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毗曇(ピダム)最期の場所がふんだんに登場した「幻の王女チャミョンゴ」の終盤

  今日の用事を済ませてきましたので、夕方までは暇してます、ということで、前のページの続きとも言える短めの記事をもう一発書いておくことにします。

  「幻の王女チャミョンゴ」の終盤をご覧になってましたか?
最後の3話では、高句麗側の城門、そして陥落させた楽浪の城門という具合に、毎回続けて城門の姿が登場しました。
ストーリーで言えば、ラヒが騙されて、高句麗へ義父であるムヒュルの見舞いに出かけたシーンからということになりますが、これまでは高句麗側の城門といえば、前のページでの「加恩オープンセット」の別の城門が多く使われていました。
ところが、最後の3話に限っては特殊な形の大きな城門だったんですね。

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  厳密に言えば、以前にもこの城門は姿を見せていました。
ホドンが卒本(チョルボン)へ護送され、生活することになった時に見られたのですがお気づきでしたか?
そう、その卒本城の城門として登場していた城門こそが、前のページから話題にしている、「善徳女王」での最終回で、ピダムが戦い傷つきながらも徳曼へと近づこうとし、命を落としたあの場所だったんです。

「幻の王女チャミョンゴ」より
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「善徳女王」より
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  つまり、結局は自分が無知だったために、行ってきたのに見てきてはいない、問題の「加恩オープンセット」の下側に存在していたセット場での撮影がされていたということになります。

  「善徳女王」でのあの広い場所、護送されるホドンが、檻の付いた護送車で護送されていましたが、そのバックに見える風景が、まさに善徳女王が立っていた場所ということになるわけです。

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  なぜ終盤に限って下側のセットにあるこの城門なのか分かりませんが、広いから戦いのシーンを撮影するのにはこちらの方がよかったってこともあるのかもしれません、とにかく、これまでは「淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)」や「千秋太后(チョンチュテフ)」というようなドラマの撮影地に、「善徳女王」「幻の王女チャミョンゴ」というドラマが加わったという実感です。

  「聞慶」は以前から書いているように、大規模なセットを持つ「聞慶KBS撮影所」だけが有名どころでしたが、こうして「SBSのオープンセット」も、日本ではお馴染みの韓国時代劇を撮影していたセットとして、これからはKBSとSBSの両セットを、それこそ〝セット〟にしてご紹介できる場所になったのではないでしょうか(笑)
こうして見てみると、本当に「撮影所の街 聞慶(ムンギョン)」と言えますねえ。

  ついでに、この聞慶の「加恩(カウン)」では、こんなドラマのこんなシーンも撮られていたりしたそうなんですよ。
「製パン王キム・タック」の最初のシーンなんですが、意地の悪い母親が生まれてくる子のことを占ってもらいに釜場を訪れていた場面です、これもここ「加恩」にある釜場を使っての撮影だったそうです。

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  こうしてみると、「聞慶」という場所は、今や道立公園の「セジェ」のある街だけではなく、あっちもこっちも〝ドラマシーンの街〟になりつつあるようです。
〝韓国のハリウッド〟という異名が広がりつつある聞慶で、これからもどんなドラマが撮影され登場するのか、とっても楽しみにしていきたい自分です。

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「幻の王女チャミョンゴ」の撮影地『加恩オープンセット』には二つのセット場、そしてピダム最期の城門

  昨年の11月末から12月にかけて韓国旅行をしてきました。
そして11月29日には、聞慶(ムンギョン)を訪れていて、その記事はとっくに書き終えています。
ところが、この旅行記での最後の最後をまだ書いていないのです。

  以前、旅行に行く前の記事を読んでくださった方は憶えていませんか?
ドラマ「善徳女王」の最終回、ピダム最期の地も聞慶にあった、とご紹介していました。
ところが、ずっと読んでくださっている皆さんは、そこに訪れた報告記事が出てこないじゃないか!と、ちょっと不思議に思われていたかもしれません。

  実はあのピダム最期の死闘の城門には訪れてはいないのです。
そう、またまた〝リベンジの種〟をひとつ撒いてきてしまったのです[ふらふら]

  ドラマ「幻の王女チャミョンゴ」での「高句麗」の撮影地としてご紹介して、もしかしたら行ってみたいと思われる方もみえるかもしれませんが、自分のドジを参考にして、全てをきちんと見物してきてくださいね。
では、なぜ訪れていないかという、自分の最後のドジ報告をさせていただきます。


  では結論から書きますと、この「加恩(カウン)のSBSオープンセット」には2か所のセットがあるのです。
2ヶ所とは言っても、また別の場所に存在しているのではなく、モノレールで行く丘の上のメインセットと、徒歩で向かう小規模なセットという、ふたつの撮影セットがあったわけです。
だけど、日本では資料も少ない「加恩オープンセット」ですから、自分はまったくそんなことは知らないわけで、モノレールで訪れたそのセットだけが公開されているものと思い込んでいます。

  ところが、端の城門まで行ってもその先はロープで行き止まりになっています。
自分はいろいろ頭の中で考えました、
  「もしかしたらここにはあのセットはなくて、間違ったことを書いていたんじゃないだろうか?」
  「あるにはあっても、現在は未公開になっているのかもしれない」とか、
  「見間違いで、もしかしたらこの目の前にある城門がそれなんじゃないだろうか?」
本当にいろいろ考えはしたのですが、もちろんのこと日本語で訊ねる人もいないのですから、「多分、現在は未公開になっているんだろう、それか、もう取り壊されたのかもしれない」
     そんなふうに結論付けたのですが、と言うよりも、無理やり自分をそう納得させたという方が正解です。

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  なにしろ、モノレールで行くメインのセットさえ、見物客は宮殿の辺りしか見て周らない状況です、一緒にモノレールに乗った学生のグループも、誰も端にある城門まで来る人はなく、城門の付近にいるのは自分一人です。
シーンとしている中、もう取り残されたような不安の方が先で、また宮殿セットに戻りました。
その中には、例のピダム最期の城門セットのパネルもあります。
  「やっぱりここに存在してたんだ」

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それは確信しましたが、今や見物してるのは唯一自分だけ、他の人はみんなモノレールで下に降りたようです。
   「こんなんだから見学地域が縮小されたんだね」
  ということで、一人だけポツンといるのが不安で、早々にモノレールで戻ることにしたわけですが、乗客は三人のみ、セット場に残っているのは皆無という状態でした。

  元のモノレール乗り場まで戻り、本当は「石炭博物館」とかも見学したい気持ちはあったのですが、いかんせん、タクシーを待たせていたんですよね。
「しまった、帰ってもらえばよかった」とは思いはすれど、また「聞慶バスターミナル」まで戻ることを考えると、そのままタクシーで帰ることを選択せざるを得ませんでした。

  そして、日本に帰った後日のことです。
途中で拾った(?)パンフレットを見ていましたら、
   「ンッ[exclamation&question]
      もうひとつセットがあるよ!」

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  そうなんですよ、何気に見ていたハングルだけのパンフレットに、二つの城門の写真と、上空画像には2か所のセットの存在が記載されているんですよねえ。
セット場は上と下に存在していたのです。
モノレールの中からの画像では、「石炭博物館」とこのモノレールの間の通路を歩いて行けば、あのピダムが死闘を繰り広げ、「徳曼まで70歩」 の城門セットへ行けたということだったんです。

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  結局のところ、またまた近いうちに「聞慶」の「加恩オープンセット」への〝リベンジ旅行〟に行くことになりそうです。
ちゃんと存在していて、ちゃんと見学もできるとなれば、そのまま見過ごすなんてできそうにない性格の自分ですから(苦笑)
それに、一緒に存在するというより、元々の施設である「石炭博物館」にもとっても興味がありますから、今度はこの施設を全部見てこようと、そう決めています。



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「幻の王女チャミョンゴ」と「風の国」の好童(ホドン)王子、自害の原因は姦通罪? ドラマでは見られない隠れた歴史

  申し訳ありません、あまりに長い記事になってしまったので、途中で二つに分けました。
書いた早々にご覧になった方には同じ記事になってしまいます。<(_ _)>

  「幻の王女チャミョンゴ」も終わりましたねえ、感想は人それぞれでしょうが、自分としては予想に反して(?)まあまあ最終回としてよかったんじゃないかと…
もちろん楽浪という国は滅んでしまって、再興されたという記録もなく完全に消滅してしまった国ですから、みんな死んでしまうのは予想していたことでしたし…
ホドンも死ぬ運命でしたから、〝愛を貫いた死〟として、うまく結び付けてまとめあげていたと思います。
ちょっと納得がいかないとすれば、チャミョンの母親である妃の死に方だけかな、慈悲深いお妃がラヒを庇って民衆に殺されるなんて、なんか無理やり死に追いやったぞって感じがしなくもない、せめて愛する夫の後を追うくらいの死に方をさせてほしかったです、個人的な意見とすれば。

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  でも、みんな死んでしまった割には後味は悪くはない終わり方でした。
以前の「海神(ヘシン)」のように、同じみんな死ぬにしても、モヤモヤ感や尾を引く後味の悪さはない終わり方でした。
まあ「海神」の方は史実にとらわれた最後でしたから仕方がないにしても、物語らしい終わり方ではなかったですから。

  でもこちら「幻の王女チャミョンゴ」の方は、実に物語らしい終わり方をしてくれたと、個人的には思っています。
死んでいく人全てが、愛する人を想い、愛する人のために死んでいったという描き方をされていたこともありますが、最後のホドンの天敵とも言える継母、高句麗の妃の姿も、後味の悪い終わり方をしなかった要因のひとつでもあると思います。
あれがホドンが死んで高笑いの姿なんかで終わった日にゃあ、そりゃもう「このクソ婆あ!」なんて、「赤と黒」のようなムカムカ・モヤモヤとなったんでしょうが(笑)
  ところで、以前に書いた「自鳴鼓(チャミョンゴ)伝説」は、あの影絵の夫婦が伝えたものだったんだー(笑)

  そうなんですね、以前の「幻の王女チャミョンゴ」が始まった頃に、伝説の記事を書きました。
そして、二つ目に書いた〝おぞましい〟方の伝説で、仮にも心から自分を愛してくれる楽浪の王女を、戦での征服のために平気で裏切っておきながら、自分を陥れようとする継母の妃をかばって自害するなんて、ちょっと人間性がチグハグすぎだよ、と、そんな文章で締めくくっていたと思います。

  ところが、前頁の歴史的なことを調べていましたら、韓国の『Wikipedia(ウィキペディア)」に、歴史の中のひとつの記述として、こんな興味深い内容がありました。
これを以前の二通りの〝自鳴鼓伝説〟の結末と繋ぎ合わせると、伝説が伝説でなくなり、好童(ホドン)の自害の信憑性と深く結びついてしまうのです。

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  秀麗で武芸にも長けた高句麗の王子である好童(ホドン)
父親のムヒュルにも可愛がられて前途揚々のはずが、自害という哀れな最後を迎えるに至ったのには、こんな話が残っていたからなのだと、改めて知ることになりました。
歴史の中のひとつの逸話として残されているものらしいのですが、このホドンを自害に追い込んだ妃の陰謀というのには、ちょっと信じられない怖さのようなものを感じてしまいます。

二つのドラマでの好童(ホドン)の継母
「幻の王女チャミョンゴ」より
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「風の国」より  200811251355291113_1.jpg     

  この高句麗の妃であるホドンの継母、実は歴史の上では名前すら不詳なんだそうで、だからドラマでもいろんな名前で登場するわけです。
で、その継母が陰謀を仕掛け、王の無恤(ムヒュル)こと大武神王に訴えたのが、ホドンの〝姦通罪〟なんだそうです。
ホドンが自分を姦通したなどと、女の武器を最大限に活用してまで陥れたとするものなんです。
母親を姦通したなんて濡れ衣(?多分…そう思いたい)を着せられたら、自害して潔白を証明するしかないほど追い詰められたというのも、なんとなく頷けなくもなくなってきます[がく~(落胆した顔)]
  この陥れる手段が真実だとしたら、歴史上に残るほどの悪どい女なのに、なぜに歴史に名前とか何もかも残ってないんでしょう?
ホドンの母親は後宮にもかかわらず、「曷思夫餘(カッシプヨ)の国王の孫」って分かってます、それが「風の国」のヨンのモデルなんですから。

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  それなのに本妻が不明だなんて…、ちょっと不思議な話ではあります。
ですから、前頁で触れているように、息子も最悪のひどい王でしかなく、その母親もひどすぎるということで、後世の高句麗の歴史からあえて抹消されたりしたのかも???と自分なんかは思います、大国高句麗の恥をあえて残す必要はないのですから。
そこまでして王位に就かせた息子は、民衆にまで恨まれ疎まれ、自分は歴史の狭間に埋もれさせられてしまったのだとしたら、自業自得とは言え哀れなものです。
そして好童が潔白であったのなら、その犠牲はなんだった?ということになってしまい、更に不幸な生涯だったとしか言いようがなくなってしまいます。

  好童に哀れさを感じた人々が、その生涯の最後をきれいな伝説に置き換えたら、「ホドンは楽浪の王女との愛を貫いて自害した」、とか、「仮にも母である人を悪人にはできないからと、心やさしい息子として自害の道を選んだ」という最後で伝説が締めくくられた。
こうして語り継がれたと考えるなら、以前の伝説と辻褄が合ってくるような気がしてきませんか?
  なんにしてもこの高句麗の悲劇の王子 好童は、ドラマにしたらいろんな人物像で描くことができそうです。
もしかしたらまた違った展開のドラマや演劇で、違う人物像として登場することがあるのかもしれません。

  「風の国」からこうしてドラマの中で見てきた好童は、凄く興味深い人物像を残してくれたような気がします。

  なんにしても疲れましたー! 歴史の登場人物や歴史そのものの方がややこしすぎだよ、これじゃあドラマで史実どおりに人物を登場させて、残っている話どおりにやったら大変ですよねえ、見てる方も頭がこんがらがってわけがわかんなくなっちゃいます[ふらふら]
このブログ記事自体が前ページから二つのドラマの画像が入り乱れて、見てない人にはわけわかんなくなっちゃってますが…(汗)


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「幻の王女チャミョンゴ」と「風の国」、ドラマでは隠れていた高句麗の人物と歴史

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  終わってしまったドラマ「幻の王女チャミョンゴ」、そのラストシーンで意外な姿を見せてくれた高句麗の妃が言ってましたね、「王が弟を太子の座に据えた」と。
確かに、史実、歴史の上では高句麗の第4代の国王は、ムヒュルの弟の「閔中王(ミンジュンワン)」ということになっています、たった足掛け5年だけの在位ではありましたが。
そして、ホドンの異母弟の解愛婁(ヘエウ)=解憂(ヘウ)はその後の5代目高句麗王である「慕本王(モボンワン)」になっています。
  ところがこのホドンの弟、つまりあの継母の子供は、高句麗最低最悪の王になっていまして、朝鮮王朝になぞらえるならば「燕山君(ヨンサングン)」のようなもので、最後は家臣の杜魯という人物に暗殺されてるんですよねえ、ホドンが生きていたなら、高句麗はもっと早く基礎固めができていたかもしれません。

  そこで、です。
「幻の王女チャミョンゴ」にこのムヒュル王の弟の存在ってありました?途中は早送りでしたからよくわかりませんが、もうひとつのムヒュルが登場するドラマ「風の国」では、まったくそんな存在はありませんでしたよねえ。

  だいたいからして、登場人物がまったく違う、それらしいのがあったとすれば、ホドンの伯母さんであるヨランとその夫のウナルの存在ぐらいかなあって思うのですが。

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「風の国」の方のセリュ王女とクェユの存在が似てるかな(?)ってくらいで、まったく違うんです。
だいたい継母の名前からして、「幻の…」ではメソルス、「風の国」ではイジだし、この二つのドラマは似てるようでまったく違う、結び付けようとしたらこんがらがってきちゃいましたよ[ふらふら]

  それならばってことで、史実として残っているムヒュルの兄弟姉妹関係を調べてみることにしました。

ではでは瑠璃王の子供たちです 無題a.jpg

  無恤(ムヒュル)こと大武神王の父親である瑠璃王には、まずお妃さんが二人おりまして、その間に生まれた最初の太子である都切(ドゾル)っちゅうお子が早死にしてまして、その母親のお妃さんもまた早死にしておられます。

  そして、二番目の妃との間にできたのが次男の解明(ヘミョン)で、「風の国」ではムヒュルを陰ながら守り可愛がってくれていた太子ですが、黄龍国(ファンニョンこく)から贈られた弓を折ったとして自害させられ、こちらも早くに死んでしまいます。
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そして三男が無恤(ムヒュル)
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四男に如津(トジン)、「風の国」では異母弟になってましたが、川で溺れて死んでしまったそうで、瑠璃王は懸賞金をかけてまでその亡骸を捜したという逸話が残るくらいに可愛がっていた子だったんだそうです。
ただ、日本語の『ウィキペディア』の相関図には「?」になってますから、ちょっと謎に満ちた子だっんでしょうか?
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実はまだこの下にも、歴史上では重要になってくる兄弟がいたんです、五男が解色朱(ヘセックズ)、六男が再思(チェサ)と言います。
  こんな具合に 無恤(ムヒュル)は六人兄弟だったんです。

  ところがところが、女の子の名前はどこにもないんですよ、どころか、ヘミョンとムヒュル以外の兄弟は生まれた年さえ不明ということで、女の姉とか妹なんてのは、ドラマに必要となればいつでも存在させることが可能なわけです、女の子なんて存在してても歴史の中には残らないことが多いですから。

  そんなわけで、「風の国」での王女セリュはムヒュルの姉でしたが、「幻の…」でのヨラン王女はムヒュルの異母妹という設定で、しかも「風の国」でのトジンと同じ母親を持つ妹ということらしいのですが、知ってましたか?
母親だって推定の域を脱しませんから、どこで子供が区切られているのかさえはっきりしてないようなんですが、瑠璃王には二人の妃しか記されてないようで、初めの妃の死後に生まれているヘミョンから下が次妃の子供だろうという推定(?)だそうです[ちっ(怒った顔)]、だから歴史では消された母親の違う子供が存在している可能性も大いにありうるってことです。

  とにもかくにも、ムヒュルの下には生きている二人の弟がいたことがわかりました。
そして、そのうちの一人で瑠璃王の五男である解色朱(ヘセックズ)という人が高句麗四代目の王「閔中王(ミンジュンワン)」として即位したということです、これが「幻の王女チャミョンゴ」でのラストシーン、メソルス妃の台詞に登場していたわけです。
そして、前述の五代目の解愛婁(ヘエウ)=解憂(ヘウ)こと「慕本王(モボンワン)」が、悪政の末に暗殺されてしまうので、その後に瑠璃王の末っ子である再思(チェサ)の息子が王になっていきます。
その「太祖大王」から三代に渡って再思(チェサ)の息子が王になっているということで、高句麗の王はムヒュルの直系ではなく、末の弟の子供、つまり甥っ子によって引き継がれていくことになってしまったのです。
まあ瑠璃王にとっては同じ孫ですから変わりはないですが、無恤(ムヒュル)こと「大武神王」にしてみたら、好童(ホドン)を大切に後継者に育てるべきでしたよねえ。 

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