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ドラマ「王女の男」のモチーフには朝鮮時代の二つの〝都市伝説〟(?)

  〝都市伝説〟昔からこんな言葉がありましたっけ?
自分は最近になってよく耳にする言葉のひとつのような気がしていますが、人から人へコソコソッと言葉だけで伝わる風聞のようなもの、その真実は定かではない内容なのに、何か人から聞けばまたそれを誰かに伝えたくなるような話ってよくありますよね。
そこにはまったくの根拠もないのに、「こんなことがあり得るかも(?)」「こんなことがあったら面白いかも(?)」 そんな気持ちが作用して、中には元々の話しに尾ひれが付いたり、ちょっと加工が加えられたりしながらも、まるでそれが真実かのようにまことしやかに伝えられる話しというのはよくあるもので、なぜかこうした会話の中だけの世界には不思議な興味をそそられるものです。

  「ねえねえ、こんな話し知ってる?」 「おい、こんな噂があるけど知ってるか?」
もう誰から聞いた話かも分からないのに、どこまでが真実でどこからが創作なのかも知れないのに、「えーっ、知らなーい」 「うそー!本当に(?)」と、どんどん口頭で伝わる話、それが大きく広がり後々まで残れば過去の伝説となり、いつか忘れ去られていけば一時の都市伝説で終わる。

  いつの時代も、どこのお国でも、やはり人間の興味なんて変わりはないようで、その〝都市伝説〟の残された片鱗から生まれたドラマが「王女の男」のようです。


  朝鮮時代、世宗(セジョン)国王が以前から不安視していたものが、とうとう現実となってしまった「癸酉靖難(ケユジョンナン)」というクーデター。
その血の繋がった肉親どうしの権力争いの中で、巻き込まれてしまった多くの人間の血が流されました。
その中心となって命を落とすことになった人物が「キム・ジョンソ」でした。
  犠牲者となったキム・ジョンソには本妻との間に、キム・スンギュ、キム・スンビョク、キム・スンユという三人の息子がいたというのが記録に残っています。
ただ、上の二人はこのクーデターの犠牲になった記録が残っていますが、三男のキム・スンユについては「癸酉靖難(ケユジョンナン)」当時の記録が無いようです。

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  一方のクーデターの首謀者である「首陽大君(スヤンテグン)」には、不思議なことに記録にある娘「懿淑(ウィスク)公主」、ドラマの中では次女のイ・セジョンの上に、記録にはない長女がいた可能性が見え隠れしています。
『世宗実録112巻』という記録によると、 1446年当時、首陽大君は「1男2女」を授かっていたというようなことが書かれているそうで、それが「宜逞(ウィリョン)公主」、ドラマの主人公のイ・セリョンの存在ということになります。

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  犠牲者の方の三男「キム・スンユ」には犠牲になったという記録がなく、一方の首謀者の方には、きちんと記録には残されていない長女の存在があった可能性がある、ここが都市伝説を生むキーポイントとなりそうです。

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  さて、このクーデターの犠牲となったキム・ジョンソ一族の本貫・順天(スンチョン)には『順天金氏大同譜(スンチョン・キムシ・デドンボ)』というものが残されているそうです。
その中にあった民衆の間で広まった噂話のようなものを集め、後にひとつにまとめあげたもの、言ってみれば〝都市伝説集〟のような「童子民説」の中に、こんなひとつの話しが残されているようです。

  『おみゃあさん、知っとりゃあす? 首陽大君様の上の娘さんと、キム・ジョンソ様の三男坊が、あのクーデターの後でかろうじて生き残りゃあてよう、首陽大君様の追っ手を避けて逃げのびてござったんだと、そんで南漢山の麓あたりでひっそり身分を隠しながら暮らしてみえたらしいで。
そんでもよう、生活の苦労は多少しやあたものの、二人で死ぬまで仲よう幸せに暮らしとりゃあたげなに』
 『ほんとにきゃぁ?そりゃよかったなも、悲惨な事件だったで、ちょこっとでも幸せに暮らしてみえた方がおりゃあたなら、そりゃ、ええ話しだわなも』

  読みづらい?すいません_(._.)_ 風聞の都市伝説らしく(?)名古屋弁の会話風に脚色してみました(笑)
でもお解かりですね? きちんとした記録には残されていないドラマの基本となるような話が、順天の〝都市伝説〟として、過去にまことしやかに語り継がれていたということになります。

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  一方、似たような民衆の間で語り継がれていたものを書き綴った書物、『錦渓筆談(クムゲピルダム)』というものがあり、首陽大君の幻の長女が父親の野心に嫌気がさして、父娘の間がうまくいかなくなり、それを心配した母親が乳母と一緒に娘を遠くへ逃がしてかくまうことにした。
その先で偶然にも、「癸酉靖難(ケユジョンナン)」の混乱から逃げ延びてきたキム・ジョンソの孫という男性と出会い、縁を結んで洞窟のような場所で共に暮らしたというようなことが書かれているそうです。
そのキム・ジョンソの孫を三男のキム・スンユに置き換えれば……ということになります[手(チョキ)]
この『錦渓筆談』については多くのサイトで書かれていますし、ご存知の方も多いかもしれませんが、こちらのサイトの方がうまく解釈して解説されていますので、ご紹介しておきます、リンクしませんので、URLをコピーして貼り付けて飛んでください。
  
  http://韓国の歴史.com/oujyonootoko/%E7%8E%8B%E5%A5%B3%E3%81%AE%E7%94%B7%E3%81%AE%E5%8E%9F%E4%BD%9C%E3%81%AF%E9%8C%A6%E6%BA%AA%E7%AD%86%E8%AB%87%EF%BC%9F/

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  人の口から口へとまことしやかに伝わっていた二つの〝都市伝説〟、これを合体させれば…あーら不思議、ドラマのモチーフができちゃったよ[わーい(嬉しい顔)] ってことですね。
ただ、これは韓国のものを直訳したり、日本の方がそれなりに理解して書かれていたものを、自分なりに解釈して独自の世界でまとめていますので、間違った解釈があるかもしれませんのでご了承願います。

  ただひとつ真実は、「信じるか信じないかはあなた次第」という〝都市伝説〟は、いつの世にもどこの国にも存在して、それにきちんとした脚色をし立派なストーリーとして仕上げれば、こんなにもすばらしいドラマにもできるということです。

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