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北朝鮮にある「王建」の子孫の墓はほったらかし? 

  高麗の始祖である「太祖王建(テジョワンゴン)」のドラマから、ちょっとばかり調べておりましたら、前のページで書いたように、「王建」の墓は立派になって開城(ケソン)」の観光ルートになっているようで、現在の姿は一般の観光客の画像からも窺い知ることができるようになりました。
  そしてもうひとつ、同じく観光ルートになっている高麗の王の墓があります。
「王建」の墓にも近く、とっても目立つ形をしている墓が、高麗の31代目の王である「恭愍(キョンビン)王(在位:1351年 - 1374年)陵」です、いえ、正確にはご夫妻の墓ということになります。
双墓ということで、王と妃の墓が並んで存在しています。
「王建」の方はご夫妻ともに同じ墓に入ってみえるようですが、こちらは、お妃が亡くなられた後に自分が死んだらその隣に…と、存命中に自らが築いた墓だという話しです。
こちらも観光ルートのようで、「王建」の墓ともども容易に画像を見つけることができます。

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  そうなれば、他の高麗の王墓もきちんと残されていて、いつでも画像が見られそうなものですが、そこが北朝鮮ならではですよね、2009年と言いますから、本当にごく最近のこと、なんとおよそ60年ぶりに一部の他の高麗王の墓の画像が公開されたそうです。
単なる史跡でもある陵墓の画像でさえ、容易に見られないというのが現状のようで、まずそのことの方が驚きなのですが、さらに驚くのがその公開された高麗王の墓の様子です。
では、サイトで見つけられた高麗国王陵墓のいくつかです。

2代目 高麗国王 恵宗(在位:943年 - 945年)。
      二代恵宗943-5.jpg

4代目 高麗国王 光宗(在位:949年 - 975年)。
      四代光宗949-75.jpg
       但し、この画像は2009年の公開のものではありません。

5代目 高麗国王 景宗(在位:975年 - 981年)。
      五代景宗975-81.jpg

6代目 高麗王 成宗(在位:981年 - 997年)。
      六代成宗981-97.jpg

8代目 高麗王 顕宗(在位:1009年 - 1031年)。
      八代 顕宗1010-31.jpg

11代目 高麗王 文宗(在位:1046年 - 1083年)。
      11代文宗1046 -83.jpg

12代目 高麗王 順宗(在位:1083年)。
      6000198429_20090309.jpg


  なんだろうねえ、この違いって? 「朱蒙」や「王建」の墓は綺麗に改造しすぎで、高麗の「王建」の子供や孫、そして子孫の墓はほったらかしで、観光ルートでないものはこれでいいってこと…?…???
それにしても、ほどほど・そこそこっていう史跡の保存管理は北朝鮮には存在してないってことのようです[たらーっ(汗)]
でも自分なんは、かえってほったらかしの方が古く歴史が感じられますけど、ここまでになると未来へ残すという点では少々不安ではありますから、王建とこの子孫たちの中間ぐらいの保存状態を望んじゃいますね。


  では、ついでに見つかりましたので、「王建」の最後のライバルとなった後百済の「甄萱(キョンフォン)」のお墓もご紹介しておきます。
こちらは後〝百済〟ですから韓国側の論山市(ノンサンし)にあります。

キョンフォン (3).JPG
キョンフォン (2).JPGキョンフォン (1).JPG

  志半ばで「王建」に破れ滅ぼされ、初代限りで消滅してしまった後百済の王「甄萱(キョンフォン)」でも、韓国側にあったらこうしてそこそこ・ほどほどの状態で残してもらえるってことですね[わーい(嬉しい顔)]
  アクセスはここが近いようです
     http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/AC/AC_JA_6_1.jsp?cid=355962

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やっぱり大変身(?) 北朝鮮にある「太祖王建」の墓

  ちょっと前になりますが、あの我がドラマの大英雄である「朱蒙(チュモン)」の墓は北朝鮮にあったということで、その現在の画像なんかを紹介しました。
  ところが、紀元前に亡くなっている方の墓が、朝鮮王朝の墓以上に新しく立派な墓になられていて(?)驚かされました。

  それならば、同じく北朝鮮側にある高麗の始祖 「王建」の墓も、同様にさぞやご立派になられているのではないか…と、過去や現在の画像をこのところずっと探してみましたら、現在の画像はいくらでもありました。
うん、まったく予想どうりの展開で、ご立派な姿に変身を遂げられておりましたです。

     1197125054.jpg

  なんでも、金日成(キム・イルソン)主席の指導によって改修がなされ、1994年1月31日の王建の誕生日にお披露目されたらしい。
『ゴリョテジョワンゴンワンルンゲゴンビ』と主席様が直筆で書いてくださったとか、主席様によってこのように立派に改修されたとかいう碑が建っていたりするらしい(?)
でもこの同じ年の7月にご本人が亡くなっておりまして、最後の偉業のひとつになってしまったようです。
  まあ、なんでんかんでん将軍様のおかげですから(笑)、どうやら過去の英雄達のお墓も、将軍様・主席様のお力のおかげで立派に残されてますという、広告塔の役目も兼ねているようではあります。
そのおかげで過去の史跡がきちんと残されているのなら、それはそれで結果オーライではあるのですが…

200703121436.jpg
王建3.jpg王建陵3.jpg
王建2.jpg

  立派ですよねえ!、こちらの墓も韓国にある朝鮮王朝の墓以上に新しく立派な姿です。

  でもへそ曲がりのおいらにゃ、「こんな大変身したものには用はない!」っていうんで、この改修がされる以前の姿が見てみたいと探してみたんです、いつもながらの物好きさんです[ふらふら]
ところが、そんな画像が出てこない、なんで? 整備する前は写してはいけなかったから? 観光地として行けなかったから? 不思議なんですよねえ。

  やっとそれらしいのを見つけたら全部同じ画像なんです。
その代表がこれなんですけどね、
pic_trip_gaegyoungtc.jpg
pic_trip_gaegyoungty.jpga0114420_49a66ec2c2dd0.jpg

  全部で4サイトぐらい見つけたのですが、使われているのが全部上のこの画像なんです、狛犬らしきものが、トラのような勇ましいお姿に大変身されていたようです……[あせあせ(飛び散る汗)]
その中でもおもしろいのが、「朝鮮新報」のサイトです、
2006年の記事に使われているのが同じ左の画像で、2008年に使われているのが右の画像
王建 顕陵2006 朝鮮新報.jpg王建 顕陵2008 朝鮮新報.jpg

  改修されたのって1994年じゃなかったの? 今の姿になったのは2008年以降なの? って、まあまあわけのわからん状態に陥ってしまいました[ふらふら]
在日関連で発行されている新聞のサイトさえも、画像の入手が困難だったんでしょうか?
なんにしても現在は、その上に最初に並べ立てた画像のようにかなり立派だというのは間違いがないようです。

  そして遥か昔の朝鮮戦争終了後ぐらいには、こんな様子だったようです。
z-park9p9.jpg200703121435.jpg


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