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「王女の男」の時代背景から  「定順王后」を支えた韓国(朝鮮)らしい〝女性パワー〟

  よく韓国の人たちの気質で、「他人の領域に遠慮なく入り込んでくる」なんて言われることがあります。
日本人から見ると「うっとうしい!」 と感じたりもしがちですが、その裏を返せば「他人のことだろうがほっとけない」みたいな世話好きな一面と捉えることもできます。
特に、少しばかりご年配の女性ともなれば、そんな傾向が強くなったりもします[わーい(嬉しい顔)]、どことなく関西人の気質に似ているような(?)気もしなくはない。

  前のページで書いたように、夫の端宗(タンジョン)こと魯山君(ノサングン)も亡くなり、格も落とされ宮中も出て、庶民の生活を強いられることになった定順王后(チョンスンワンフ)と三人の侍女、魯山君の菩提を弔い冥福を祈っていれば、腹も減らなきゃ食い物もいらないというわけにはいきません、ごく普通の人間なんですから、とにかく貧しいながらも生活を始めます。

  そんな姿に同情を募らせ、庶民達の間で噂が広まって困るのは、世祖を筆頭にした朝廷側のやからです。
民心が同情に傾いてしまえば、後ろ暗い自分たちなのですから、あくまで反逆者の妻でいてもらいたいわけです。
そこで、建物を与えて面倒をみようと持ちかけますが、断固拒否されてはどうしようもできない。

  ただ、王后の方も、仇である朝廷の援助は受けたくはないものの、意地だけでは食べていけませんから、リボンなどのちょっとした布の小物を作っては近所で売ったりして食い繋いでいきます。
しかし女四人が食べていくのはやはり無理がありますから、食うや食わずの苦しい生活を強いられることになってしまいます。

  そんな様子を目にし、耳にした近所の庶民の皆様が見兼ねて救いの手を差し伸べます。
内緒で少ないながらも食べ物などを運んでくれるようになります、しかし、朝廷の目がありますから大っぴらにはできません。
何しろ王后は朝廷側にとっては〝要注意人物〟なのですから、親しくしていつも援助するなんてことはできません。
それこそ目を盗むようにして、こっそりと庵の前に置いてくるとか、そんなことしかできないのですが、しかしそれすらもなかなか容易なことではないのです。

  そこで女性たちは考えた! そしてなんとか王后を援助する方法はないものかと考え抜いて、ついに絶妙な方法を思いついたのです。

  大勢の女性だけが集まり、女性だけで売り買いをする市場を、王后の庵の側で立ち上げることにしました。
もちろんそこは〝8歳以上の男子禁制〟として、朝廷の役人だろうが誰だろうが、男という男は一切排除するという方法をとったのです。
後世に伝わる 『女人市場』 の誕生です。

  こうして女性だけの市場が出現し、野菜や穀物などを売り買いするという名目の元、役人の目も気にすることなく侍女を介して、王后に食べ物などの援助ができるようになりました。
まさしく韓国(朝鮮)の女性パワー発揮といったところです。
  朝鮮時代なんてのは、男尊女卑が顕著な時代です、そんな時代にこんなことができたのは、よっぽと大勢の女性の力が結集されたに違いありません。
それくらいに王后の姿は傍目にも放ってはおけないほど、痛ましくも健気に映っていたのでしょう、特に同じ女性の目には。
朝廷がどうであろうが、もう民心は端宗や定順王后への同情心でいっぱいだったのだろうと思います。
  日本でいえば、あの「赤穂浪士」に同情し応援した、お江戸の皆様方と似たような庶民の感情だったのかもしれません。

  こうして、定順王后は庶民の力を借りながら、82歳という生涯を終えました、まるで端宗の分の寿命も半分引き受けたような、当時としては天寿を全うしたと言えるのではないでしょうか。
しかしそれも、64年間を支え続けた、朝鮮の〝女性パワー〟があったればこそだったのです。

  その市場があった場所は、現在は小学校になっていて、碑のみが残されているそうです。

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  悲劇の幼き国王「端宗」と「定順王后」の話題は、一旦ここで休止です、またドラマ「王女の男」の展開とともに、この「端宗」を含めた〝「王女の男」の時代背景〟の話題を書いていきたいと思っています。

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