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【韓ドラ雑記】 お・お・お・おもしろすぎだよ! ドラマ 『ジャイアント』

  今現在夢中になっている韓国の〝新古背景ドラマ〟がふたつあります。
ひとつが、以前にも少し書いた「ロードナンバーワン」、そしてもうひとつが「ジャイアント」

  〝新古背景ドラマ〟なんて言葉はありませんが、まるっきり現代でもなく、かと言って全く過去の「時代劇」と分類するにはふさわしくない、ちょっと前の時代のドラマを独自に区別してこう呼んでいます。

  上のふたつのドラマ自身も、まるっきり時代背景は異なっています。
「ロードナンバーワン」は朝鮮戦争真っ只中を描いているドラマ、片や「ジャイアント」は貧しい戦後からソウルオリンピックに向けて、高度経済成長を突き進む時代背景のドラマです。

  このふたつのドラマ、韓国の視聴率では明と暗、グングンと視聴率を伸ばしていった「ジャイアント」、10%そこそこから始まって数%だけの視聴率で終わってしまった「ロードナンバーワン」
だけど日本人である自分から見れば、ふたつともに興味深くとっても見応えのあるドラマです。

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  韓国の人にとっては悲しく思い起こしたくない時代を描いた「ロードナンバーワン」に対して、「ジャイアント」は父を殺され辛酸を嘗め尽くした兄弟の復讐をからめながら、高度成長を突き進む時代を逞しく生き抜き、その知恵と才能でのし上がっていく主人公ガンモの姿、やはり韓国の人々にとっては「ジャイアント」に描かれている時代背景や人物像にずっと魅力を感じたのだと思います。
  今や韓国の若者にとっては「朝鮮戦争」は過去の話で、南北の統一など無理には望まない、今のままでふたつの国として存在していく方が望ましいという考えの人達が圧倒的で、過去の悲惨な戦争を知っている世代にとっては、失った故国の地を思い起こさせるドラマからは目を背けたい、それよりも強く豊かになっていく時代を描いたドラマに魅力を感じる、ふたつのドラマの視聴率の違いに、そんな韓国の思いを感じたりもしています、あくまで個人的に…です。

  前置きが長くなりましたが、ドラマ「ジャイアント」、毎日の放送を見ていたわけではなく、ずっと撮り貯めしていて、この土日の二日で50話を観てしまいました、そして、現在の放送分に追いついてしまったんです、自分でも 信じられへん という状態に陥ってました[ちっ(怒った顔)]
  二日間テレビにかじりついて韓国ドラマを見るというのは、過去の「ホジュン~宮廷医官への道 」のDVDを譲ってもらった時以来のこと、自分にとっては長時間記録の二位になります(笑)[ふらふら]なんたって「ホジュン」の場合は三日間でしたから[あせあせ(飛び散る汗)]、「キム・タック」は二日で30話ですからね、まだまだ及びません(笑)

  本当はまず10話ぐらいを観てみて、本当に前評判どおりにおもしろいか試してみるつもりだったんですが、
    と・と・と・止まんねえよーーー!
ということに相成ってしまったのです、[たらーっ(汗)]

  最初は悲惨な少年時代でしたから、ちょっと可哀想すぎだろ、なんで子供の金を奪うねん! 兄弟が離れ離れだよ!って、まあまあ暗すぎて腹を立てながら見てました。
普通ならそこでやめて、中飛ばしするんですが、それができない理由(わけ)がありました。
なんたって、舞台にはあの「順天(スンチョン)撮影所」がふんだんに登場していたから…いつもながらの単純思考です、そうしたら、あの今は見られない「ファンタスティックスタジオ」まで出てくるやんけ! だったら見ていくしかないっしょってなわけでした(笑)

  そうしたら、4話・5話あたりから主人公のガンモが才能を見せだして、賢く正義感の強い主人公の姿へと変わってきた、それと同時に、今度は「陜川(ハプチョン)映像テーマパーク」がふんだんに登場するようになる。
もういけねえ、再生が止められなくなってしまいました[あせあせ(飛び散る汗)]

  このドラマは、自分が大の苦手とする権力という大きな壁、いわゆる〝裏組織〟〝政財界の汚さ〟なんてのが出てきて、本来ならあまり好きにはなれないドラマのはずなのですが、それよりも主人公ガンモの生き様、そしてそれを取り巻くドラマチックな人間像の魅力に釘付けになってしまいました。

  自分の命を狙った奴が忠実な部下になったりというガンモの人間性に感動し、妹と再会したらそこでウルウル、今度は兄と再会したらウルウル、難関を乗り越えたら爽快感、一旦は敵(かたき)の娘としての別れがあり敵対したかと思えば、今度は良きパートナーへと変わってくるし、その娘の父親も、子供の頃の恩人が敵となり、またまた今度は同士へと変わりって、どんだけ目まぐるしい展開やねんって、本当に飽きがくるどころか目が離せない。
「エッ、こんな回でもうそれが分かるの?」「もう理解しあえるようになるの?」って、普通のドラマなら最終回近くで展開されそうなことが早々に展開されながらも、ちゃんと今度は新たな展開を見せていく、だけどその目まぐるしい展開が分かりにくいわけでもなく、いいテンポで進んでいくわけですよ、もうこうなったら虜ですよね、ドラマ制作者の思う壺にはまってしまっておりました。

  涙なしでは見られない感動シーンもあれば、「やったね!」という爽快シーンがあり、ハラハラドキドキのアクションシーンも飛び出し、次から次へと、よくもまあこんな悪巧みが浮かぶものだという、敵方に腹を立てながらも感心し、またその上をいくガンモたちの聡明さや仲間意識に「よしッ!やったー!」と思わず拍手してしまったり(笑)

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  ところで、主人公の父親を殺し、次から次へと策略をめぐらせてくる敵(かたき)役の「チョン・ボソク」って凄いですね。
そういえば過去の「大祚榮(テジョヨン)」でのイ・ヘゴ役でもあの爬虫類のような表情が生きてましたっけ、そして古くは「商人」でもそうでした。
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  でも、最近になって自分がこの人を見たのは「明日に向かってハイキック」なんですよ。
ちょっとお間抜けなおしゃべりで軽率な父親役で、よく妻からキックを受けていた情けない夫のイメージが抜けきらずにいたところへ、今回の「ジャイアント」での冷徹な役です、韓国の俳優って味方のいい役をやっていたかと思えば、次には悪い敵の役で見かけたり、本当によくよく変身しますが、この人の変わり方って凄すぎでしょ!って感心しておりますんです。
オナラが得意のイ・スンジェお爺ちゃん以上の大変身だよね(笑)
ふたつのドラマを見た方はよく理解してもらえますよね?
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  それと、最近に登場している、妹ミジュの息子の子役が、伊藤淳史の〝チビノリダー〟に見えてしまってしょうがないと思うのは自分だけですか?
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  なんにしても、普通ならこういうドラマはいくら視聴率が良かろうがあまり見る人間ではないのですが、今回は自分が訪れていた〝撮影所〟が縁で見ることになりました。
でも、そのおかげでこんなおもしろいドラマに出会えました、〝撮影所よ、ありがとう!〟ってな気持ちです。

  今日の放送が53話でしたから、残すところ7話です、自分としたら妹がとっても気にかかりますが、皆さんはどんな終わり方を期待してますか? なんにしても楽しみですよねえー。

  ところで、4月2日(月)~4日(水)の放送は、編成の都合上13:00~13:55で放送致します。ということですから、残りを見損なわないように、録画している方は気をつけてくださいね。
んにしても、こんなでかいスケールのいいドラマが、BSの昼間っていうのは勿体無いですよねえ、〝韓国ドラマ〟だから仕方がないとは言え、つまらんバラエティしか放送できない日本のテレビ界にはうんざりしてますから、録画という有り難いものが普及していることがとっても救いです、おかげで、つまらない夜も大助かりしている自分です[わーい(嬉しい顔)]


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今更ですが、「チャングム」のあの橋が「イ・サン」にも登場していた話

  昨年の12月で閉鎖になってしまった「チャングムテーマパーク」、施設の一部は『ドラミア』に移築されるということでしたが、その後はどうなっているんでしょうね(?)

  これも懐かしい話になってしまいますが、「イ・サン」の初めの頃に、子役たちが走り回っていたシーンで、なんか「チャングムテーマパーク」が使われていたような気がする、そんな思いがあったものです。
それから確認することもなく済んでしまいましたが、本当に今更です、今更こんな記事を書いたって「チャングムテーマパーク」が見られるわけではないのですが、できれば『ドラミア』に復活してくれたらいいのに…と思うのが、「チャングムテーマパーク」にあった橋です。

  ドラマ「宮廷女官 チャングムの誓い」、何度も放送されましたから、殆どの皆さんにはお馴染みのドラマだと思います。
その終盤に、チャングムが王様の健康のために裸足にして歩かせた橋のシーンがありました。
実際に目にしたら、本当に短い橋のセットにすぎないのですが、ガイドさんの話を聞いて「なるほどー」と頷いたものです。
  「短い橋のセットの全体を映すのではなく、端が見切れた状態で撮影して、いかにも長い橋であるように見せていたんですよ」、これを聞いて映像マジックの原点を目にしたような思いでした。

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  そんな記憶に残る橋でしたから、「チャングムテーマパーク」のどのセットよりも深く記憶の中に刻まれてしまっていたようです。

  前2ページの話題のように、ちょっとドラマ「イ・サン」を見直していました。
そうしたら、回想シーンで子供の頃の場面が流れたんです、そうして、今更ながらに思い出したのが、
   「そうか、このシーンを目にしていたから、イ・サンがチャングムと繋がっていたんだ」
      そんな場面に出くわしました。

  少年のイ・サンが、ソンヨンとテスに初めて出会い、宮殿の中をあっこっち隠れて移動してました。
その中に〝橋のシーン〟があったのを憶えてますか?

  サンが手を差し伸べてソンヨンを引き上げるシーン、それを見た子供のテスがちょっとがっかりしたようなシーンです。

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  「アレッ? この橋って…」
   そう思って「チャングムの誓い」のDVDを引っ張り出してみてみました。

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  そうだったんですよ、あの橋が、「チャングムテーマパーク」の例の橋だったんです、だからその印象が残っていて、あの子供のシーンには「チャングムテーマパーク」が多く使われていたような…そんな気がしていたようです。
「チャングムテーマパーク」は何も「チャングムの誓い」だけではなく、こうして「イ・サン」の印象的なシーンでもちゃんと活躍していたんですねえ。

  今更こんな記事を書いたって、「イ・サン」のシーンの撮影場所として目にすることはできないのですが、「イ・サン」でも端を見切れた状態で映して長い橋に見せていた、いわば〝伝説の橋〟として『ドラミア』に復活してもらいたい、そんな望みを抱いている自分なんです。


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『ドラミア』で見てきたソンヨンの家は、「トンイ」のこっちだったんだよね

  これからの記事は、過去記事の訂正になってしまいます。
と言ったって、もうその記事は先週の放送を見た直後に削除してしまいましたが。
間違った記事をそのままにしてたんじゃ眉間に…いえ、股間に…、いえいえ沽券に関わりますから…ってわざとらしく間違えておきました(笑)

  昨年の九月に、「ドラミアで見たソンヨンとテスの家、その畑の謎がトンイで解明」とかなんとかいう記事を書きました。
けっして記事そのものは間違ってはいないんですよ、確かに「トンイ」で解明されたんですから。
ただ違っていたのは、その時に書いた仁顕(イニョン)王妃が、宮殿を追放されて住んでいた民家の姿じゃなかったってことです。

  あの時に、仁顕王妃が庭の畑仕事をしてましたからね、ついつい自分が見てきたソンヨンとテスの家の姿はこれだったんだって思い込んでしまいました。
ところが、考えてみればあんな頃はドラマの中盤なんですよ、ドラマが終了した間際に自分たちが見てきた姿だと考えたのが単純で浅はかでしたよねえ。


  初めてこの話題に接する皆さんは「なんのこと?」とお思いでしょうから簡単に説明しますと、
自分は一昨年の9月30日に「ドラミアツアー」に参加して、ガイドさんが教えてくれた『ソンヨンとテスの家』として使われていた民家のセットも見てきたのです。
でも、その『ソンヨンとテスの家』なるセットには、庭に見たことのない小さな畑が存在してまして、とっても違和感がありありで、自分なんかは「本当にここがそう?間違ってない?」なんていう疑問を抱いてしまったんです。
  そうしたら昨年の9月です、その同じセットが仁顕王妃の追放先の住居として登場し、しかも王妃さんが畑仕事をしていたから、てっきりこの王妃さんが住んでいたままのセットを、自分たちが見てきたんだと思い込んで記事にしたというわけです。

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  だけど、実際には王妃様の後で、ここを住居にしてみえた方がいたんですよ。
ここまで書きゃあ最近の「トンイ」を見ている方はお分かりですよね、しかも自分が先週の放送で確信したんですから、そうそう、王妃の後にはこの人がここに住んでいたんです。

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  雲鶴(ウナク)ことキム・グソン、トンイの息子のクムこと延礽君(ヨニングン)の先生になるお人ですね。
イ・ビョンフン作品では皆勤賞のメン・サンフンさんがその主だったようです。

  そんなことはいいとして、先週の放送で、この雲鶴(ウナク)の家で肅宗(スクチョン)が庭の畑を耕して(?)と言うより、いじくってましたが、その畑こそが自分がドラミアの『ソンヨンとテスの家』なるセットで目にした畑そのものだったんですよ。

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  つまり、おいらが見てきた『ソンヨンとテスの家』なるセットは、この雲鶴(ウナク)が住んでいたままのセットを見てきていたということだったようです。

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  ソンヨンやテスが引き払った民家に、仁顕王妃が追放されて隠れ住み、そして空き家になったら今度は雲鶴(ウナク)先生が住み着いて、トンイやクムや肅宗(スクチョン)が訪れていたというわけでした[わーい(嬉しい顔)]

  仁顕王妃さんには申し訳ないですが、先週の放送で肅宗が畑いじりをしてるのを見たら、〝チ・ジニが実際にいじくっていた畑〟ということで、「なんで畑があるの?」というわけのわからない畑が、急にありがたい存在の畑に格上げになってしまいました(笑)

  それにしても同じ民家のセットが、そのドラマごとに、しかもその住人ごとに映す角度を変えれば、まるっきり違う民家にしか見えないんですから、やっぱり映像の世界はマジックそのものだという実感がします。
同じセットとは言っても、これだけの建物がありますから、どこをメインで映すかで大きく変わってしまうわけです。

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  別に今更どうでもいいことで、単に同じセットが使われていただけの話なんですが、以前に読んでいた方に「違うじゃんかよー」って思われるのが癪なので(笑)、訂正記事のようなものを挟ませていただきました<(_ _)> 

で、懐かしい「ソンヨンとテスの家」
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【韓ドラ雑記】 うまく繋がるよね、「トンイ」と「イ・サン」~トンイが救ったソンヨンと息子のヒャン

  たまたま別のことで過去の「イ・サン」を少しばかり見直す機会がありました。
過去とは言っても、自分の中では過去のドラマなのですが、NHKのデジタルでは現在進行形のドラマですから、始めて視聴されている方も多くみえて、改めてファンになった方もみえるかと思います。
それを裏付けるのが、我がこのブログです、もう1年も前に書いた「ソンヨンの墓」なんていう記事へのアクセスが途切れないのですから。

  ちょうど日曜の夜の放送では、お爺ちゃん王の「英祖」が亡くなった頃をやっているようなのですが、たまたまその「英祖」が亡くなったシーンを再び見る機会がありました。

  「イ・サン」でのお爺ちゃん「英祖」が、「トンイ」の息子であるクムの晩年の姿だっていうのは、まあ今更とりあげて書く必要もないくらいの周知のことです。
ドラマの順番としては逆になっていたらより解り易かったんでしょうが、たまたま逆になっていて、「イ・サン」が2007-8年のドラマで、「トンイ」が2010年に放送のドラマということになってしまい、「トンイ」の息子がお爺ちゃんになってしまった頃からを見ることになってしまいました。
ですから、「イ・サン」を見ている頃には別段気にすることもなく見過ごしていたシーンも、「トンイ」を見ながら改めて「イ・サン」を見ると、『これってトンイのことだよ』なんていうシーンにも遭遇することになります。

  「イ・サン」で、英祖が最期を迎えるシーンがそれです。
思悼世子(サドセジャ)の肖像画を描いてくれたソンヨンに、英祖がこれからもサンの力になってやってくれと、指輪を贈りますが、それが母親である「淑嬪崔氏(スッピンチェシ)」の形見である指輪でした。
言うまでもなく、英祖の母親である「淑嬪崔氏」というのが「トンイ」のことですから、〝トンイの形見〟ということになるわけです。

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  この「トンイの形見の指輪」が後の72話だかで、このソンヨンとソンヨンの息子のヒャンを救うことになりましたよね。
身分の低いソンヨンの息子を世子にするなんてとんでもないという、重臣達の反対を押しのけて世子に冊封できたのがこの指輪のおかげでした。
英祖が大事な母の形見を贈って認めていたソンヨン、そしてそのソンヨンの子を認めなければ、先王の意思をないがしろにすることになるわけですから。

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  この「イ・サン」の放送中に、「トンイ」の構想があったのかどうかなんて知りませんが、うまく繋がってくるわけですよ。
ムスリという奴婢の身分だったトンイの指輪が、後のひ孫の側室となった同じく身分の低いソンヨンとその息子を救う、言ってみればトンイ自身と英祖の関係そのものです、低い身分の女とその息子という点で。

  身分の低いトンイと、その身分の低い母から生まれた息子のクム(後の英祖)が、後に同じ身分の低いソンヨンとその息子のヒャンを救うことになったなんて、両方のドラマを見ていたからこそ投影される繋がり、あまりにうまくできすぎですよ、イ・ビョンフンさん!(笑)
まさか二年後に放送されるドラマと意図して繋げたなんてことはないんでしょうが、身分の低い女性とその息子という構図は「イ・サン」の中であったのかもしれません、それが後のドラマ「トンイ」の人間性や構図にぴったりはまっちゃったよ、ってことなんだろうな[わーい(嬉しい顔)]

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北朝鮮にある「王建」の子孫の墓はほったらかし? 

  高麗の始祖である「太祖王建(テジョワンゴン)」のドラマから、ちょっとばかり調べておりましたら、前のページで書いたように、「王建」の墓は立派になって開城(ケソン)」の観光ルートになっているようで、現在の姿は一般の観光客の画像からも窺い知ることができるようになりました。
  そしてもうひとつ、同じく観光ルートになっている高麗の王の墓があります。
「王建」の墓にも近く、とっても目立つ形をしている墓が、高麗の31代目の王である「恭愍(キョンビン)王(在位:1351年 - 1374年)陵」です、いえ、正確にはご夫妻の墓ということになります。
双墓ということで、王と妃の墓が並んで存在しています。
「王建」の方はご夫妻ともに同じ墓に入ってみえるようですが、こちらは、お妃が亡くなられた後に自分が死んだらその隣に…と、存命中に自らが築いた墓だという話しです。
こちらも観光ルートのようで、「王建」の墓ともども容易に画像を見つけることができます。

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  そうなれば、他の高麗の王墓もきちんと残されていて、いつでも画像が見られそうなものですが、そこが北朝鮮ならではですよね、2009年と言いますから、本当にごく最近のこと、なんとおよそ60年ぶりに一部の他の高麗王の墓の画像が公開されたそうです。
単なる史跡でもある陵墓の画像でさえ、容易に見られないというのが現状のようで、まずそのことの方が驚きなのですが、さらに驚くのがその公開された高麗王の墓の様子です。
では、サイトで見つけられた高麗国王陵墓のいくつかです。

2代目 高麗国王 恵宗(在位:943年 - 945年)。
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4代目 高麗国王 光宗(在位:949年 - 975年)。
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       但し、この画像は2009年の公開のものではありません。

5代目 高麗国王 景宗(在位:975年 - 981年)。
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6代目 高麗王 成宗(在位:981年 - 997年)。
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8代目 高麗王 顕宗(在位:1009年 - 1031年)。
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11代目 高麗王 文宗(在位:1046年 - 1083年)。
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12代目 高麗王 順宗(在位:1083年)。
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  なんだろうねえ、この違いって? 「朱蒙」や「王建」の墓は綺麗に改造しすぎで、高麗の「王建」の子供や孫、そして子孫の墓はほったらかしで、観光ルートでないものはこれでいいってこと…?…???
それにしても、ほどほど・そこそこっていう史跡の保存管理は北朝鮮には存在してないってことのようです[たらーっ(汗)]
でも自分なんは、かえってほったらかしの方が古く歴史が感じられますけど、ここまでになると未来へ残すという点では少々不安ではありますから、王建とこの子孫たちの中間ぐらいの保存状態を望んじゃいますね。


  では、ついでに見つかりましたので、「王建」の最後のライバルとなった後百済の「甄萱(キョンフォン)」のお墓もご紹介しておきます。
こちらは後〝百済〟ですから韓国側の論山市(ノンサンし)にあります。

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  志半ばで「王建」に破れ滅ぼされ、初代限りで消滅してしまった後百済の王「甄萱(キョンフォン)」でも、韓国側にあったらこうしてそこそこ・ほどほどの状態で残してもらえるってことですね[わーい(嬉しい顔)]
  アクセスはここが近いようです
     http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/AC/AC_JA_6_1.jsp?cid=355962

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やっぱり大変身(?) 北朝鮮にある「太祖王建」の墓

  ちょっと前になりますが、あの我がドラマの大英雄である「朱蒙(チュモン)」の墓は北朝鮮にあったということで、その現在の画像なんかを紹介しました。
  ところが、紀元前に亡くなっている方の墓が、朝鮮王朝の墓以上に新しく立派な墓になられていて(?)驚かされました。

  それならば、同じく北朝鮮側にある高麗の始祖 「王建」の墓も、同様にさぞやご立派になられているのではないか…と、過去や現在の画像をこのところずっと探してみましたら、現在の画像はいくらでもありました。
うん、まったく予想どうりの展開で、ご立派な姿に変身を遂げられておりましたです。

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  なんでも、金日成(キム・イルソン)主席の指導によって改修がなされ、1994年1月31日の王建の誕生日にお披露目されたらしい。
『ゴリョテジョワンゴンワンルンゲゴンビ』と主席様が直筆で書いてくださったとか、主席様によってこのように立派に改修されたとかいう碑が建っていたりするらしい(?)
でもこの同じ年の7月にご本人が亡くなっておりまして、最後の偉業のひとつになってしまったようです。
  まあ、なんでんかんでん将軍様のおかげですから(笑)、どうやら過去の英雄達のお墓も、将軍様・主席様のお力のおかげで立派に残されてますという、広告塔の役目も兼ねているようではあります。
そのおかげで過去の史跡がきちんと残されているのなら、それはそれで結果オーライではあるのですが…

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  立派ですよねえ!、こちらの墓も韓国にある朝鮮王朝の墓以上に新しく立派な姿です。

  でもへそ曲がりのおいらにゃ、「こんな大変身したものには用はない!」っていうんで、この改修がされる以前の姿が見てみたいと探してみたんです、いつもながらの物好きさんです[ふらふら]
ところが、そんな画像が出てこない、なんで? 整備する前は写してはいけなかったから? 観光地として行けなかったから? 不思議なんですよねえ。

  やっとそれらしいのを見つけたら全部同じ画像なんです。
その代表がこれなんですけどね、
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  全部で4サイトぐらい見つけたのですが、使われているのが全部上のこの画像なんです、狛犬らしきものが、トラのような勇ましいお姿に大変身されていたようです……[あせあせ(飛び散る汗)]
その中でもおもしろいのが、「朝鮮新報」のサイトです、
2006年の記事に使われているのが同じ左の画像で、2008年に使われているのが右の画像
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  改修されたのって1994年じゃなかったの? 今の姿になったのは2008年以降なの? って、まあまあわけのわからん状態に陥ってしまいました[ふらふら]
在日関連で発行されている新聞のサイトさえも、画像の入手が困難だったんでしょうか?
なんにしても現在は、その上に最初に並べ立てた画像のようにかなり立派だというのは間違いがないようです。

  そして遥か昔の朝鮮戦争終了後ぐらいには、こんな様子だったようです。
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【番外編】 ドラマ「同伊(トンイ)」の王様 肅宗、三回目は超年の差婚

  今夜は「トンイ」があるぞー! 楽しみです。
前回と前々回なんて3度ずつ観てしまいました(笑) 日本の番組がつまんないからねー、レコーダーを起動させるのが面倒で、テレビに録画してあるものをついつい見てしまいます、どんだけものぐさのおっさんなんだか[ふらふら]

  このところの「トンイ」ってほのぼのしてて楽しいじゃないですか、あのクムの笑顔ったらないですね、ほんと可愛いって言葉がぴったりで。
それよりも、またまた「チャングム技法」のバックの人たちがいい味を出してたりします、中でもあの普段はクソ真面目そうな〝韓(ハン)内官〟が特にいい!
真面目そうにしてて、時々見せるひょうきんさが何とも言えません、肅宗(スクチョン)が相撲をとってまぐれで勝ってしまった時の喜ぶ姿にはついつい笑ってしまいました[わーい(嬉しい顔)]
イ・ビョンフン監督はその作品ごとでこういう人物を発掘してくれますよね。

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  でも今回はドラマの話ではないんです、肅宗(スクチョン)君の女関係についてです(笑)
いえね、もうすぐ王妃さんも亡くなってしまいますしってことで、例によって皆様方のお墓がどこにあるんやろ?ってもんで資料を見ていたんですよ。
そうしたら韓国の方のブログに、王妃さんの年齢のことが書いてありまして、それにちょっとばかり興味をそそられてしまい、だったら記録に残る肅宗(スクチョン)君の女性遍歴を調べてみようっていう、今回は軽く遊び感覚での記事にしてみることにしました。

  朝鮮王朝の第19代目の国王である肅宗(スクチョン)君の生まれは1661年旧暦 8月15日(9月8日)、旧暦ですから正確にはちゃいますが、日にち的には韓国の独立記念日のお生まれなんですねえ、めでたい、めでたい!

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  1661年ですよ、肅宗君の生まれた年は、これをよーーーく頭に入れておいてくださいね。

  さて、この肅宗君には三人の王妃さんが記録されています。

  まず最初の王妃さんは 「仁敬王后(インギョンワンフ) 金氏」、この方は1661年生まれ
はいはいはーい、って「サザエさん」のタラちゃんではないですが[わーい(嬉しい顔)]、1661年ってことは…最初の奥様は同い年だったということで、これはまあ普通によくある話です。
でもこの方の生涯はたったの20年で終わってしまいます。

  そこでお母様の明聖大妃(ミョンソンテビ)さんが自分の味方である西人派から選び抜いた、肅宗の二人目の王妃さんが「仁顯王后 閔氏イニョンワンフ・ミンシ)}、ドラマではお馴染みの王妃さんですね。
この方、1667年生まれですから、ちょっとばかり年下ですが35歳でこれまた亡くなってしまいます。
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  そして最後の王妃さんになられたのが「仁元王后(インウォンワンフ)金氏」という方で、この方は1687年の生まれってことは、26歳も年下妻なんですねえ、羨ましいというか、大変そうというか、いえ、この方じゃないですよ、肅宗君がです(笑)
1701年に仁顯王后が亡くなって、その翌年に迎えるっていうことは肅宗君が42歳とすると、このお方は16歳ってことになるわけで…[ふらふら]
この方は70まで生きますから、群を抜いて長生きの王妃さんですが、子供には恵まれなくって、そのおかげでクム君こと後の英祖王の力にもなってくれますから、英祖にとっては幸いでしたよね、子供が生まれてたらもっともっと後継者がこんがらがってたかもしれない。
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  三人の王妃さんでさえ、同年から超幼な妻と、なんとまあ肅宗君ったら幅広く娶られていたんですよね。

  だけど、この他にもお馴染みの張禧嬪(チャンヒビン)やらトンイこと淑嬪 崔氏(スッピンチェシ)という側室もおられます、もちろん調べました[手(チョキ)]

  張禧嬪, 1659年生まれで2歳年上
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  淑嬪 崔氏(トンイ), 1670年生まれで9歳年下
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  䄙嬪 朴氏, 生まれは不明のようわからんお方です
  寧嬪 金氏, 1669年生まれの8歳年下
  貴人 金氏, 1690年生まれで29歳年下
  昭儀 劉氏、尚宮 李氏、尚宮 朴氏の三名は生まれは不明

   とまあ、肅宗君には以上の11名の女性遍歴(?)が記録されております。
  実際のところ、肅宗君の好みは年上なのか超ロリコン趣味なんだかよくわかりませーん(笑)

  最初は同年結婚、そしてちょっと年上に惑わされ、それと平行して無難なちょい年下の妻をもらい他の女とも付き合って、若い嫁さんをもらったら超年下がよくなっちゃってロリコン趣味に走りよったぞ!ってところですかね(笑)


   本当に適当なお遊び記事ですんません <(_ _)> 
    たまにはいいじゃないですか、っていう、広く大きな心で包み込んでやってください[わーい(嬉しい顔)]

  実を言うと、楽しみで仕方がない「トンイ」のことを書きたい、ところが、火事の後に身を寄せた王の別邸の撮影地も以前に書いてしまっているし、新しく記事にするような目新しい撮影地もない、お墓のことはちょっと早すぎるし、だけど「トンイ」のことをこの辺で入れておきたいってことで、まあまあこじつけでこんなしょうもない内容になっちゃいました[あせあせ(飛び散る汗)]

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初代『聞慶KBS撮影所』の「太祖王建セット」のモデルが北朝鮮にある…

  昨日から紹介しているBS朝日で放送中のドラマ「太祖王建(テジョワンゴン)」
ここのところは男女問題、まあお妃さん選びでちょっと展開が小康状態になってますが、それが終われば戦が始まりますから、王建の知略がとっても楽しみです。

  さて、韓国は聞慶市(ムンギョンし)にある「聞慶KBS撮影所」、最近の日本で放送されている韓国時代劇には欠かせない存在なんですが、以前から話題にしてますし、昨日も記事にしているように、初代の「聞慶KBS撮影所」は現在のようなセットではありませんでした。
  数年前のドラマ「大王世宗(テワンセジョン)」の撮影から、現在のような朝鮮王朝時代のセットへと生まれ変わっています。
そのセットを改修するにあたって、以前のセット、いわゆる「太祖王建」のセットを取り壊すのを惜しむ声があったそうです。
聞慶市にすれば結果オーライで、朝鮮時代のセットにしたおかげで現在があるわけで、需要の少ない「高麗時代」のセットよりは現在のようにしてよかったとも言えます。

  その改修する前に〝惜しむ声〟が上がったのには理由がありました。
初期の「聞慶KBS撮影所」に築かれ、ドラマ「太祖王建」のメイン撮影場所となったセット、特に王宮のセットは、他には無い「高麗時代」の姿をよく再現したものだから、取り壊すのは惜しいということだったらしいのです。

  でも、韓国には資料も少ない「高麗時代」
あのドラマ「太祖王建」に登場してくる高麗のセットが、なぜ「高麗時代」の姿をよく残しているとわかるのか? 
想像の産物だけではなく、ちゃんとあのセットにはモデルとなるものが存在していたということが書かれた記事を見つけました。


  昨日も書きましたが、あのセットの宮殿があった都は、現在の「開城(ケソン)」に置かれていました。
開城といえば、北朝鮮にある地、そして、現在では問題も多いらしいのですが、2000年8月金正日(キム・ジョンイル)氏と現代グループ会長鄭夢憲(チョン・モンホン)氏との合意で、北側が土地と労働力を、南側が技術と資本を提供するということで、一大工業団地が造られたことの方が有名な地です。
  自分もそうですが、「高麗」の都があった地というのは全然知りもせず、「開城工業団地」の存在は知っていたというくらいです。

  その北朝鮮にある「開城市」には『高麗博物館』というのがあるそうです。
そこには、朝鮮時代には隠れ住むようにしていた高麗の子孫が所持していた資料やら、出土した高麗の遺物などが多く展示されているということです。
1988年に開設されたその「高麗博物館」の展示の中には、高麗時代の宮殿だという〝レプリカ〟が存在しています。
残された遺跡や資料を元にして作られたというその宮殿のレプリカが、ドラマ「太祖王建」に登場する初代「聞慶KBS撮影所」に再現されていた撮影セットのモデルだということです。

  北朝鮮の「開城」に行かなきゃ見られない「高麗時代の宮殿」が、ドラマのセットとして韓国の聞慶に存在していたのですから、取り壊す時には〝惜しむ声〟があったというのも理解できる話です。
  そう考えると、自分だって以前には存在していた「高麗の宮殿セット」を見てみたかったなって思えますから。
こちら韓国側も、〝高麗の建築物テーマパーク〟とかなんとかで残せばよかったのに…などと、無関係な自分なんかは思ったりもするんですけどね[わーい(嬉しい顔)]

  なんにしても、画像で見る以前のセットは、これまでにない独特な姿をしていると思っていたら、「高麗時代」にあった実際の様式だったってことでした。
こんなことを知ると、明後日からのドラマ「太祖王建」に登場してくる「聞慶KBS撮影所」のセットが、実際にあった「高麗」の建物に近い姿をしていたのだと、少しばかり画面への喰らい付き方が変わってきそうな自分です、ましてやもう見ることのできないものなのですから。

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いよいよ10年前の『聞慶KBS史劇撮影所』の姿が見られる「太祖王建」

  このところ毎日欠かさず、録画したものを見るのが日課になっているドラマ『太祖王建(テジョワンゴン)』
ずっと録画だけをしておいて、見ないままで放置してあったのですが、古いほうのレコーダーを使って録画している関係で、ちょっとHDDの容量が心配になってきちゃいまして、なにしろ180話ですからねえ、このドラマだけで180時間分の容量が必要になるわけですから、ボツボツ少しずつ消化しておかなくちゃということで見始めました………そしたらどっこい、もう見る回数がありません、2日で22話分の録画してあったものを見てしまいました[ふらふら]
もうもう止まらない状態になってしまい、貯金を使い果たして毎日1話ずつを追っかけで見ているという始末です。

  10年前、正確に言えば12年前のドラマですから、見始める前は少しばかりとっつきが悪かったです。
「龍の涙」のように風格がありすぎて重いドラマじゃないんだろうか、とか、「女人天下」「王と妃」なんかのようにやたら長いだけの陰謀だけのドラマじゃないだろうか、とか、韓国の昔の長編時代劇を見るにはそれ相応の覚悟(?)を決めて見始めるのですが、この「太祖王建」はそんな覚悟(?)はまったく必要はありませんでした。

  韓国での視聴率なんて全てに当てはまるわけではなく、日本人との感覚の違いが多少ありますから、どんなんかな?って調べはしても、韓国での視聴率は参考程度で、やはり夢中になれるかどうかは自分の感覚次第だし、瞬間視聴率なんてのも、おもしろいドラマの代名詞には成り得ないと思っています。
  でも、週間視聴率が何週連続1位とか、放送期間を通して高視聴率なんていうドラマとなれば、やはりちょっとは興味深いものです。
そんなドラマは、たいていは男もはまるというか、おもしろく夢中になれるドラマが多いですから。
これまででも、「朱蒙(チュモン)」「許浚(ホジュン)」「チャングムの誓い」「善徳女王」なんてのはそんな前評判どうりでしたから。
  そしてこの「太祖王建」は、たとえ10年前とはいえ、それらの条件を全てクリアしているドラマ、しかも180話(200話とも言われるが?)のロングランにもかかわらず平均視聴率が37.3%、最高視聴率ともなれば60.2%って!怪物番組この上ない数字じゃないですか、この視聴率は「許浚」に継ぐ韓国時代劇史上では2位なんだとか。
そんでもって、週間視聴率1位が連続29週ってことは、半年以上もの間トップの人気を維持し続けたということですよねえ、こちらも「朱蒙」に次ぐ第2位の座に君臨しているドラマだといいます。

  とまあまあ、もの凄いドラマだというのは知っていました、だけど、結局は10年前の記録だし、感覚も10年前の古臭い感じのドラマかも?って見るまでは思ってました。

  ところが、これが実におもしろい! 
自分なんて朝鮮半島の「後三国時代」なんて時代があるのも知らなけりゃ、あの善徳女王の新羅が、最後はおバカ女王によって滅んだなんてことも知らない。
なによりも、「高麗」という王朝自体も馴染みがないわけです、「高麗」なんて〝高麗人参〟しか結びつかない人間ですから、とっても新鮮な時代背景の時代劇なんです、韓国の「KOREA」の英語国名の語源だって言われるくらいなのにね!
  しかも、戦闘シーンも迫力があるし、主役三人の人間像やら知略なんかも三様に展開されて興味深いし、何よりもドラマのテンポがいい、「こりゃ男もはまるよ!」ということで、前述の視聴率も「許浚」や「朱蒙」に並んで評される〝男性に支持されるドラマ〟ということで、高視聴率を叩き出したということも大いに納得です。


  その、今自分がはまっている古いドラマ「太祖王建(テジョワンゴン)」ですが、以前にも書いてますよねえ、あの聞慶市(ムンギョンし)をドラマと結びつけることになった〝元祖〟というドラマ、そして、韓国初の本格的なオープンセットである「聞慶KBS史劇撮影所」を誕生させたドラマです。
ですから、自分にとっては、ドラマのおもしろさと平行して、ふんだんに登場する10年前の「聞慶セジェ道立公園」の姿や、今は見ることのできない「聞慶KBS撮影所」の以前の姿が楽しみでもあるんですよね。
それは聞慶に限らず、現在の韓国時代劇でもよく見られる「民俗村」やら「南漢山城(ナムハンサンソン)」やらも随所に登場してくる。
今の韓国時代劇の撮影地を開拓したドラマでもあるんじゃなかろうか(?)などと思わせてくれるほど、時代劇ではお馴染みの史跡が画面で見られます。

  そして、いよいよ今日の放送から「聞慶KBS史劇撮影所」のセットが、〝大高麗(後高句麗)〟の都、宮殿の姿として本格的に登場してきます。
昨日や一昨日の放送でも少し出てましたが、今日にでも遷都しますから、本格的にその姿を見せてくれることになるんでしょう。

今では見られない「聞慶KBS史劇撮影所」のセット群
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  そういえば、その「聞慶KBS撮影所」が完成する間際の姿が、都の宮殿を築城する工事の過程で撮影に使われていたのは斬新でした。
このドラマのために築かれていく「聞慶KBS撮影所」が、都となる宮殿の築城工事の舞台になっていたわけで、まさに「聞慶KBS撮影所」は、この『太祖王建』というドラマとともに誕生した、それを直に目にすることができたドラマシーンでした。

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  10年前の聞慶にタイムスリップした気分で、このドラマを見ていきたいし、現在は一介の臣下でしかなくなった主人公の王建(ワンゴン)が、この先どうやって天下を統一して、現在の「KOREA」のもととなる高麗という国を誕生させたのか、またひとつ韓国の歴史に触れるようでとっても先が楽しみなドラマです。
そして、その都が置かれたのが現在の「開城市(ケソンし)」、そうなんです、軍事境界線に近く、「開城工業団地」で有名な北朝鮮にある場所、以前の「聞慶KBS史劇撮影所」の高麗セット(上画像)は、高麗の姿をよく再現されていたといいますから、現在は軍事境界線でだけで有名な都市にもこんな都が築かれていたんだと、ドラマから歴史、そして現在へとオーバーラップさせながら見ていると、本当に興味が尽きないドラマです。

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   BS朝日 「太祖王建」の番組サイト http://www.bs-asahi.co.jp/wangon/


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「幻の王女チャミョンゴ」〝楽浪(ナンナン)側〟の撮影地はあの大作の撮影セット

  このところ先週に終了した「幻の王女チャミョンゴ」関連の記事が続いています。
自分のブログは、終わると集中した記事になるというちょっと悪い(?)癖があります、放送中の注目度抜群の頃に書けばアクセスもアップするのにねえ(笑)
でも今回はちょうどそんな頃はスランプに落ち込んでいた時期ですから、こうして終わった後になって 遅まきながら の記事になっている次第でおます[ふらふら]

  ところで、これまで紹介してきた「幻の王女チャミョンゴ」の撮影地は、自分が行って来た「加恩オープンセット」、いわゆるドラマで言えば〝高句麗側〟ばかりじゃん、ちょっと不公平、片手落ちとちゃうの?、そうか、知らないんだー、なんて思ってませんか?

  そうですよね、ちょっと不公平でした、むしろドラマの中心とも言うべき〝楽浪側〟に触れておかなきゃ嘘ですよね、というわけで、このドラマ「幻の王女チャミョンゴ」の話題の最後は、その「楽浪国」として撮影に利用されていた場所について書いておくことにします。


  でもでもでもなんです、やっぱりその場所も、この我がブログでは過去にちゃんとご紹介しているんですよ。
撮影セットの有名どころは殆ど網羅しております、なーんてまだまだ偉そうなことは書けませんが、まあ撮影に使われるセットというのは、過去の大作のために造られたものが多いですから、大抵が数年前の韓国時代劇全盛期の大作が続いていた頃、そして撮影のセットとテーマパークを兼ねた観光施設が林立した頃のものが、今もなお使われ続けているということが多いのです。

  では、「幻の王女チャミョンゴ」の「楽浪国」として登場していた撮影セットは、過去のどんな大作のセットが使われていたかと言いますと、あの数年前に100話を超える超大作ながらも、「朱蒙(チュモン)」ともども男性ファンも多く、人気を博したドラマ「大祚榮(テジョヨン)」の撮影セットが使われていたんです。
高句麗の最後に生まれた英雄が、「渤海」という国の基礎を築くまでを描いたドラマで、100話という長丁場にもかかわらず自分も夢中になって観てました。

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  「大祚榮」のセットと言えば、かなり過去に、こんな記事でこのブログではお目見えしてました。
   『「秋の童話」「大祚榮(テ ジョヨン)」なら束草( ソクチョ) なんだけど……』 なんていう記事でした。
      http://dora-love-b.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1

「大祚榮」そして今回の「幻の王女チャミョンゴ」は、束草のハンファリゾートという韓国の一大リゾートのひとつの中に存在する撮影セットが使われていました。
過去の記事であるように、「束草」と言えば、最後の方は涙・涙なしでは見られなかった、「冬ソナ」のユン・ソクホ監督が手がけた〝四季シリーズ〟のひとつ、「秋の童話」で一躍脚光を浴びた場所ですよね。
ソン・スンホンはあまり変わりませんが、ウォンビンなんてまだ坊やの面影を残すような、本当に懐かしいドラマです。

  そんな「束草」の一大リゾート地内にある「雪岳(ソラク)シネラマ 」が、今回の「幻の王女チャミョンゴ」では「楽浪国」としてのメイン撮影地になっていました。
ですから、過去の「大祚榮」では高句麗の風景として多く登場していた場所が、今回は高句麗に敵対した楽浪国の風景として登場していたことになります。

  下のこの黄色い屋根の宮殿、「楽浪」の宮殿としてよく見ましたよねえ。
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  このちょっと変わった建物のある街並みもよく登場していました。
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この下の画像の提灯の文字、「楽浪」ですよ、今やここは「チャミョンゴ」の撮影地みたいになってるようですが、やっぱり自分は「大祚榮」も忘れてほしくはないですねえ。
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  この「雪岳(ソラク)シネラマ」、できた当初は入場料などもちょっと他よりはお高めでしたが、現在では韓国の撮影セット(テーマパーク)人気も衰えを見せてきていますから、現在は大人が4,500wとお手頃価格に変わってきています。
少しばかりアクセスが不便なのですが、タクシーなどを使えば行けないこともないということで、この「束草」の辺りは春真っ盛りや夏には最高の場所ですから、ドラマに興味を持った皆さん、一度トライしてみてもいいかもしれませんよ。

  雪岳シネラマ (大祚榮セット)案内サイト
     http://www.hanabitour.com/tv/detail_iframe2.html?no=1797
     http://www.hanabitour.com/tv/tv_detail.html?no=1797
     http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=630821
  韓国語(ハングル)だけですが、現地のHPもあります
     http://www.seorakcinerama.co.kr/




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