「この人ドラマに復帰したんだぁ」という、そんな興味からちょっと録画して見てみることにしたんです。
そうしたら、多分これは最終回まで続けて見る今年初の現代ドラマということになりそうです。
それが「私の心が聞こえる?」というドラマです。
もちろん韓国ドラマですから(?)、復讐とか複雑な人間模様とかありますが、ドロドロ感がなくってなんやらホンワカしていて、なんとなくあったかい感があるんですよ。
自分が視聴する韓国の現代ドラマは、何故だか韓国ではあまり視聴率が振るわなかったものが多いのですが、やっぱりこのドラマもそのようです。
現代ドラマに限っては、どうも韓国の皆さんの嗜好と自分の嗜好は一致してないようで(笑)、このドラマも韓国人よか日本人向きのドラマではないかと思っている次第です、自分が日本人代表ってわけではないですが(当然です!)
ところで、このドラマのあっかい感を出しているのが、意外な人物なんですよねえ、以前にも書きましたが、この人ったらいったいどれだけの顔があるんだろうって感じです。
確かによくよく見れば、顔のつくりは同じなんですよぉ(あったりまえじゃい!)、なのによくもこんなに変身ができるものだと感心してしまいます。
その人の名は「チョン・ボソク」、前にも書きました、「明日に向かってハイキック」のちょっと頼りないお間抜けな父親が、「ジャイアント」でのあの冷徹なチョ・ピルヨンだっていうことで驚いたものです。
そうしたら、その昔は「大祚榮(テジョヨン)」で、爬虫類のような憎々しい顔のイ・ヘゴをやってた人だぁ、「商道(サンド)」でも冷たいライバルのチョン・チスを演じてた人やんけ!ってことで、あの「明日に向かってハイキック」の父親役が信じられへん!!!と、もっと〝びっくりマーク〟を付けたいくらいの驚きでした。
「明日に向かってハイキック」より
ところが、今度はその上を行く〝びっくりマーク〟をいくつ付けたらいいねんッ!という役で、しかもそれがまたよく似合ってる。
知的障害をもち無邪気な子供のような父親役、しかも実の子でない娘や家出した実の息子(だと思ってる)を誰よりも愛する、純粋でとってもやさしい役なんです、この人を見ながらついつい笑顔になっている自分がいます。
このチョン・ボソクが演じる父親のポン・ヨンギュが、このドラマをとっても暖かいものにしているんですよねぇ!
確かに悪役の時の、あの爬虫類顔なんです(笑)、それなのにその同じ顔で、どうやったらこんな暖かい人間味が出せるんだろうって、もう驚きを通り越している自分です。
そんなんで、もうこのドラマから目が離せなくなってしまった自分になってしまいましたー
「商道(サンド)」を見たことのある人
「大祚榮(テジョヨン)」を見たことのある人
「ジャイアント」を見たことのある人
ぜひぜひこの「私の心が聞こえる?」を、ドラマの好き嫌いに関係なく一度試しに見てやってください、きっと自分と同じ〝信じられへん!〟を味わうと思いますよ
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「王女の男」の時代背景から 「定順王后」を支えた韓国(朝鮮)らしい〝女性パワー〟
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-06
よく韓国の人たちの気質で、「他人の領域に遠慮なく入り込んでくる」なんて言われることがあります。日本人から見ると「うっとうしい!」 と感じたりもしがちですが、その裏を返せば「他人のことだろうがほっとけない」みたいな世話好きな一面と捉えることもできます。特に、少しばかりご年配の女性ともなれば、そんな傾向が強くなったりもします、どことなく関西人の気質に似ているような(?)気もしなくはない。 前のページで書いたように、夫の端宗(タンジョン)こと魯山君(ノサングン)も亡くなり、格も落とされ宮中も出て、庶民の生活を強いられることになった定順王后(チョンスンワンフ)と三人の侍女、魯山君の菩提を弔い冥福を祈っていれば、腹も減らなきゃ食い物もいらないというわけにはいきません、ごく普通の人間なんですから、とにかく貧しいながらも生活を始めます。 そんな姿に同情を募らせ、庶民達の間で噂が広まって困るのは、世祖を筆頭にした朝廷側のやからです。民心が同情に傾いてしまえば、後ろ暗い自分たちなのですから、あくまで反逆者の妻でいてもらいたいわけです。そこで、建物を与えて面倒をみようと持ちかけますが、断固拒否されてはどうしようもできない。 ただ、王后の方も、仇である朝廷の援助は受けたくはないものの、意地だけでは食べていけませんから、リボンなどのちょっとした布の小物を作っては近所で売ったりして食い繋いでいきます。しかし女四人が食べていくのはやはり無理がありますから、食うや食わずの苦しい生活を強いられることになってしまいます。 そんな様子を目にし、耳にした近所の庶民の皆様が見兼ねて救いの手を差し伸べます。内緒で少ないながらも食べ物などを運んでくれるようになります、しかし、朝廷の目がありますから大っぴらにはできません。何しろ王后は朝廷側にとっては〝要注意人物〟なのですから、親しくしていつも援助するなんてことはできません。それこそ目を盗むようにして、こっそりと庵の前に置いてくるとか、そんなことしかできないのですが、しかしそれすらもなかなか容易なことではないのです。 そこで女性たちは考えた! そしてなんとか王后を援助する方法はないものかと考え抜いて、ついに絶妙な方法を思いついたのです。 大勢の女性だけが集まり、女性だけで売り買いをする市場を、王后の庵の側で立ち上げることにしました。もちろんそこは〝8歳以上の男子禁制〟として、朝廷の役人だろうが..
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gg-doara
2012-07-06T17:00:00+09:00
日本人から見ると「うっとうしい!」 と感じたりもしがちですが、その裏を返せば「他人のことだろうがほっとけない」みたいな世話好きな一面と捉えることもできます。
特に、少しばかりご年配の女性ともなれば、そんな傾向が強くなったりもします、どことなく関西人の気質に似ているような(?)気もしなくはない。
前のページで書いたように、夫の端宗(タンジョン)こと魯山君(ノサングン)も亡くなり、格も落とされ宮中も出て、庶民の生活を強いられることになった定順王后(チョンスンワンフ)と三人の侍女、魯山君の菩提を弔い冥福を祈っていれば、腹も減らなきゃ食い物もいらないというわけにはいきません、ごく普通の人間なんですから、とにかく貧しいながらも生活を始めます。
そんな姿に同情を募らせ、庶民達の間で噂が広まって困るのは、世祖を筆頭にした朝廷側のやからです。
民心が同情に傾いてしまえば、後ろ暗い自分たちなのですから、あくまで反逆者の妻でいてもらいたいわけです。
そこで、建物を与えて面倒をみようと持ちかけますが、断固拒否されてはどうしようもできない。
ただ、王后の方も、仇である朝廷の援助は受けたくはないものの、意地だけでは食べていけませんから、リボンなどのちょっとした布の小物を作っては近所で売ったりして食い繋いでいきます。
しかし女四人が食べていくのはやはり無理がありますから、食うや食わずの苦しい生活を強いられることになってしまいます。
そんな様子を目にし、耳にした近所の庶民の皆様が見兼ねて救いの手を差し伸べます。
内緒で少ないながらも食べ物などを運んでくれるようになります、しかし、朝廷の目がありますから大っぴらにはできません。
何しろ王后は朝廷側にとっては〝要注意人物〟なのですから、親しくしていつも援助するなんてことはできません。
それこそ目を盗むようにして、こっそりと庵の前に置いてくるとか、そんなことしかできないのですが、しかしそれすらもなかなか容易なことではないのです。
そこで女性たちは考えた! そしてなんとか王后を援助する方法はないものかと考え抜いて、ついに絶妙な方法を思いついたのです。
大勢の女性だけが集まり、女性だけで売り買いをする市場を、王后の庵の側で立ち上げることにしました。
もちろんそこは〝8歳以上の男子禁制〟として、朝廷の役人だろうが誰だろうが、男という男は一切排除するという方法をとったのです。
後世に伝わる 『女人市場』 の誕生です。
こうして女性だけの市場が出現し、野菜や穀物などを売り買いするという名目の元、役人の目も気にすることなく侍女を介して、王后に食べ物などの援助ができるようになりました。
まさしく韓国(朝鮮)の女性パワー発揮といったところです。
朝鮮時代なんてのは、男尊女卑が顕著な時代です、そんな時代にこんなことができたのは、よっぽと大勢の女性の力が結集されたに違いありません。
それくらいに王后の姿は傍目にも放ってはおけないほど、痛ましくも健気に映っていたのでしょう、特に同じ女性の目には。
朝廷がどうであろうが、もう民心は端宗や定順王后への同情心でいっぱいだったのだろうと思います。
日本でいえば、あの「赤穂浪士」に同情し応援した、お江戸の皆様方と似たような庶民の感情だったのかもしれません。
こうして、定順王后は庶民の力を借りながら、82歳という生涯を終えました、まるで端宗の分の寿命も半分引き受けたような、当時としては天寿を全うしたと言えるのではないでしょうか。
しかしそれも、64年間を支え続けた、朝鮮の〝女性パワー〟があったればこそだったのです。
その市場があった場所は、現在は小学校になっていて、碑のみが残されているそうです。
悲劇の幼き国王「端宗」と「定順王后」の話題は、一旦ここで休止です、またドラマ「王女の男」の展開とともに、この「端宗」を含めた〝「王女の男」の時代背景〟の話題を書いていきたいと思っています。
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「王女の男」の時代背景から 「端宗(魯山君)」の妻「定順王后」は、60年以上も冥福を祈るだけの哀しい〝未亡人〟
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-05
ソウルの都心にその姿を甦らせた「清渓川(チョンゲチョン)」、散策というよりも、ほんの少し歩いてみたのは三度ばかりあります。ここって後から後から、こういうものがあるとかって知って、「ヘェー、そうなんだ」と改めて思うことがよくあります。 ここに架かる橋にもこんな話が残っているなんてことは、今回になって初めて知りました。いや、本当は、きっと以前にも観光の記事で目にしていたのかもしれない、だけど、こういうのは決まってざっと読む程度ですから、こうして改めて興味を持って調べないと意識なんてしないものです。 この「清渓川」に架かる橋のひとつに「永渡橋(ヨンドギョ)」という橋があるそうです。きっと自分も実際に目にしたことがあるのかもしれませんが、「清渓川」の畔を歩く際に上に架かっている橋のひとつですから、これまでそんな橋をまったく意識したことなんてありません。しかも、昔ながらの風情を残すような橋とかいうのなら、多少は風景のひとつとして目にもとまるのでしょうが、普通の橋のひとつでは意識しろという方が無理というものです。 この「清渓川」に架かる橋のひとつにすぎなかった「永渡橋(ヨンドギョ)」が、悲劇の幼き国王「端宗(タンジョン)」にまつまる名前が付けられていた橋だったなんて知りませんでした。っていうか、これまで「端宗」自身を知ろうとしたことがありませんでしたから、当然のことですけどね、こうやってドラマで興味を持たないと調べない、韓国知識を増やすもドラマ次第という困った人間です(笑) さてその「「永渡橋(ヨンドギョ)」、流刑になる端宗とその妻である「定順王后(チョンスンワンフ)」はここで別れたのだと言われます。流刑になる「端宗」がこの橋を渡り、そのたもとで涙ながらに見送るしかない「定順王后」、想像するとドラマの感動シーンにもなりそうな絵です。そして「端宗」は流刑地である寧越(ヨンウォル)でそのまま賜死しますから、永遠にこの橋をまた渡って戻ることはなかったわけです。 そこで付いた名前が「永渡橋」 〝永久に渡る橋〟という意味なんだということです。でもね、〝永久に渡る橋〟って自分としては納得がいかない、〝永遠に渡ったままの橋〟ではないかい(?)そんなこたあどうでもいいとして、「端宗」は二度とこの橋を再び渡って「定順王后」の元へ戻ることはなかったんです。この時に妃である「定順王后」は16歳か17歳、そして、「端宗」が賜死したのが..
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gg-doara
2012-07-05T18:50:48+09:00
ここって後から後から、こういうものがあるとかって知って、「ヘェー、そうなんだ」と改めて思うことがよくあります。
ここに架かる橋にもこんな話が残っているなんてことは、今回になって初めて知りました。
いや、本当は、きっと以前にも観光の記事で目にしていたのかもしれない、だけど、こういうのは決まってざっと読む程度ですから、こうして改めて興味を持って調べないと意識なんてしないものです。
この「清渓川」に架かる橋のひとつに「永渡橋(ヨンドギョ)」という橋があるそうです。
きっと自分も実際に目にしたことがあるのかもしれませんが、「清渓川」の畔を歩く際に上に架かっている橋のひとつですから、これまでそんな橋をまったく意識したことなんてありません。
しかも、昔ながらの風情を残すような橋とかいうのなら、多少は風景のひとつとして目にもとまるのでしょうが、普通の橋のひとつでは意識しろという方が無理というものです。
この「清渓川」に架かる橋のひとつにすぎなかった「永渡橋(ヨンドギョ)」が、悲劇の幼き国王「端宗(タンジョン)」にまつまる名前が付けられていた橋だったなんて知りませんでした。
っていうか、これまで「端宗」自身を知ろうとしたことがありませんでしたから、当然のことですけどね、こうやってドラマで興味を持たないと調べない、韓国知識を増やすもドラマ次第という困った人間です(笑)
さてその「「永渡橋(ヨンドギョ)」、流刑になる端宗とその妻である「定順王后(チョンスンワンフ)」はここで別れたのだと言われます。
流刑になる「端宗」がこの橋を渡り、そのたもとで涙ながらに見送るしかない「定順王后」、想像するとドラマの感動シーンにもなりそうな絵です。
そして「端宗」は流刑地である寧越(ヨンウォル)でそのまま賜死しますから、永遠にこの橋をまた渡って戻ることはなかったわけです。
そこで付いた名前が「永渡橋」 〝永久に渡る橋〟という意味なんだということです。
でもね、〝永久に渡る橋〟って自分としては納得がいかない、〝永遠に渡ったままの橋〟ではないかい(?)
そんなこたあどうでもいいとして、「端宗」は二度とこの橋を再び渡って「定順王后」の元へ戻ることはなかったんです。
この時に妃である「定順王后」は16歳か17歳、そして、「端宗」が賜死したのがその年の10月ですから、いわゆる〝未亡人〟になってしまったのは多分17歳ということになります。
(注: 満年齢で書いていますので、数え年齢の記録とは異なる場合があります)
ちなみに、この「定順王后」は生まれた年は1440年ですが月日は定かではないんです。
まだ13歳か14歳で「端宗」の嫁さんになって、17歳で未亡人です、幸せな結婚生活を何十年も(?)続けてみえるえりなーさんやガリィママさん!想像できますかぁ?
「永渡橋」
この後がお気の毒なんです。
端宗が送られた寧越(ヨンウォル)の方角が見える東大門近くに草庵を築いて、侍女三人と端宗の冥福を祈りながら貧しい暮らしを始めたんだそうです。
そして朝夕と欠かさずその東にある「東望峰(ドンマンボン)~鍾路区(チョンノグ)崇仁洞(スンインドン)」に登っては、寧越の方を眺めて冥福を祈るのを忘れなかったと言われます、この場所の名前もそれにちなんでいるそうです。
そんな哀れな姿は近くの民たちの同情を誘い、その生活を助けたなどということも書かれていたりします。
それを見兼ねた朝廷が住まいを建てて援助しようとしたりしますが、定順王后は絶対にそれを拒んで、興仁門(フンインムン))近くにある東望峰(ドンマンボン)の西の下にあった「浄業院」でその後亡くなるまで過ごしたそうです。
もちろん、東望峰に登り端宗の冥福を祈るのも死ぬまで続けられたと伝えられています。
毎日冥福を祈ったという「東望峰」
4年にも満たない端宗との夫婦生活です、しかも10代で未亡人になり、亡くなったのが81歳か82歳です、それまでの64年余りを端宗に捧げ続けてその冥福を祈って生きていたなんて、本当に何のための人生だったんだか
なんでまたそんなに長生きしちゃったんでしょうねえ、それが余計に気の毒な気がします。
「定順王后」が暮らしたという「浄業院」の名残りは、現在の「青龍寺(チョンリョンサ)~ 鍾路区(チョンノグ)崇仁洞(スンインドン)」の脇に、碑閣のみがあるだけのようです。
この「青龍寺」は、端宗と定順王后が最後の夜を共にした場所だとも言われています(?)し、暮らした「浄業院」自体がここだと書かれたものもあります(?)
「端宗」と「定順王后」が最後を過ごしたと言われる「青龍寺の雨花楼」
そしてそこにある碑閣を築いたのが英祖王、そして墓石や懸け板などの文字も英祖王が書いたものだそうです。
さすがは「トンイ」の息子です、情に厚い一面が見られますよねえ、しかも「涙無しでは書けない」などという文字もあるそうで、やっぱり暖かい人間だったのかもしれません、息子は死なせてしまいましたが…。
「浄業院碑閣」
「英祖」の書とされるもの
ただ、この「定順王后」が暮らしたとされる「浄業院」は、尼寺で行き場の無い後宮たちが余生を過ごしたお寺の「正業院」と多くはなっていますが、「定順王后」の「浄業院」とその「正業院」とがごちゃ混ぜになっているようでよく分かりません。
世祖の即位三年目に、当時は廃止されていた、子供の無い後宮を集めた「正業院」というのを復活させたのは確かなようで、ただそれは昌徳宮の近くの城内にあったらしいということですから、どうやら哀れな宮廷女性が暮らしたお寺という共通点で一緒にされている感が強いみたいです。
「英祖」が築いた「浄業院」の碑閣そのものも、本来の「正業院」ではなく、定順王后が暮らしたとされる伝説的な場所に建てられたようです、ただ 自分は歴史家でもなんでもありませんので、とにかく「浄業院」と「正業院」そして「青龍寺」でこんがらがってます
なんにしても、10代で未亡人になり、剃髪して尼僧になり、たった4年弱というだけの夫「端宗」の冥福を祈る、それだけで64年余りを生きていた女性、端宗以上に哀れだと思います、妃候補に選ばれなかったらもっと別の人生があったはずですから。
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「王女の男」の時代背景から 「端宗(魯山君)」と『子規楼』の切ない話し
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-04
いよいよ、今度の日曜から「王女の男」が始まります。キム・スンユのこととか、フィクションでの部分は「ドラマだねえ」って思いながら、これから毎週楽しんでいけばいいのですが、自分としてはやっぱりノンフィクションの部分での歴史も気になるところです。 中でも、若干16歳という、まだ少年の時期に短い生涯を終えた、いえ、奪われた「端宗(タンジョン)」はとっても興味深い人物です。世子から国王へという、まだ少年とはいえ正当な後継者でありながら、理不尽な叔父によって奪われた人生、その哀れな生涯は計り知れないものがあります。ですから、少しばかりこの「端宗」のことを書いてみることにしました。 まだ11歳で父王が亡くなり国王となった「端宗」、幼い国王の場合は周囲の力が強ければなんとかなるものです。ところが、この「端宗」の場合はキム・ジョンソを始めとして、決して補佐する力が弱すぎたわけでもない、ただ、本来なら補佐してくれるべき叔父の権力欲が尋常ではなかったというのが、本当に不運だったとしか言いようがありません。 「首陽大君(スヤンテグン)」と廃位された我が(?)「光海君(クァンヘグン)」の違いってありますか?本来の後継者を殺戮と陰謀で抹殺したという点では、むしろ「首陽大君」の方が悪どい気がするのですが、これが歴史の上での勝者と敗者の違いなんでしょうね、歴史は時々の勝者が作り出すものの典型のような気がします。 さて、「端宗」ですが、叔父に尻を蹴飛ばされて追い出され、踏みにじられて(なんちゅう例えやねん)、1457年 6月に流刑の身となりますが、元々は「清冷浦(チョンリョンポ)」という、現在の江原道(カンウォンド)寧越(ヨンウォル)郡の南漢江上流地域でした。ところが、大洪水で清冷浦一帯が浸水してしまったために、寧越府の客舎「観風軒(クァンプンクォン)」に移ります。そして、降格され魯山君(ノサングン)」となった「端宗」の最期、毒薬での賜死(しし)の場所もこの「観風軒」ということになってしまいました、それが1457年12月24日(旧暦)のことです。 この「東軒」である客舎「観風軒」から500メートルほどの場所に「梅竹楼(メズックル)という楼閣があります。寧越(ヨンウォル)に移って来てからの魯山君は、よくこの楼閣にいたそうです。そして都を思い、生き別れた妻を思い、何よりも自分の運命をどんなにか嘆き悲しんだことか、ましてやまだ少年という身..
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gg-doara
2012-07-04T08:00:00+09:00
キム・スンユのこととか、フィクションでの部分は「ドラマだねえ」って思いながら、これから毎週楽しんでいけばいいのですが、自分としてはやっぱりノンフィクションの部分での歴史も気になるところです。
中でも、若干16歳という、まだ少年の時期に短い生涯を終えた、いえ、奪われた「端宗(タンジョン)」はとっても興味深い人物です。
世子から国王へという、まだ少年とはいえ正当な後継者でありながら、理不尽な叔父によって奪われた人生、その哀れな生涯は計り知れないものがあります。
ですから、少しばかりこの「端宗」のことを書いてみることにしました。
まだ11歳で父王が亡くなり国王となった「端宗」、幼い国王の場合は周囲の力が強ければなんとかなるものです。
ところが、この「端宗」の場合はキム・ジョンソを始めとして、決して補佐する力が弱すぎたわけでもない、ただ、本来なら補佐してくれるべき叔父の権力欲が尋常ではなかったというのが、本当に不運だったとしか言いようがありません。
「首陽大君(スヤンテグン)」と廃位された我が(?)「光海君(クァンヘグン)」の違いってありますか?
本来の後継者を殺戮と陰謀で抹殺したという点では、むしろ「首陽大君」の方が悪どい気がするのですが、これが歴史の上での勝者と敗者の違いなんでしょうね、歴史は時々の勝者が作り出すものの典型のような気がします。
さて、「端宗」ですが、叔父に尻を蹴飛ばされて追い出され、踏みにじられて(なんちゅう例えやねん)、1457年 6月に流刑の身となりますが、元々は「清冷浦(チョンリョンポ)」という、現在の江原道(カンウォンド)寧越(ヨンウォル)郡の南漢江上流地域でした。
ところが、大洪水で清冷浦一帯が浸水してしまったために、寧越府の客舎「観風軒(クァンプンクォン)」に移ります。
そして、降格され魯山君(ノサングン)」となった「端宗」の最期、毒薬での賜死(しし)の場所もこの「観風軒」ということになってしまいました、それが1457年12月24日(旧暦)のことです。
この「東軒」である客舎「観風軒」から500メートルほどの場所に「梅竹楼(メズックル)という楼閣があります。
寧越(ヨンウォル)に移って来てからの魯山君は、よくこの楼閣にいたそうです。
そして都を思い、生き別れた妻を思い、何よりも自分の運命をどんなにか嘆き悲しんだことか、ましてやまだ少年という身では耐え難い思いでいたと思います。
この「梅竹楼」でいくつかの詩を作ったと言われています、それが「莊陵(チャンルン)誌」に刻まれた「端宗子規詩」です。
そして、日本でもドラマなどで知られるその詩のひとつがこれです。
『一自寃禽出帝宮 孤身隻影碧山中 假面夜夜眠無假 窮恨年年恨不窮
聲斷曉岑殘月白 血流春谷洛花紅
天聲尙未聞哀訴 何奈愁人耳獨聽』
なんのこっちゃねん!ですよね、これの韓国の方の訳詩をまた自分なりの表現に置き換えて、日本語の詩にしてみました。
『無念の思いを胸に 宮を追われし一羽の鳥
孤独なその身に慕う影も無く ただ彷徨う碧(あお)い山の中
幾夜訪れども 安らぐ眠りはかなわず
幾年過ぎれども 我がこの悔しき思いは果て無し
ホトトギスの声が途絶えし暁の峰に 月の明かりは白く
血を撒いたかの如く散る花のみが 赤き春の谷
天に我が声は聞こえず 我が哀しき願いは届かぬ
何故に愁い多き人の耳さえ このように聞こえしものを
これが十代の少年の詩? そうは思えません、そして何とも切ないです。
万物を見下ろす天には耳が無く何も聞こえないのですか? こんなに哀しく切なる声も聞いてもらえないなんて…、愁いばかりの人間でしかない自分の耳でさえこんなに聞こえるのに…。
孤独と悔しさに満ちたこの自分をなんとかしたい、だけど何もできない、そんなジレンマがヒシヒシと伝わってきそうです。
この魯山君がよく訪れていた「梅竹楼」は、ホトトギスの鳴き声がよく聞かれたんだそうです。
ホトトギスは〝鳴いて血を吐く〟と言われます。
実際に血を吐くわけではありませんが、口の中が赤いことや鳴き声から故事でそんな言い伝えがあるようです。
そんなホトトギスを、苦しみの中であえぐ自分と重ね合わせていたのかもしれません。
魯山君の死後、この「梅竹楼」は「子規楼」と呼ばれるようになりました。
〝子規〟はホトトギスの別名です、寧越の人々はこの楼閣に、残酷な運命に翻弄された「魯山君」の姿を偲んだのだと思います、ホトトギスの鳴き声とともに…。
魯山君の話はまだもう少し続きます。
「子規楼」と「梅竹楼」の二枚の懸け板
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この際だから行っておきたい! 「王の男」から「王女の男」まで、 韓国時代劇でお馴染みの あの撮影セット 兼 テーマパーク
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-07-01
今年の韓国は「全羅北道(チョルラプクト) 訪問の年」なんだそうです。最近の韓国ではもう聞き慣れた「○○訪問の年」と銘打った観光PRですから、別に特別な関心を持つようなこともないのですが、この「全羅北道」は見応えのある観光地はいくつもあります。自分もこの地域では「全州(チョンジュ)」を訪れました、そして、自分が撮影地という目的で初めて訪れた「高敞(コチャン)」もここ全羅北道にあります。 韓国の西側に位置した地域で、鉄道などの交通面なども充実していますから、東側に比べるとソウルからのアクセスも比較的に楽な地域ではあります。とは言っても、KTXを利用できてアクセスし易い場所もあれば、やはりソウルからバスで3時間以上はかかる場所もあるわけです。 その全羅北道にある「扶安(プアン)郡」、西側の海に面していて、ちょうど高敞郡の北側にあるのですから、自分としては近くまで行っていながらまだ未開の(?)地となっている中途半端な場所です。そんな観光ルートとしては中途半端な場所に、自分としては以前から気になっていたテーマパークがあります。そのテーマパークの名は「扶安映像テーマパーク」 以前の「推奴(チュノ)」の撮影地などでちょくちょく名前は出てきていましたが、なぜだか後回しになってしまってまだ行ったことがないという、〝韓国の撮影地おバカ〟の自分としては、「ここへ行ってないというのはちょっと片手落ち、名折れじゃないか」と思っている場所なんです。 ただ自分の場合は、滞在期間の少ない数日のうちに多くを見たいという欲張りな人間なので、その目的地の近所に別の名所があればそれも見たい、次の目的地に移動ができればしておきたい、そんなふうに思ってしまって、これまでは二の足を踏んでいました。でもまあ、「全羅北道訪問の年」でもあるし(笑)、しかも最近話題の「王女の男」や「根の深い木」も関係してくるとなれば、ちょっとばかり放ってはおけないという気持ちにもなってきています さて、この「扶安映像テーマパーク」、こうした撮影のセットを兼ねたテーマパークとして2005年の夏にオープンしました。2万7千坪という土地の中に専門家の考証のもと、宮廷、工房(昔の土木担当官庁)、漢方村、両班の屋敷、市場街などが築かれ、中でも宮廷の建物は、「景福宮」や「昌徳宮」などの建物を3分の2の大きさに縮小して建てられたという優れものとしてスタートしました。 画像などから..
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gg-doara
2012-07-01T04:41:45+09:00
最近の韓国ではもう聞き慣れた「○○訪問の年」と銘打った観光PRですから、別に特別な関心を持つようなこともないのですが、この「全羅北道」は見応えのある観光地はいくつもあります。
自分もこの地域では「全州(チョンジュ)」を訪れました、そして、自分が撮影地という目的で初めて訪れた「高敞(コチャン)」もここ全羅北道にあります。
韓国の西側に位置した地域で、鉄道などの交通面なども充実していますから、東側に比べるとソウルからのアクセスも比較的に楽な地域ではあります。
とは言っても、KTXを利用できてアクセスし易い場所もあれば、やはりソウルからバスで3時間以上はかかる場所もあるわけです。
その全羅北道にある「扶安(プアン)郡」、西側の海に面していて、ちょうど高敞郡の北側にあるのですから、自分としては近くまで行っていながらまだ未開の(?)地となっている中途半端な場所です。
そんな観光ルートとしては中途半端な場所に、自分としては以前から気になっていたテーマパークがあります。
そのテーマパークの名は「扶安映像テーマパーク」
以前の「推奴(チュノ)」の撮影地などでちょくちょく名前は出てきていましたが、なぜだか後回しになってしまってまだ行ったことがないという、〝韓国の撮影地おバカ〟の自分としては、「ここへ行ってないというのはちょっと片手落ち、名折れじゃないか」と思っている場所なんです。
ただ自分の場合は、滞在期間の少ない数日のうちに多くを見たいという欲張りな人間なので、その目的地の近所に別の名所があればそれも見たい、次の目的地に移動ができればしておきたい、そんなふうに思ってしまって、これまでは二の足を踏んでいました。
でもまあ、「全羅北道訪問の年」でもあるし(笑)、しかも最近話題の「王女の男」や「根の深い木」も関係してくるとなれば、ちょっとばかり放ってはおけないという気持ちにもなってきています
さて、この「扶安映像テーマパーク」、こうした撮影のセットを兼ねたテーマパークとして2005年の夏にオープンしました。
2万7千坪という土地の中に専門家の考証のもと、宮廷、工房(昔の土木担当官庁)、漢方村、両班の屋敷、市場街などが築かれ、中でも宮廷の建物は、「景福宮」や「昌徳宮」などの建物を3分の2の大きさに縮小して建てられたという優れものとしてスタートしました。
画像などから見た印象としては、「聞慶KBS撮影所」の雰囲気に似ているような気がします。
なんでも、 完工に2年半をかけ、70億ウォン(当時の約7億6千万円)を、全羅北道と扶安郡がそれぞれ20億ウォン、施設運営者であるKBSアートビジョンが30億ウォンを負担したという、馬鹿にならない金額をかけた施設なんです。
当時は、『太陽人李済馬(テヤンイン・イジェマ)』、『不滅の李舜臣(イ・スンシン)』、そして映画の『王の男』を撮影していたという話題の撮影セットでもあったわけです。
映画「王の男」
それから時が流れはしたものの、撮影セットとしての役割は今でも健在で、『イ・サン』、『一枝梅(イルジメ)』、『ファン・ジニ』、『快刀ホンギルドン』、『推奴』、『タムナ』 などなど、日本ではお馴染みのそうそうたるタイトルが並ぶという、ここを利用して撮影された韓国時代劇は数えきれないほど。
そしてここからが肝心なんです(笑)
もちろんのこと昨年に韓国で話題になり、日本でもこれから人気ドラマに数えられるであろう、『王女の男』や『根の深い木』の重要な撮影地にもなっているんです。
ここ最近では映画の『私は王である』なんてのが撮影に使っていたようです。
画像を見れば何度が見かけている場所のような、そんな気がしませんか?
ここ「扶安映像テーマパーク」の特徴は、広い敷地の中にデンと構えたこの王宮の姿です。
広い空間の中にひとつだけあるようにも見えるこの王宮、多分何度か目にしていると思います。
もうひとつここの特徴で分かりやすいのが、こういった撮影セットは外観の撮影が殆どで、内部はスタジオというのが多いのですが、ここのこの内部にある場所は、いくつものドラマや映画で目にしているはずです。
まるで中国の宮廷のように、玉座が上にドンッと構えている光景、そうですよ、最近も見ましたね、「王女の男」の特番でも登場してましたから、ドラマが始まったら嫌でも目に付くと思います。
この玉座のあるシーンを含めた前後の宮廷シーンのあたりは、きっとこの「扶安映像テーマパーク」のはずです。
古くは「王の男」から今度は「王女の男」まで、老舗の撮影セットを兼ねた時代テーマパークである「扶安映像テーマパーク」、「聞慶KBS撮影所」ともども〝KBS〟の撮影セットが、熱く注目されそうなこの頃なんです。
しかし、上にも書きましたが、2005年に築かれていますからいつその姿を変えるかしれません、今ある姿を、この再びの注目期に見ておくのもいいかもしれないと考えている次第です。
この「扶安」へはソウルからの直通バスで3時間半くらいですが、自分が行くとしたら、またKTXを使って「大田」拠点か「井邑」からのアクセスも考えたいと思っています。
韓国観光公社
http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=282047
扶安郡紹介サイト
http://www.buan.go.kr/jap/01intro/intro_01.jsp
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ドラマ「王女の男」のモチーフには朝鮮時代の二つの〝都市伝説〟(?)
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-06-29
〝都市伝説〟昔からこんな言葉がありましたっけ?自分は最近になってよく耳にする言葉のひとつのような気がしていますが、人から人へコソコソッと言葉だけで伝わる風聞のようなもの、その真実は定かではない内容なのに、何か人から聞けばまたそれを誰かに伝えたくなるような話ってよくありますよね。そこにはまったくの根拠もないのに、「こんなことがあり得るかも(?)」「こんなことがあったら面白いかも(?)」 そんな気持ちが作用して、中には元々の話しに尾ひれが付いたり、ちょっと加工が加えられたりしながらも、まるでそれが真実かのようにまことしやかに伝えられる話しというのはよくあるもので、なぜかこうした会話の中だけの世界には不思議な興味をそそられるものです。 「ねえねえ、こんな話し知ってる?」 「おい、こんな噂があるけど知ってるか?」もう誰から聞いた話かも分からないのに、どこまでが真実でどこからが創作なのかも知れないのに、「えーっ、知らなーい」 「うそー!本当に(?)」と、どんどん口頭で伝わる話、それが大きく広がり後々まで残れば過去の伝説となり、いつか忘れ去られていけば一時の都市伝説で終わる。 いつの時代も、どこのお国でも、やはり人間の興味なんて変わりはないようで、その〝都市伝説〟の残された片鱗から生まれたドラマが「王女の男」のようです。 朝鮮時代、世宗(セジョン)国王が以前から不安視していたものが、とうとう現実となってしまった「癸酉靖難(ケユジョンナン)」というクーデター。その血の繋がった肉親どうしの権力争いの中で、巻き込まれてしまった多くの人間の血が流されました。その中心となって命を落とすことになった人物が「キム・ジョンソ」でした。 犠牲者となったキム・ジョンソには本妻との間に、キム・スンギュ、キム・スンビョク、キム・スンユという三人の息子がいたというのが記録に残っています。ただ、上の二人はこのクーデターの犠牲になった記録が残っていますが、三男のキム・スンユについては「癸酉靖難(ケユジョンナン)」当時の記録が無いようです。 一方のクーデターの首謀者である「首陽大君(スヤンテグン)」には、不思議なことに記録にある娘「懿淑(ウィスク)公主」、ドラマの中では次女のイ・セジョンの上に、記録にはない長女がいた可能性が見え隠れしています。『世宗実録112巻』という記録によると、 1446年当時、首陽大君は「1男2女」..
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gg-doara
2012-06-29T06:11:45+09:00
自分は最近になってよく耳にする言葉のひとつのような気がしていますが、人から人へコソコソッと言葉だけで伝わる風聞のようなもの、その真実は定かではない内容なのに、何か人から聞けばまたそれを誰かに伝えたくなるような話ってよくありますよね。
そこにはまったくの根拠もないのに、「こんなことがあり得るかも(?)」「こんなことがあったら面白いかも(?)」 そんな気持ちが作用して、中には元々の話しに尾ひれが付いたり、ちょっと加工が加えられたりしながらも、まるでそれが真実かのようにまことしやかに伝えられる話しというのはよくあるもので、なぜかこうした会話の中だけの世界には不思議な興味をそそられるものです。
「ねえねえ、こんな話し知ってる?」 「おい、こんな噂があるけど知ってるか?」
もう誰から聞いた話かも分からないのに、どこまでが真実でどこからが創作なのかも知れないのに、「えーっ、知らなーい」 「うそー!本当に(?)」と、どんどん口頭で伝わる話、それが大きく広がり後々まで残れば過去の伝説となり、いつか忘れ去られていけば一時の都市伝説で終わる。
いつの時代も、どこのお国でも、やはり人間の興味なんて変わりはないようで、その〝都市伝説〟の残された片鱗から生まれたドラマが「王女の男」のようです。
朝鮮時代、世宗(セジョン)国王が以前から不安視していたものが、とうとう現実となってしまった「癸酉靖難(ケユジョンナン)」というクーデター。
その血の繋がった肉親どうしの権力争いの中で、巻き込まれてしまった多くの人間の血が流されました。
その中心となって命を落とすことになった人物が「キム・ジョンソ」でした。
犠牲者となったキム・ジョンソには本妻との間に、キム・スンギュ、キム・スンビョク、キム・スンユという三人の息子がいたというのが記録に残っています。
ただ、上の二人はこのクーデターの犠牲になった記録が残っていますが、三男のキム・スンユについては「癸酉靖難(ケユジョンナン)」当時の記録が無いようです。
一方のクーデターの首謀者である「首陽大君(スヤンテグン)」には、不思議なことに記録にある娘「懿淑(ウィスク)公主」、ドラマの中では次女のイ・セジョンの上に、記録にはない長女がいた可能性が見え隠れしています。
『世宗実録112巻』という記録によると、 1446年当時、首陽大君は「1男2女」を授かっていたというようなことが書かれているそうで、それが「宜逞(ウィリョン)公主」、ドラマの主人公のイ・セリョンの存在ということになります。
犠牲者の方の三男「キム・スンユ」には犠牲になったという記録がなく、一方の首謀者の方には、きちんと記録には残されていない長女の存在があった可能性がある、ここが都市伝説を生むキーポイントとなりそうです。
さて、このクーデターの犠牲となったキム・ジョンソ一族の本貫・順天(スンチョン)には『順天金氏大同譜(スンチョン・キムシ・デドンボ)』というものが残されているそうです。
その中にあった民衆の間で広まった噂話のようなものを集め、後にひとつにまとめあげたもの、言ってみれば〝都市伝説集〟のような「童子民説」の中に、こんなひとつの話しが残されているようです。
『おみゃあさん、知っとりゃあす? 首陽大君様の上の娘さんと、キム・ジョンソ様の三男坊が、あのクーデターの後でかろうじて生き残りゃあてよう、首陽大君様の追っ手を避けて逃げのびてござったんだと、そんで南漢山の麓あたりでひっそり身分を隠しながら暮らしてみえたらしいで。
そんでもよう、生活の苦労は多少しやあたものの、二人で死ぬまで仲よう幸せに暮らしとりゃあたげなに』
『ほんとにきゃぁ?そりゃよかったなも、悲惨な事件だったで、ちょこっとでも幸せに暮らしてみえた方がおりゃあたなら、そりゃ、ええ話しだわなも』
読みづらい?すいません_(._.)_ 風聞の都市伝説らしく(?)名古屋弁の会話風に脚色してみました(笑)
でもお解かりですね? きちんとした記録には残されていないドラマの基本となるような話が、順天の〝都市伝説〟として、過去にまことしやかに語り継がれていたということになります。
一方、似たような民衆の間で語り継がれていたものを書き綴った書物、『錦渓筆談(クムゲピルダム)』というものがあり、首陽大君の幻の長女が父親の野心に嫌気がさして、父娘の間がうまくいかなくなり、それを心配した母親が乳母と一緒に娘を遠くへ逃がしてかくまうことにした。
その先で偶然にも、「癸酉靖難(ケユジョンナン)」の混乱から逃げ延びてきたキム・ジョンソの孫という男性と出会い、縁を結んで洞窟のような場所で共に暮らしたというようなことが書かれているそうです。
そのキム・ジョンソの孫を三男のキム・スンユに置き換えれば……ということになります
この『錦渓筆談』については多くのサイトで書かれていますし、ご存知の方も多いかもしれませんが、こちらのサイトの方がうまく解釈して解説されていますので、ご紹介しておきます、リンクしませんので、URLをコピーして貼り付けて飛んでください。
http://韓国の歴史.com/oujyonootoko/%E7%8E%8B%E5%A5%B3%E3%81%AE%E7%94%B7%E3%81%AE%E5%8E%9F%E4%BD%9C%E3%81%AF%E9%8C%A6%E6%BA%AA%E7%AD%86%E8%AB%87%EF%BC%9F/
人の口から口へとまことしやかに伝わっていた二つの〝都市伝説〟、これを合体させれば…あーら不思議、ドラマのモチーフができちゃったよ ってことですね。
ただ、これは韓国のものを直訳したり、日本の方がそれなりに理解して書かれていたものを、自分なりに解釈して独自の世界でまとめていますので、間違った解釈があるかもしれませんのでご了承願います。
ただひとつ真実は、「信じるか信じないかはあなた次第」という〝都市伝説〟は、いつの世にもどこの国にも存在して、それにきちんとした脚色をし立派なストーリーとして仕上げれば、こんなにもすばらしいドラマにもできるということです。
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【韓ドラ雑記】 古い話しですが、「ホ・ジュン」の中のあの人が「朱蒙(チュモン)」のテソで、あの人がこの人?
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-06-28
また長ったらしいタイトルを付けました、最近本当にタイトルが長いですよねぇ、ちょっとお馬鹿になって(笑)いいタイトルが浮かばないってんで、思いつくそのままをタイトルにしてしまっている安易な今日この頃です さて、光海君(クァンヘグン)といえば朝鮮王朝の暴君と言われる王様で、燕山君(ヨンサングン)と並んで悪者にされてしまっている国王です。廃位されてしまってますから、そのお墓も〝陵〟ではなくって〝墓〟となってしまっている哀れな人です。燕山君はともかくとして、光海君は自分にはどうしてもそんな悪者には思えないんですよね。 前々回にホ・ギュンの話題でこの光海君の名前が出てきた時に、ちょっと懐かしく思えました。それは自分が朝鮮王朝の王族として、初めて名前を覚えた人物だったからです。かのハングル(訓民正音)制定の世宗(セジョン)大王よりも、自分が先に名前を知ったのがこの光海君だったんです。 もちろんそこにはドラマの影響があります、それが「ホ・ジュン~宮廷医官への道」です。ところが、自分の順番としては、このドラマの前に「チャングムの誓い」を見ています、当然そこにはあの料理をよく食らう国王さんが出てらっしゃいましたが、名前なんてどうでもよかったんですね、〝チャングムの王様〟それでしかなくって、それが11代国王の中宗(チュンジョン)だと知ったのは、もっともっと後のことです。 「ホ・ジュン」のドラマの中の光海君はどこか寂しげで、ホ・ジュンを師のように仰ぎ、父親のように慕い信頼していました。毒になる薬が含まれていようが、ホ・ジュンを信用しているからと、皆の制止もきかずにその薬を飲むなんていうのは、本当にいいシーンでした。 主役のホ・ジュンが幼い頃からその成長を見守り、光海君はホ・ジュンの誠実な生き様を手本にして育ったのですから、さぞや立派な王様になったんだろうと信じてました。現にドラマの中の終わりでは王様になったのですから、どんな王様なんだろうと当時調べてみたのです。韓国の歴史上の人物で、自分が初めて『ウィキペディア』で調べたのもこの光海君でした。 そうしたら、なんと!そこには信じられない文字が並んでるじゃないですか 暴君・廃位・流刑、なんのこっちゃです。さぞや名君の誉れ高い国王と思いきや、真逆の王様になってはる!ってとこです。でもね、歴史なんてものは勝者が作りだすものですから、自分は今でもこの光海君は陥れられたのだと..
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gg-doara
2012-06-28T06:46:47+09:00
さて、光海君(クァンヘグン)といえば朝鮮王朝の暴君と言われる王様で、燕山君(ヨンサングン)と並んで悪者にされてしまっている国王です。
廃位されてしまってますから、そのお墓も〝陵〟ではなくって〝墓〟となってしまっている哀れな人です。
燕山君はともかくとして、光海君は自分にはどうしてもそんな悪者には思えないんですよね。
前々回にホ・ギュンの話題でこの光海君の名前が出てきた時に、ちょっと懐かしく思えました。
それは自分が朝鮮王朝の王族として、初めて名前を覚えた人物だったからです。
かのハングル(訓民正音)制定の世宗(セジョン)大王よりも、自分が先に名前を知ったのがこの光海君だったんです。
もちろんそこにはドラマの影響があります、それが「ホ・ジュン~宮廷医官への道」です。
ところが、自分の順番としては、このドラマの前に「チャングムの誓い」を見ています、当然そこにはあの料理をよく食らう国王さんが出てらっしゃいましたが、名前なんてどうでもよかったんですね、〝チャングムの王様〟それでしかなくって、それが11代国王の中宗(チュンジョン)だと知ったのは、もっともっと後のことです。
「ホ・ジュン」のドラマの中の光海君はどこか寂しげで、ホ・ジュンを師のように仰ぎ、父親のように慕い信頼していました。
毒になる薬が含まれていようが、ホ・ジュンを信用しているからと、皆の制止もきかずにその薬を飲むなんていうのは、本当にいいシーンでした。
主役のホ・ジュンが幼い頃からその成長を見守り、光海君はホ・ジュンの誠実な生き様を手本にして育ったのですから、さぞや立派な王様になったんだろうと信じてました。
現にドラマの中の終わりでは王様になったのですから、どんな王様なんだろうと当時調べてみたのです。
韓国の歴史上の人物で、自分が初めて『ウィキペディア』で調べたのもこの光海君でした。
そうしたら、なんと!そこには信じられない文字が並んでるじゃないですか
暴君・廃位・流刑、なんのこっちゃです。
さぞや名君の誉れ高い国王と思いきや、真逆の王様になってはる!ってとこです。
でもね、歴史なんてものは勝者が作りだすものですから、自分は今でもこの光海君は陥れられたのだと信じて疑わないんです、だって、政策的なことは悪くはないし、文禄の役の後の復興に尽力した功績は大きいと思うんですよね。
ですから、歴史がなんて言おうが、自分の中の光海君はいつまでもあのドラマの中の人物なんです。
そんな、このドラマ「ホ・ジュン」の中で、自分にいいイメージとして洗脳してしまった、その光海君を演じていた俳優さんを一昨日初めて知りました
まさか、この人だったとは! 知った今でも信じられない状態です。
そして、このキム・スンスの生まれが1973年ですから、この当時27歳くらいだったっていうのも信じられません、韓国版を見ると1971年生まれ(?)、この当時29歳(?)、どっちにしてももっと若い人だと思ってました…だから、今は成長して何かのドラマに出てるのかな(?)という興味だったんです。
あれがキム・スンスだったなんて、自分としては今更ながらの大発見に近いものがあったんですよォ(笑)
この「ホ・ジュン ~宮廷医官への道」のドラマの中で、自分にとってもう一人印象に残る人物がいました。
現在で言う「ハンセン病」にもかかわらず、あの時代に完治してしまって、後にはホ・ジュンの手足となって働いたキム・サンファという人物です。
病気が治ってきれいな顔で登場した時には、「この時代にありえんのでは?」なんて思いましたが、ドラマの中で成長し変わっていく姿を見るのはちょっと楽しみでもありました。
このサンファを演じていたのがヨ・ヒョンス という俳優さんで、最近はどうしてるのかな(?)とこちらも調べてみましたら、最近のドラマで見たばかりだったのに、またまたキム・スンス以上にびっくりさせられました。
「トンイ」の幼馴染みのケドラの成長した姿だったんですよね、1982年生まれですから「ホ・ジュン」の頃は18歳くらいです、こちらは反対に終盤に見せた18歳とは思えない大人の姿には、ちょっと信じられないものがありますねえ。
成長とともに変わっていく様子をご覧あれ!
今でも最終回の葬列のシーンを見ると泣けてくるこの「ホ・ジュン ~宮廷医官への道」というドラマ、いくつか韓国の時代劇を見てきていますが、このドラマが一番涙を流させたドラマだったんじゃないかな、と思います。
ちょっとこうした古いドラマについて調べてみるのも面白いものです、今回の自分のように
「あの役の人がこの人だったなんて!」と、意外な発見ができるかもしれません、と言うか、俳優の名前をいちいち気にしてない自分だし、主役級でないと名前なんてわかりませんから、韓国ドラマならではの楽しみのひとつだったりするのかも
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まだある「江陵」の『王女の男』撮影地、こちらは有名な姉と弟の生家、キーワードは「ホンギルドン」
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-06-25
江陵(カンヌン)というところ、こんなに伝統的な家屋が多く存在する地だというのを、本当に今回「王女の男」で調べていて初めて実感しました。以前から時代劇ばかりではなく、現代ドラマの撮影地としてもよく耳にしたこの「江陵」ですが、ただ観光地としても撮影地としても少しばかり目立たない存在というか、華やかな表舞台を嫌うかのような、地味で落ち着いた雰囲気を守り通してきた、そんな土地柄のような気がしています。 このところ、「船橋荘( ソンギョジャン)」、そして「鳥竹軒(オジュッコン)」という江陵にある伝統的家屋のことを書いてきています。もちろん、このブログは〝大好きな韓国時代劇の話題〟を中心にしているのですから、当然ながら新番組の「王女の男」の撮影地として紹介はしています。しかしながら、この江陵という土地は、韓国の伝統的な街並みとして有名で、観光客が押し寄せる「全州」以上に魅力的な、韓国の伝統美が守られ息づいている場所ではないだろうかと個人的には思えてなりません。 日曜日に放送された「王女の男」の特番を見ましたか?このドラマ、内容もさることながら、その背景となる場所、つまり撮影された場所の幅広さに驚かされます。あの45分間という短い番組の間の、しかも半分にもなってしまうドラマ映像の中でさえ、いくつもの韓国の伝統的な観光地や撮影セットのあるテーマパークが出てきていました。その精力的な撮影は、あの韓国の隠れた観光地を随所に見せていた「推奴(チュノ)以上かもしれません。ただ、「推奴」の場合は美しい自然や雄大な風景が主体だったのに対して、この「王女の男」は朝鮮時代から引き継がれている〝伝統美〟を主体にしているように思えます。 ですから、前半の両班の様式が中心の風景に、江陵のいくつかの伝統家屋がその撮影場所に選ばれたのではないでしょうか(?)そして、これまでの記事でその内の2ヶ所を紹介してきましたが、江陵の伝統家屋で「王女の男」の撮影地となっていたもうひとつの家屋があります。 「許蘭雪軒」、日本読みをすればそのまま「きょらんせっけん」、韓国読みをすれば「ホ・ナンソロン」という女性を知ってますか?1563年に生まれ、たった27年という短い生涯でしかありませんでしたが、今でも、いえ、今だからこそ語り継がれる女流詩人・女流文学者です。 以前に放送されたことのあるドラマ『ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男』の..
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gg-doara
2012-06-26T01:00:00+09:00
以前から時代劇ばかりではなく、現代ドラマの撮影地としてもよく耳にしたこの「江陵」ですが、ただ観光地としても撮影地としても少しばかり目立たない存在というか、華やかな表舞台を嫌うかのような、地味で落ち着いた雰囲気を守り通してきた、そんな土地柄のような気がしています。
このところ、「船橋荘( ソンギョジャン)」、そして「鳥竹軒(オジュッコン)」という江陵にある伝統的家屋のことを書いてきています。
もちろん、このブログは〝大好きな韓国時代劇の話題〟を中心にしているのですから、当然ながら新番組の「王女の男」の撮影地として紹介はしています。
しかしながら、この江陵という土地は、韓国の伝統的な街並みとして有名で、観光客が押し寄せる「全州」以上に魅力的な、韓国の伝統美が守られ息づいている場所ではないだろうかと個人的には思えてなりません。
日曜日に放送された「王女の男」の特番を見ましたか?
このドラマ、内容もさることながら、その背景となる場所、つまり撮影された場所の幅広さに驚かされます。
あの45分間という短い番組の間の、しかも半分にもなってしまうドラマ映像の中でさえ、いくつもの韓国の伝統的な観光地や撮影セットのあるテーマパークが出てきていました。
その精力的な撮影は、あの韓国の隠れた観光地を随所に見せていた「推奴(チュノ)以上かもしれません。
ただ、「推奴」の場合は美しい自然や雄大な風景が主体だったのに対して、この「王女の男」は朝鮮時代から引き継がれている〝伝統美〟を主体にしているように思えます。
ですから、前半の両班の様式が中心の風景に、江陵のいくつかの伝統家屋がその撮影場所に選ばれたのではないでしょうか(?)
そして、これまでの記事でその内の2ヶ所を紹介してきましたが、江陵の伝統家屋で「王女の男」の撮影地となっていたもうひとつの家屋があります。
「許蘭雪軒」、日本読みをすればそのまま「きょらんせっけん」、韓国読みをすれば「ホ・ナンソロン」という女性を知ってますか?
1563年に生まれ、たった27年という短い生涯でしかありませんでしたが、今でも、いえ、今だからこそ語り継がれる女流詩人・女流文学者です。
以前に放送されたことのあるドラマ『ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男』の中でもホ・チョヒとして、嫁ぎ先で好きな文学もままならず虐げられた女性として登場してましたから、名前に記憶のある方はみえると思います。
女性蔑視の当時の朝鮮の時代に、女性による女性主体の作品を書き残し、この方も韓国の新札発行の時には、肖像画の候補者の一人として名前が挙がった人物です。
ただ、女の身での文学者なんてのは、日本でもそうでしたが、ましてや朝鮮ではとんでもないこととして、過去にはなかなか認められるものではなかったですから、作品は朝鮮ではなく日本や中国で先に認められたものの、その生涯としては短く悲しいものでしかなかったようです。
そして、その弟が「許筠(ホ・ギュン)」なんですね、こちらもドラマを見た方はご存知のように、光海君(クァンヘグン)の事件に巻き込まれて波乱万丈の人生をおくった人物なんですが、韓国の時代劇が好きな人ならこの「ホ・ギュン」という人物そのものよりも、そのハングルで書かれた最初の小説とされる『洪吉童(ホンギルトン)伝』の方が親しみがあるかもしれません。
前々から映画やドラマの題材としてよく使われてきた「洪吉童」、そして最近ではカン・ジファン主演のドラマが記憶に新しいところです。
そうなんですよね、あの「快刀 ホン・ギルドン」のドラマ自体はかなり創作的でしたが、その本元となる小説を書いたのがこの「ホ・ギュン」なんです。
『ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男』より、「ホ・ギュン」と「ホ・ナンソロン(ホ・チョヒ)」
この韓国の文学史に名前を残す姉と弟の生家がやはり江陵にあります、となればお解かりでしょう
この「ホ・ナンソロン」さんと「ホ・ギュン」さんの生家も、今度のドラマ「王女の男」の撮影地になっているんです。
でもね、我々日本人がこの人たちの生家や、お札になっている母子の家を、画面の中で区別するなんてのはなかなか難しいと思います。
ですから、あの「王女の男」の中の両班の風格を残す建物の中には、この江陵にある、有名な母子と姉弟の家も使われているんだな、って思いながらドラマを見ていくことにしましょう。
詳しいアクセスの載っている日本の観光サイトはありませんが、
江陵駅から 29番(回)バスやタクシー利用 と書いてあるものがあります。
観光案内所(江陵駅) 033-640-4534
許蘭雪軒 生家(許筠・許蘭雪軒記念公園)
허난설헌 생가터(허균·허난설헌 기념공원)
033-640-5118 江原道 江陵市 草堂洞
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『船橋荘』とセットの「王女の男」撮影地、「チャングム」の時代に建てられた〝お札母子〟の家にも行っとく?
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-06-24
前のページで、ドラマ「ファン・ジニ」や「宮 -クン- Love in Palace」の撮影地として有名な『船橋荘』のことを書きました。現代でもそのまま過去の朝鮮王朝時代にタイムスリップできそうな、そんな風景が息づいている感じの空間ですから、今度の「王女の男」の撮影地のひとつにもなったのでしょう。 ところで、この江陵(カンヌン)にある『船橋荘』は、こうしたドラマの撮影地として、現地ツアーもあったりしてましたが、ここと必ずセットでの見学地になっている場所があります、といっても、撮影地ではなかったのですが、やっぱりここまで行ったらこちらも行っておくべきでしょう、ということで必ずやセットでツアーが組まれる場所です。そして今回はこちらも「王女の男」の撮影地になったと言われます。 ちょうど一週間前に韓国のお札の話題を書きました。韓国のお札では初の女性の肖像画として登場した5万ウォン札の「申師任堂(シンサイムダン)」さんと、以前から5千ウォン札の肖像画として描かれている「栗谷李珥(ユルゴッイイ)」さんは親子で、しかも現在の5千ウォン札には母親の作品の絵が描かれていて、まさに韓国のお札の中での母子共演をしているっていう話題でした。 でも以前の5千ウォン札は違いました、母親の絵ではなくって、「栗谷李珥(ユルゴッイイ)」さんの生家が描かれていたんですよね、ってえことは、5万ウォン札の「申師任堂(シンサイムダン)」さんの家でもあるってことです。それが、よく「船橋荘」とセットでツアーが組まれる「烏竹軒(オジュッコン)」と呼ばれる建物です。 「烏竹軒(オジュッコン)」と呼ばれる韓国のお札母子のこの家、なぜにこう呼ばれるかといえば、周囲に鳥のような黒竹が生えているからそう呼ばれるんだとか(?) おいらにゃこれがどうも分からない、黒竹が鳥のよう? どう見たって鳥なんかにゃ見えない、鳥の巣のように…とか、鳥篭のように…って言うんなら、なんとなく理解もできようってもんだが、黒竹が鳥? ウーンッ!分かりゃん!! まあそれはいいとして、この「烏竹軒(オジュッコン)」なんですが、なんでも朝鮮11代国王である中宗(チュンジョン)の時代に建てられたという、韓国でも木造の住宅建築としては最も古いとされている中のひとつなんだそうです。中宗(チュンジョン)王、憶えてますよね(?)、あの「チャングムの誓い」で料理を食べては唸..
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gg-doara
2012-06-24T05:42:12+09:00
現代でもそのまま過去の朝鮮王朝時代にタイムスリップできそうな、そんな風景が息づいている感じの空間ですから、今度の「王女の男」の撮影地のひとつにもなったのでしょう。
ところで、この江陵(カンヌン)にある『船橋荘』は、こうしたドラマの撮影地として、現地ツアーもあったりしてましたが、ここと必ずセットでの見学地になっている場所があります、といっても、撮影地ではなかったのですが、やっぱりここまで行ったらこちらも行っておくべきでしょう、ということで必ずやセットでツアーが組まれる場所です。
そして今回はこちらも「王女の男」の撮影地になったと言われます。
ちょうど一週間前に韓国のお札の話題を書きました。
韓国のお札では初の女性の肖像画として登場した5万ウォン札の「申師任堂(シンサイムダン)」さんと、以前から5千ウォン札の肖像画として描かれている「栗谷李珥(ユルゴッイイ)」さんは親子で、しかも現在の5千ウォン札には母親の作品の絵が描かれていて、まさに韓国のお札の中での母子共演をしているっていう話題でした。
でも以前の5千ウォン札は違いました、母親の絵ではなくって、「栗谷李珥(ユルゴッイイ)」さんの生家が描かれていたんですよね、ってえことは、5万ウォン札の「申師任堂(シンサイムダン)」さんの家でもあるってことです。
それが、よく「船橋荘」とセットでツアーが組まれる「烏竹軒(オジュッコン)」と呼ばれる建物です。
「烏竹軒(オジュッコン)」と呼ばれる韓国のお札母子のこの家、なぜにこう呼ばれるかといえば、周囲に鳥のような黒竹が生えているからそう呼ばれるんだとか(?)
おいらにゃこれがどうも分からない、黒竹が鳥のよう? どう見たって鳥なんかにゃ見えない、鳥の巣のように…とか、鳥篭のように…って言うんなら、なんとなく理解もできようってもんだが、黒竹が鳥? ウーンッ!分かりゃん!!
まあそれはいいとして、この「烏竹軒(オジュッコン)」なんですが、なんでも朝鮮11代国王である中宗(チュンジョン)の時代に建てられたという、韓国でも木造の住宅建築としては最も古いとされている中のひとつなんだそうです。
中宗(チュンジョン)王、憶えてますよね(?)、あの「チャングムの誓い」で料理を食べては唸っていた西暦1500年頃の国王さんです(笑)
そうなんですよぉ、つまりは500年も前のあのチャングムの時代から存在している木造住宅ってことなんです。
なんでも現在でもずっと子孫のお方が管理しているっていうことは、あのお札母子のご子孫の皆さんってことですよね、お札の肖像画になった母親と息子が住んでいた家、しかもそれを代々子孫が守っているって、もしかしたら凄いことかも(?)
烏竹軒(オジュッコン)案内サイト
http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=281337
http://www.seoultour.jp/Korean_site/siteview.asp?siteID=48
http://www.jafnet.co.jp/jkplaza/kanko/korean/22ojunhun.htm
今度「王女の男」が放送されて、その撮影地として「船橋荘」を訪れることがあったら、やっぱりついでに(?)立ち寄ってみるべきかもしれませんよね。
なんたって、韓国の通貨の肖像画になっている、しかも母と子で、言ってみりゃ〝韓国の顔〟みたいな母と子、そんな人が住んでいた家、それだけでもなんだか特別な感じがしてしまう上に、韓国の木造住宅の最古として数えられる家なんですから。
そして今回はおまけのセットの観光地ではなく、「王女の男」の撮影地としての目的も加わりました。
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新番組「王女の男」であの「ファン・ジニ」の世界が再び ~船橋荘
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-06-23
正式に「トンイ」の後番組として、NHKのホームページで紹介されてから、「王女の男」が急にクローズアップされてきました。“韓国版のロミオとジュリエット”、以前の記事で自分もこのフレーズを入れようかと思ったのですが、なんやらくすぐったくてやめましたら、番宣自体から使われていて、あっちこっちにこのフレーズが飛び交ってます。いい気になって、自分が考えたようにこのフレーズを使わなくってよかったです(笑) 「王女の男」という単純なタイトルですが、男女の許されざる愛の中でもがく葛藤、そして政治もからんだいろんな人間模様と、ちょっとこのタイトルで表すには惜しいようなドラマのようです。そして、自分個人としては最も気になるのが撮影地、時代を表現する背景にも注目していきたいところです。 李氏朝鮮時代の歴史の香りがして、しかもなんとなく重みがあって歴史的な風格があって…そんな背景にこだわっていたドラマが同じKBSで過去にもありました。 自分はそのドラマの中の風景を見て、「ここへ行ってみたい」、そんな感覚に捉われてこの時代劇の撮影地を中心にした韓国への旅行が始まりました。そのドラマが「ファン・ジニ」です。内容はとっても女性的で、自分が好きな歴史を題材にしたドラマではありませんでしたから、内容というよりも、とにかく韓国の伝統ある風景を美しく見せていた映像に魅せられてしまったという感じでした。 しかし、その「ファン・ジニ」の世界も、次から次へと新しいドラマが現れ、そして身近な撮影地を訪れているうちに、忘れ去っていた場所があります。それが江陵(カンヌン)の「船橋荘(ソンギョジャン)」です。「ファン・ジニ」が妓生として成長していく過程での背景となっていた場所として、撮影地としてはあまりに有名なのにまだ自分は訪れたことがありません。 「船橋荘」案内サイト http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/AC/AC_JA_6_1.jsp?cid=757043 http://www.seoultour.jp/Korean_site/siteview.asp?siteID=47 そして、今度始まる「王女の男」でも、やはりあの撮影所のセットにはない気品や風格を漂わせながら、朝鮮の歴史の息吹が感じられる「船橋荘」の風景は使われています。本物にしか出せない雰囲気の中で、..
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gg-doara
2012-06-23T05:31:07+09:00
“韓国版のロミオとジュリエット”、以前の記事で自分もこのフレーズを入れようかと思ったのですが、なんやらくすぐったくてやめましたら、番宣自体から使われていて、あっちこっちにこのフレーズが飛び交ってます。
いい気になって、自分が考えたようにこのフレーズを使わなくってよかったです(笑)
「王女の男」という単純なタイトルですが、男女の許されざる愛の中でもがく葛藤、そして政治もからんだいろんな人間模様と、ちょっとこのタイトルで表すには惜しいようなドラマのようです。
そして、自分個人としては最も気になるのが撮影地、時代を表現する背景にも注目していきたいところです。
李氏朝鮮時代の歴史の香りがして、しかもなんとなく重みがあって歴史的な風格があって…そんな背景にこだわっていたドラマが同じKBSで過去にもありました。
自分はそのドラマの中の風景を見て、「ここへ行ってみたい」、そんな感覚に捉われてこの時代劇の撮影地を中心にした韓国への旅行が始まりました。
そのドラマが「ファン・ジニ」です。
内容はとっても女性的で、自分が好きな歴史を題材にしたドラマではありませんでしたから、内容というよりも、とにかく韓国の伝統ある風景を美しく見せていた映像に魅せられてしまったという感じでした。
しかし、その「ファン・ジニ」の世界も、次から次へと新しいドラマが現れ、そして身近な撮影地を訪れているうちに、忘れ去っていた場所があります。
それが江陵(カンヌン)の「船橋荘(ソンギョジャン)」です。
「ファン・ジニ」が妓生として成長していく過程での背景となっていた場所として、撮影地としてはあまりに有名なのにまだ自分は訪れたことがありません。
「船橋荘」案内サイト
http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/AC/AC_JA_6_1.jsp?cid=757043
http://www.seoultour.jp/Korean_site/siteview.asp?siteID=47
そして、今度始まる「王女の男」でも、やはりあの撮影所のセットにはない気品や風格を漂わせながら、朝鮮の歴史の息吹が感じられる「船橋荘」の風景は使われています。
本物にしか出せない雰囲気の中で、このドラマがどのようにあの風景を生かしたシーンを展開しているのか、今からとっても楽しみでもあり、もしかしたら、また自分の撮影地巡りの旅行の目的地のひとつとして復活しそうで、今からちょっとばかり心配している自分です、だってもうキリが無くなりそうでですから
韓国時代劇の撮影地に限りなくのめり込んでいく自分の、更に後押しをするようなドラマの予感です。
ところで、この「船橋荘」は、ドラマ「宮 -クン- Love in Palace」にも登場していたのは、知っている方も多いと思います。
あのドラマでは分かり易かったですよね、旅行で訪れた先の別宮のような設定でしたが、「ここはどこだろう?」なんて考える必要もありませんでした。
画面の中にそのままの看板があって、ちゃんと「船橋荘」と書いてありましたもんね
これまでは「ファン・ジニ」と「宮 -クン- Love in Palace」の撮影地として紹介されていた「船橋荘」に、きっと「王女の男」の名前も加わることでしょう。
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「宮 -クン- Love in Palace」 に 『慶熙宮(キョンヒグン)』 が使われた理由(わけ)
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-06-20
このドラマの話題を書こう書こうと思いながら、どうしても「トンイ」とかの新しい方のドラマのことが先になってしまって、気がつけば、何回〝再〟を付けたらいいのか分からない最近の放送、「チャクペ」の後でやっていたのもいつの間にやら終わってました なんやら不思議な感覚のドラマでした、特に、いくら王朝が存続してたら(?)という架空のドラマでも、あんなカチェまで付けたでっかい頭の朝鮮時代の姿なんかせんでも…と思うのですが、それがなんとなく空想の世界っぽくていいのかも、これだから反対にリアリティさが生まれるのかも、とかなんとか、ドラマの展開には直接には関係のないことで、自分の頭の中は盛り上がってました(笑) そして、時代劇の世界で見た風景もいくつか登場してるよ、ってなことも自分にとっては興味を惹くことでしたが、その中でもシーンの切り替わりなどに登場した「慶熙宮(キョンヒグン)」に興味を持ちました。外観だけで、しかもCG加工するんなら別に「慶熙宮」でなくってもよさそうなのに…(?) そう思ってしまったのです。 「慶熙宮(キョンヒグン)」といえば、過去の「ファン・ジニ」での華やかな宴のシーンが浮かぶ王宮です。でも正直なところ、どちらかと言えば、おいらみたいに〝地味~な〟存在の王宮です。外観だけなら「景福宮(キョンボックン)」の方が派手で映像的には映えるだろうし、「昌徳宮(チャンドックン)」なら風格のある落ち着いた映像が撮れるだろうに…とかなんとか、こちらでも内容には関係の無いことでおいらの頭の中はいっぱいになってました 理由として考えられるとしたら、観光客が少ないから撮影がし易いだろうということや、王宮の中でもランク的には下だから撮影許可がおりやすかったのかな(?)などと考えたりしてましたら、どうやら、それに近い理由があったらしい。 自分も初めて知ったのですが、韓国の王宮って全部同じお役所が管轄して管理をしているのかと思ったら、どうやら違うみたいなんですよね。 「景福宮」や「昌徳宮」のような有名どころは、大韓民国代表宮ということで「文化財庁」という部署が管轄しているらしい。一方、「慶熙宮」についてはソウル市が管理しているのだそうです。 ドラマ「宮 -クン- Love in Palace」の王宮は「景福宮」をイメージしているらしいのだから、「景福宮」を撮影すれば早い話なのですが、それがそ..
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gg-doara
2012-06-20T07:00:58+09:00
なんやら不思議な感覚のドラマでした、特に、いくら王朝が存続してたら(?)という架空のドラマでも、あんなカチェまで付けたでっかい頭の朝鮮時代の姿なんかせんでも…と思うのですが、それがなんとなく空想の世界っぽくていいのかも、これだから反対にリアリティさが生まれるのかも、とかなんとか、ドラマの展開には直接には関係のないことで、自分の頭の中は盛り上がってました(笑)
そして、時代劇の世界で見た風景もいくつか登場してるよ、ってなことも自分にとっては興味を惹くことでしたが、その中でもシーンの切り替わりなどに登場した「慶熙宮(キョンヒグン)」に興味を持ちました。
外観だけで、しかもCG加工するんなら別に「慶熙宮」でなくってもよさそうなのに…(?) そう思ってしまったのです。
「慶熙宮(キョンヒグン)」といえば、過去の「ファン・ジニ」での華やかな宴のシーンが浮かぶ王宮です。
でも正直なところ、どちらかと言えば、おいらみたいに〝地味~な〟存在の王宮です。
外観だけなら「景福宮(キョンボックン)」の方が派手で映像的には映えるだろうし、「昌徳宮(チャンドックン)」なら風格のある落ち着いた映像が撮れるだろうに…とかなんとか、こちらでも内容には関係の無いことでおいらの頭の中はいっぱいになってました
理由として考えられるとしたら、観光客が少ないから撮影がし易いだろうということや、王宮の中でもランク的には下だから撮影許可がおりやすかったのかな(?)などと考えたりしてましたら、どうやら、それに近い理由があったらしい。
自分も初めて知ったのですが、韓国の王宮って全部同じお役所が管轄して管理をしているのかと思ったら、どうやら違うみたいなんですよね。
「景福宮」や「昌徳宮」のような有名どころは、大韓民国代表宮ということで「文化財庁」という部署が管轄しているらしい。
一方、「慶熙宮」についてはソウル市が管理しているのだそうです。
ドラマ「宮 -クン- Love in Palace」の王宮は「景福宮」をイメージしているらしいのだから、「景福宮」を撮影すれば早い話なのですが、それがそうはいかない理由があったようなのです。
上に書いたように「景福宮」は文化財庁が管轄している王宮、こういった王宮をドラマに使おうとする際はもちろん許可を取らなければなりません。
ところが、この「宮 -クン- Love in Palace」というドラマには許可がおりなかったのです。
その理由は〝歴史的考証に忠実でないドラマ〟だから…なんだそうです。
確かに、現在に王朝が存続してたら…なんていう突拍子もない発想のドラマなんですから、歴史的な考証に基づくなんてことは有り得ない話しではあるのですが、さすがに〝庁〟と付くだけあって、ガチガチで融通性が利かないっていうのはどちらの国でも同じようなものらしいですね。
そんなわけで、この「宮 -クン- Love in Palace」というドラマは、ソウル市が管轄の「慶熙宮」の映像を使うことになったということです。
「景福宮」や「昌徳宮」が使えれば、池とか庭園とかも一度に撮影できたのでしょうが、結局は「慶熙宮」になってしまいましたから、表の庭園はわざわざ慶州の「雁鴨池(アナプチ)を。
裏庭には自分も行ってきた全州の「慶基殿(キョンギジョン)」を使用して撮影をするという具合に、あっちゃこっちゃしなきゃならなくなってしまったようです。
でもそのおかげで、全州なんかは観光客が増えたりしましたから、ドラマの製作陣は大変だったでしょうが、幸いした自治体もあったわけだし、「慶熙宮」だったおかげで、あの馬に乗ったポロのようなスポーツの撃毬(キョック)なども、王宮内部での撮影ができたらしいし、悪い面もいい面もあったようですよ。
とにかく、この「宮 -クン- Love in Palace」というドラマの、「景福宮」の勤政殿のような風景をはじめとした王宮風の風景は、「慶熙宮」を基にしたCGの世界でうまく完成させたドラマなんだそうです。
そうそう、そういえば、えりなーサンの大好きな「根の深い木」も一部がこの「慶熙宮」で撮影されたようですよ。
慶熙宮案内サイト
http://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=486
http://www.seoulnavi.com/miru/5/
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「トンイ」の最終回、そのラストシーンは、あの「善徳女王」の〝斯多含(サダハム)の木〟だったよね
https://dora-love-b.blog.ss-blog.jp/2012-06-17-2
「トンイ」が終わってしまいました、最終回はどうでもいいお話で、いわば〝お・ま・け〟そんな感じで、ゆっくり「トンイ」を偲んでやってください的な回でしたが…。 以前の特番で、最終回のシーンは慶州で撮影して、それをそのままソウルへ映像を送信して、その夜に放送したというようなことを言ってましたっけ。だから慶州のどの辺りが登場するのか(?)と気になって…すんまへん、嘘つきました。あのYou Tubeで最終回のシーンが紹介されてましたから、もう既に去年から薄々は知ってましたけどね(笑)でも実際に自分が画面の中で確認したいと思ってましたんです。 そうしたらやっぱりでした、「トンイ」のラストシーンは、あの「鉄の王 キム・スロ」のソク・タレがまんまとせしめた慶州の半月型の土地、後には「善徳女王」がピタ゜ムの乱で陣地を構えたという「月城(半月城)址」でした。(何の話?って方は過去記事を探しておくんなまし_(._.)_) 一昨年の5月に訪れた時にはこの「月城」のあたりはあっちこっちで工事をしてました。そんな中の一角が大きな花壇になっていたのですが、今はすっかりこの付近もきれいに整備がされたようで、「瞻星臺(チョムソンデ)」からこの「月城址」の一帯は見違えるような憩いの場になっているようです。 その道すがらに、こんなものが立っているようです、立っていたでしょうか(?)、今もあるかどうかと聞かれても困りますが、観光の宣伝にもなりますから、多分今も立っているんでしょうと言っておきます。 以前に自分がここを訪れた時には、「月城址」から「雁鴨池(アナプチ)」へ向かう方にこれが立っていました。 この慶州歴史地区の「月城址」の近辺は、「トンイ」と「善徳女王」の撮影地というのを前面に出してアピールしているということみたいです。 そんな人気時代劇の撮影地としての顔を見せるようになった「慶州歴史地区」、その中でも「月城址」の「石氷庫(ソッピンゴ)」の正面にあるものが、それを代表するものになったと言ってもいいのではないでしょうか? 「善徳女王」で美室(ミシル)の初恋の象徴として登場し、「鉄の王 キム・スロ」ではデートの場所になり、そして今回の「トンイ」ではラストシーンを飾る風景となったもの、それが〝一本の木のある風景〟です。それを我々は『斯多含(サダハム)の木がある風景』と呼ぶ、ってなわけで、「善徳女王」の中でのミシルの..
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gg-doara
2012-06-18T00:58:35+09:00
以前の特番で、最終回のシーンは慶州で撮影して、それをそのままソウルへ映像を送信して、その夜に放送したというようなことを言ってましたっけ。
だから慶州のどの辺りが登場するのか(?)と気になって…すんまへん、嘘つきました。
あのYou Tubeで最終回のシーンが紹介されてましたから、もう既に去年から薄々は知ってましたけどね(笑)
でも実際に自分が画面の中で確認したいと思ってましたんです。
そうしたらやっぱりでした、「トンイ」のラストシーンは、あの「鉄の王 キム・スロ」のソク・タレがまんまとせしめた慶州の半月型の土地、後には「善徳女王」がピタ゜ムの乱で陣地を構えたという「月城(半月城)址」でした。
(何の話?って方は過去記事を探しておくんなまし_(._.)_)
一昨年の5月に訪れた時にはこの「月城」のあたりはあっちこっちで工事をしてました。
そんな中の一角が大きな花壇になっていたのですが、今はすっかりこの付近もきれいに整備がされたようで、「瞻星臺(チョムソンデ)」からこの「月城址」の一帯は見違えるような憩いの場になっているようです。
その道すがらに、こんなものが立っているようです、立っていたでしょうか(?)、今もあるかどうかと聞かれても困りますが、観光の宣伝にもなりますから、多分今も立っているんでしょうと言っておきます。
以前に自分がここを訪れた時には、「月城址」から「雁鴨池(アナプチ)」へ向かう方にこれが立っていました。
この慶州歴史地区の「月城址」の近辺は、「トンイ」と「善徳女王」の撮影地というのを前面に出してアピールしているということみたいです。
そんな人気時代劇の撮影地としての顔を見せるようになった「慶州歴史地区」、その中でも「月城址」の「石氷庫(ソッピンゴ)」の正面にあるものが、それを代表するものになったと言ってもいいのではないでしょうか?
「善徳女王」で美室(ミシル)の初恋の象徴として登場し、「鉄の王 キム・スロ」ではデートの場所になり、そして今回の「トンイ」ではラストシーンを飾る風景となったもの、それが〝一本の木のある風景〟です。
それを我々は『斯多含(サダハム)の木がある風景』と呼ぶ、ってなわけで、「善徳女王」の中でのミシルの初恋の相手の名前が付けられた木が、慶州のこの一帯での撮影地の代表格になってしまいました
根元から分かれているこの大きな木、遠目で見るといい形をしています、しかも、開けた草っ原にたった一本だけ立っているってのが、これまたいい風情を出しているじゃないですか。
これが二・三本並んでたんじゃたいした絵にはなりませんけどね、こうして、たった一本っていうのがいいんですねえ。
上の画像のようにミシルさんが一人で佇んでおられましたが、今もあるんですかねえ(?)、遠くから見たって「ありゃミシルだよ!」って分かるくらいにいい目印になってました。
本当に「石氷庫」の正面の位置に立ってますからすぐに分かりますが、見てみりゃただの一本の木、どう見たって普通の木にしか見えやしませんが、「善徳女王」の〝斯多含(サダハム)の木〟、そして「トンイ」のラストシーンを飾った木として見れば、なんか特別な木に見えてしまうかもしれませんね。
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