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「非武装地帯」に取り残された〝機関車〟、非公開のその姿にレッドカードだ!

  今年の「板門店」、そして昨年の「DMZ」のツアー、共通で訪れた場所が「臨津閣(イムジンガク)公園」
昨年も来てはいますが、なんか昨年よりも寂しい雰囲気がしています、なぜなんだろう?

  ここでたいていの人が見学するのが「平和の鐘閣」と「自由の橋」
特に「自由の橋」は、遮る物が何もない時代には臨津江(イムジンガン)にかかる鉄橋として活躍し、1953年の休戦協定締結後に、捕虜1万3000人余が、「自由万歳」と叫んで渡ったという逸話が残り、そこからこの名が残ることになったという、いわば、南北分裂の象徴でもあり、休戦という一時的な平和の象徴とも言える橋。

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  昨年は、その「自由の橋」の横に別に通路があり、機関車が展示されているのが見られた。
かつて、この橋の先、現在では「非武装地帯」となっている場所に、朝鮮戦争で受けた痛々しい弾痕を残したまま、野ざらしで取り残されていたというものだ。
  昨年にこれを見学した自分は、正直なところ「これでいいんかい?」と心配になった。
長年風雨に晒され錆だらけになった車体は、一時的に化粧直しや修繕はされたらしいのだが、その展示状態はかつてと変わらないんじゃないかって。
だってまた〝野ざらし〟も同じ状態で展示されていて、「かわいそう」そんな気がした。

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  そして今年、その機関車の展示場への通路は閉鎖されていた。
なんでも、錆がひどくなったため一般への公開は中止しているんだそうだ。
  「そりゃそうだろ」 自分は思う。
長年に渡ってこの過酷な自然の中にほったらかしにされていたものが、ちょっと手を加えたからってまた〝野ざらし〟にしたんじゃ、弱った車体が平気なわけないじゃないか。
  「何を考えてんねん!」って少々怒り気味な自分です。

  錆付いた車体には数知れない弾痕を残したまま、そして、普通に人が入れなくなった「非武装地帯」に取り残されるしかなかった、そんな姿が〝生々しい戦争〟の姿を語りかけているのに、そういうものには無頓着で、なんやらの碑、平和への願いを表したオブジェ、そんなものばっかり並べたててどうするんじゃって感じです。
きれいに磨きあげた岩に刻まれた文字やオブジェが、本当に戦争の悲惨さを感じさせてくれますか?、教えてくれますか?ってんだ。
それよか当時のままに、風雨に晒され続けながらも耐えた機関車の姿の方が、ずっとずっと語りかけてくれるはずなのに…。

  そして、下の画像が現在のその〝機関車〟の姿です。
   「信じらんねえ!」
絶対に日本だったらこんなひどい仕打ちはしないはず、移動させてきれいにして、いい環境の元で展示し直すって、そう信じたいです。

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