韓国語が日本語に化ける “うたた寝どき”
自分の韓国旅行はたいていは移動範囲が広く、しかもよく歩き、朝もほとんど5時台の起床ときてる。
そんな旅行スケジュールをこなしていれば、まあ当然のごとく “お疲れさん” とはお仲間のようなもので、駅やバスターミナルでの長い待ち時間ともなれば、まあついついウトウトし始めたり、ボーッとして何もせずに過ごすなんてこともあるわけだ。
そういう韓国の公共の場、これは日本でも同じようなものだろうが、一般庶民の皆々様、特にご年配の方々の溜まり場のようになっていることも多い。
そういう中でボケーッと何も考えずに時を過ごし、ウトウトし始める頃になると、決まって同じような錯覚を覚えてしまうことが往々にしてある。
どんな錯覚か? といえば、
「アレッ! ここって日本だったっけ?」 となってしまうのだ。
韓国の皆さん、特にご年配の皆様は話し好きの方が多く、世間話なんだろうが、少し大きめの声でとっても賑やかな会話をしてみえる。
当然韓国語なんだから何を話しているのかは解らない、初めのうちはわけのわからない韓国語なのに、そのうちにだんだんそれが日本語に聞こえてくる。
何も考えていない自分の耳に届く会話が、日本語のああだこうだの単語になって聞こえてくるのだ。
そうすると、その韓国の人達の世間話が心地よく耳を通り抜け、あの大きな声も決して耳障りではなく、ごく自然にウトウトの世界へと誘ってくれる。
いつも常連になっているお店の人は韓国には行ったこともなく、つい先ごろ放送されていた「アイリス」のみのファンなのだが、そのドラマの話をしていたら、
「韓国語のドラマの日本語吹き替えなのに、よくもまあうまく口の動きと日本語が合っているよね、まったく違和感を感じない」 と。
自分の義兄は韓国嫌い、いくらドラマを勧めても見ようとはしないが、韓国の映画だけはたまに観るらしい。
そんな義兄もこんなことを言っていたことがある。
「韓国語を聞いていても、まったくの外国語っていう感じがしないね、同じ近隣でも中国語はかなり違和感があるけど、韓国語の場合は聞いていてもあんまり苦にならない」
この感覚ってとっても不思議だと思う。
そのお店の人に、「なんにも考えずに何気なく聞いていると、韓国語って日本語に聞こえてくるよ」と、自分の経験を話しても全然信じない。
「韓国語と日本語って発音がまったく違うでしょう」って。
そうなんだよね、似たような単語はあってもやっぱり違う、だけど本当なんだからしょうがない。
これを読んでみえる方も同様の意見の方がみえるかもしれませんが、韓国をもし訪れることがあったら、バスターミナルとか電車の中とか、とにかく人ごみの中で、韓国の人達の会話を、意味を考えずにボケーッと試しに聞いてみてください、自分と同じような錯覚を覚えるかもしれませんよ。
自分なんかは、字幕の韓国ドラマをかけて他ごとをやっていたりしても、時々日本語に聞こえてくるなんてことがあるんですよね。
日本も韓国も、ちっぽけな地域なのに独自の言語を持っている国、独自の文化を育んできた国、これってごく普通に思うけれど、本当に凄いことなんですよね。
自分の国の言葉だけで生きていけるんだから、まったく有難いことです。
世界には何ヶ国語も使い分けしなきゃいけない国なんてざらにあるし、母国語の無い国だってそこらじゅうにあるわけだし。
とりわけ韓国なんて大陸続きで、中国やロシアなんていう大国と接しているにもかかわらず、あの朝鮮半島だけはどちらにも属されることなく自分達の言葉や独自の文化を持っている。
それを考えると日本にしろ韓国にしろ、ひとつの誇りでもあると思うのです。
日本語のルーツは朝鮮半島だの、両方とも中国の奥地だのと、学説はいろいろとありますが、そんなこたあどうでもいい、ルーツがどこだろうと、きちんとした母国語を育ててきたってことがすばらしいことなんだから。
そしてその独自に育ってきたはずの両国の言葉が、自分の中ではよく似た感覚を味あわせてくれるのは確かなわけです。
だから自分は思うんですよね、きっとこの二つの国の言葉は兄弟みたいなもんなんだろうなって。
どんな学説を読むよりも、自分の中の感覚がそうなんだから。
なんにしろ、日本語として、韓国語として、それぞれに育てあげた日本も韓国も大した国じゃあないですか、ねえ! (拍手ーー!)
そんな旅行スケジュールをこなしていれば、まあ当然のごとく “お疲れさん” とはお仲間のようなもので、駅やバスターミナルでの長い待ち時間ともなれば、まあついついウトウトし始めたり、ボーッとして何もせずに過ごすなんてこともあるわけだ。
そういう韓国の公共の場、これは日本でも同じようなものだろうが、一般庶民の皆々様、特にご年配の方々の溜まり場のようになっていることも多い。
そういう中でボケーッと何も考えずに時を過ごし、ウトウトし始める頃になると、決まって同じような錯覚を覚えてしまうことが往々にしてある。
どんな錯覚か? といえば、
「アレッ! ここって日本だったっけ?」 となってしまうのだ。
韓国の皆さん、特にご年配の皆様は話し好きの方が多く、世間話なんだろうが、少し大きめの声でとっても賑やかな会話をしてみえる。
当然韓国語なんだから何を話しているのかは解らない、初めのうちはわけのわからない韓国語なのに、そのうちにだんだんそれが日本語に聞こえてくる。
何も考えていない自分の耳に届く会話が、日本語のああだこうだの単語になって聞こえてくるのだ。
そうすると、その韓国の人達の世間話が心地よく耳を通り抜け、あの大きな声も決して耳障りではなく、ごく自然にウトウトの世界へと誘ってくれる。
いつも常連になっているお店の人は韓国には行ったこともなく、つい先ごろ放送されていた「アイリス」のみのファンなのだが、そのドラマの話をしていたら、
「韓国語のドラマの日本語吹き替えなのに、よくもまあうまく口の動きと日本語が合っているよね、まったく違和感を感じない」 と。
自分の義兄は韓国嫌い、いくらドラマを勧めても見ようとはしないが、韓国の映画だけはたまに観るらしい。
そんな義兄もこんなことを言っていたことがある。
「韓国語を聞いていても、まったくの外国語っていう感じがしないね、同じ近隣でも中国語はかなり違和感があるけど、韓国語の場合は聞いていてもあんまり苦にならない」
この感覚ってとっても不思議だと思う。
そのお店の人に、「なんにも考えずに何気なく聞いていると、韓国語って日本語に聞こえてくるよ」と、自分の経験を話しても全然信じない。
「韓国語と日本語って発音がまったく違うでしょう」って。
そうなんだよね、似たような単語はあってもやっぱり違う、だけど本当なんだからしょうがない。
これを読んでみえる方も同様の意見の方がみえるかもしれませんが、韓国をもし訪れることがあったら、バスターミナルとか電車の中とか、とにかく人ごみの中で、韓国の人達の会話を、意味を考えずにボケーッと試しに聞いてみてください、自分と同じような錯覚を覚えるかもしれませんよ。
自分なんかは、字幕の韓国ドラマをかけて他ごとをやっていたりしても、時々日本語に聞こえてくるなんてことがあるんですよね。
日本も韓国も、ちっぽけな地域なのに独自の言語を持っている国、独自の文化を育んできた国、これってごく普通に思うけれど、本当に凄いことなんですよね。
自分の国の言葉だけで生きていけるんだから、まったく有難いことです。
世界には何ヶ国語も使い分けしなきゃいけない国なんてざらにあるし、母国語の無い国だってそこらじゅうにあるわけだし。
とりわけ韓国なんて大陸続きで、中国やロシアなんていう大国と接しているにもかかわらず、あの朝鮮半島だけはどちらにも属されることなく自分達の言葉や独自の文化を持っている。
それを考えると日本にしろ韓国にしろ、ひとつの誇りでもあると思うのです。
日本語のルーツは朝鮮半島だの、両方とも中国の奥地だのと、学説はいろいろとありますが、そんなこたあどうでもいい、ルーツがどこだろうと、きちんとした母国語を育ててきたってことがすばらしいことなんだから。
そしてその独自に育ってきたはずの両国の言葉が、自分の中ではよく似た感覚を味あわせてくれるのは確かなわけです。
だから自分は思うんですよね、きっとこの二つの国の言葉は兄弟みたいなもんなんだろうなって。
どんな学説を読むよりも、自分の中の感覚がそうなんだから。
なんにしろ、日本語として、韓国語として、それぞれに育てあげた日本も韓国も大した国じゃあないですか、ねえ! (拍手ーー!)