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「幻の王女チャミョンゴ」と「風の国」、ドラマでは隠れていた高句麗の人物と歴史

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  終わってしまったドラマ「幻の王女チャミョンゴ」、そのラストシーンで意外な姿を見せてくれた高句麗の妃が言ってましたね、「王が弟を太子の座に据えた」と。
確かに、史実、歴史の上では高句麗の第4代の国王は、ムヒュルの弟の「閔中王(ミンジュンワン)」ということになっています、たった足掛け5年だけの在位ではありましたが。
そして、ホドンの異母弟の解愛婁(ヘエウ)=解憂(ヘウ)はその後の5代目高句麗王である「慕本王(モボンワン)」になっています。
  ところがこのホドンの弟、つまりあの継母の子供は、高句麗最低最悪の王になっていまして、朝鮮王朝になぞらえるならば「燕山君(ヨンサングン)」のようなもので、最後は家臣の杜魯という人物に暗殺されてるんですよねえ、ホドンが生きていたなら、高句麗はもっと早く基礎固めができていたかもしれません。

  そこで、です。
「幻の王女チャミョンゴ」にこのムヒュル王の弟の存在ってありました?途中は早送りでしたからよくわかりませんが、もうひとつのムヒュルが登場するドラマ「風の国」では、まったくそんな存在はありませんでしたよねえ。

  だいたいからして、登場人物がまったく違う、それらしいのがあったとすれば、ホドンの伯母さんであるヨランとその夫のウナルの存在ぐらいかなあって思うのですが。

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「風の国」の方のセリュ王女とクェユの存在が似てるかな(?)ってくらいで、まったく違うんです。
だいたい継母の名前からして、「幻の…」ではメソルス、「風の国」ではイジだし、この二つのドラマは似てるようでまったく違う、結び付けようとしたらこんがらがってきちゃいましたよ[ふらふら]

  それならばってことで、史実として残っているムヒュルの兄弟姉妹関係を調べてみることにしました。

ではでは瑠璃王の子供たちです 無題a.jpg

  無恤(ムヒュル)こと大武神王の父親である瑠璃王には、まずお妃さんが二人おりまして、その間に生まれた最初の太子である都切(ドゾル)っちゅうお子が早死にしてまして、その母親のお妃さんもまた早死にしておられます。

  そして、二番目の妃との間にできたのが次男の解明(ヘミョン)で、「風の国」ではムヒュルを陰ながら守り可愛がってくれていた太子ですが、黄龍国(ファンニョンこく)から贈られた弓を折ったとして自害させられ、こちらも早くに死んでしまいます。
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そして三男が無恤(ムヒュル)
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四男に如津(トジン)、「風の国」では異母弟になってましたが、川で溺れて死んでしまったそうで、瑠璃王は懸賞金をかけてまでその亡骸を捜したという逸話が残るくらいに可愛がっていた子だったんだそうです。
ただ、日本語の『ウィキペディア』の相関図には「?」になってますから、ちょっと謎に満ちた子だっんでしょうか?
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実はまだこの下にも、歴史上では重要になってくる兄弟がいたんです、五男が解色朱(ヘセックズ)、六男が再思(チェサ)と言います。
  こんな具合に 無恤(ムヒュル)は六人兄弟だったんです。

  ところがところが、女の子の名前はどこにもないんですよ、どころか、ヘミョンとムヒュル以外の兄弟は生まれた年さえ不明ということで、女の姉とか妹なんてのは、ドラマに必要となればいつでも存在させることが可能なわけです、女の子なんて存在してても歴史の中には残らないことが多いですから。

  そんなわけで、「風の国」での王女セリュはムヒュルの姉でしたが、「幻の…」でのヨラン王女はムヒュルの異母妹という設定で、しかも「風の国」でのトジンと同じ母親を持つ妹ということらしいのですが、知ってましたか?
母親だって推定の域を脱しませんから、どこで子供が区切られているのかさえはっきりしてないようなんですが、瑠璃王には二人の妃しか記されてないようで、初めの妃の死後に生まれているヘミョンから下が次妃の子供だろうという推定(?)だそうです[ちっ(怒った顔)]、だから歴史では消された母親の違う子供が存在している可能性も大いにありうるってことです。

  とにもかくにも、ムヒュルの下には生きている二人の弟がいたことがわかりました。
そして、そのうちの一人で瑠璃王の五男である解色朱(ヘセックズ)という人が高句麗四代目の王「閔中王(ミンジュンワン)」として即位したということです、これが「幻の王女チャミョンゴ」でのラストシーン、メソルス妃の台詞に登場していたわけです。
そして、前述の五代目の解愛婁(ヘエウ)=解憂(ヘウ)こと「慕本王(モボンワン)」が、悪政の末に暗殺されてしまうので、その後に瑠璃王の末っ子である再思(チェサ)の息子が王になっていきます。
その「太祖大王」から三代に渡って再思(チェサ)の息子が王になっているということで、高句麗の王はムヒュルの直系ではなく、末の弟の子供、つまり甥っ子によって引き継がれていくことになってしまったのです。
まあ瑠璃王にとっては同じ孫ですから変わりはないですが、無恤(ムヒュル)こと「大武神王」にしてみたら、好童(ホドン)を大切に後継者に育てるべきでしたよねえ。 

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