後半の「推奴(チュノ) 」のアイドル、「石堅」の侘しい人生とそのお墓
昭顕(ソヒョン)世子の三男として生まれながらも、三歳で済州島へ島流しになってしまった「石堅(ソッキョン)」
三人の男の子の中で唯一生き残り、昭顕世子の文字通りの忘れ形見になってしまいました。
ドラマ「推奴」の中では、物怖じはしない、人見知りはしない、そんな子役君が
「かっわい~~」というので、ドラマの後半ではアイドル的な存在でしたが、
そんな「石堅」の生涯がとっても気になるところです。
ドラマの中では済州島からテハによって救い出されまして、最終回では字幕解説のみで、『孝宗が即位してから6年後に開放された』ってなことが書かれてましたが、実際はそれまでの間どうしてたんだろう?というのが、やっぱり知りたくて仕方がなくなってきました。
この昭顕世子の三男である「石堅」ですが、生まれは1644年で、人質であった清から解放されて朝鮮へ戻る前年に生まれています。
そして亡くなったのが1665年といいますから、たったの21年たらずの生涯でしかなかったようです。
長兄が12歳、次兄が8歳そこそこで亡くなっていますので、つくづくこの昭顕世子の息子達の運命は悲劇としか言いようがありません。
ただ、この「石堅」に限って言えば、1650年に即位した孝宗によって、その6年後の1656年に放免されています。
これが「推奴」の最終回で字幕に出る解説ということになります。
そして、その3年後の1659年の3月4日に、「慶安君」として王族の一人としての生活に戻っています。
でも、考えてみれば、21年という短い生涯の半分は流人の生活だったということで、決して幸せな生涯とは言えないし、人生これからという時にこの世を去ってしまうことになるわけです。
そんなわけで、孝宗が即位して江華島などに移りはしたものの、ドラマのような脱出劇や、亡命を企てるというようなことは無かったようですが、オンニョンのような人に見守られて過ごしていたと思いたいですね。
そんな短く決して恵まれた生涯ではなかった「石堅」ですが、子供には恵まれて、長男が「臨昌君」、そして次男が「臨城君」という二人の息子が生まれています。
そして、「石堅」は現在、高陽(コヤン)市の墓地で、その長男の「臨昌君」とともに眠りについています。
高陽市といえば、「西三陵」とか「西五陵」などという、「世界遺産」にもなっている朝鮮王朝の墓地がありますが、住所から見ると、どうやらその中ではないようです。
高陽市には「崔瑩(チェ ヨン)将軍の墓」というのがあるのですが、そのお墓の入り口を右側の方向に向かった場所にあるようです。
住所は 京畿道高陽市徳陽区大慈洞山65-2
アクセスとしては、ソウル地下鉄3号線「三松(サムソン)駅」 6番出口からタクシーを利用するといいようです。
「石堅の墓」が分からなければ、「崔瑩(チェ ヨン)将軍の墓」を目指せばなんとかなりそうですよ。
ではそのお墓の様子です。
小高い丘のような上にあるのが「石堅」こと「慶安君」のお墓で、その下30mほどの手前にあるのが、長男の「臨昌君」です。
「石堅」こと「慶安君」のお墓
「石堅」の長男であり、「昭顕世子」の孫でもある「臨昌君」のお墓
三人の男の子の中で唯一生き残り、昭顕世子の文字通りの忘れ形見になってしまいました。
ドラマ「推奴」の中では、物怖じはしない、人見知りはしない、そんな子役君が
「かっわい~~」というので、ドラマの後半ではアイドル的な存在でしたが、
そんな「石堅」の生涯がとっても気になるところです。
ドラマの中では済州島からテハによって救い出されまして、最終回では字幕解説のみで、『孝宗が即位してから6年後に開放された』ってなことが書かれてましたが、実際はそれまでの間どうしてたんだろう?というのが、やっぱり知りたくて仕方がなくなってきました。
この昭顕世子の三男である「石堅」ですが、生まれは1644年で、人質であった清から解放されて朝鮮へ戻る前年に生まれています。
そして亡くなったのが1665年といいますから、たったの21年たらずの生涯でしかなかったようです。
長兄が12歳、次兄が8歳そこそこで亡くなっていますので、つくづくこの昭顕世子の息子達の運命は悲劇としか言いようがありません。
ただ、この「石堅」に限って言えば、1650年に即位した孝宗によって、その6年後の1656年に放免されています。
これが「推奴」の最終回で字幕に出る解説ということになります。
そして、その3年後の1659年の3月4日に、「慶安君」として王族の一人としての生活に戻っています。
でも、考えてみれば、21年という短い生涯の半分は流人の生活だったということで、決して幸せな生涯とは言えないし、人生これからという時にこの世を去ってしまうことになるわけです。
そんなわけで、孝宗が即位して江華島などに移りはしたものの、ドラマのような脱出劇や、亡命を企てるというようなことは無かったようですが、オンニョンのような人に見守られて過ごしていたと思いたいですね。
そんな短く決して恵まれた生涯ではなかった「石堅」ですが、子供には恵まれて、長男が「臨昌君」、そして次男が「臨城君」という二人の息子が生まれています。
そして、「石堅」は現在、高陽(コヤン)市の墓地で、その長男の「臨昌君」とともに眠りについています。
高陽市といえば、「西三陵」とか「西五陵」などという、「世界遺産」にもなっている朝鮮王朝の墓地がありますが、住所から見ると、どうやらその中ではないようです。
高陽市には「崔瑩(チェ ヨン)将軍の墓」というのがあるのですが、そのお墓の入り口を右側の方向に向かった場所にあるようです。
住所は 京畿道高陽市徳陽区大慈洞山65-2
アクセスとしては、ソウル地下鉄3号線「三松(サムソン)駅」 6番出口からタクシーを利用するといいようです。
「石堅の墓」が分からなければ、「崔瑩(チェ ヨン)将軍の墓」を目指せばなんとかなりそうですよ。
ではそのお墓の様子です。
小高い丘のような上にあるのが「石堅」こと「慶安君」のお墓で、その下30mほどの手前にあるのが、長男の「臨昌君」です。
「石堅」こと「慶安君」のお墓
「石堅」の長男であり、「昭顕世子」の孫でもある「臨昌君」のお墓