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ドラマ「トンイ」、王室の皆さんのお墓もついでに紹介しておきます

  以前に、チャン・ヒジェなど張禧嬪(チャンヒビン)の家族の墓が10年ほど前に見つかったと紹介しました。
その時に、「トンイ」以外は高陽(コヤン)市にある「西五陵(ソオルン)」にまとまってますよってことも書いたのですが、紹介はしていませんでした。
トンイの墓のことを前ページで書いたついでに、主だった皆様のお墓も紹介しておくことにします。

  それにしてもこの朝鮮王朝の墓って不思議なまとまり方をしてますよね。
ドラマ「トンイ」の中では、主役のトンイと世子である後の景宗以外は「西五陵」にまとまっていて、景宗だけは別にあるっていうのもなんやら仲間はずれにしているみたいで変じゃないですか?
トンイは仕方がないです、正室ではない国王の生母という、ちょっと複雑な立場ですから、だけど景宗は粛宗 の息子で、英祖の兄なんです、一緒の場所だっていいと思うんですよ。
実際は英祖も別の場所になってしまいましたけど、元々はここへくるはずだったわけですからね。
こんな墓にも政治の世界の思惑ってやつがあるんでしょうかねえ(?)

  そして、その「西五陵」にはあの張禧嬪(チャンヒビン)の墓も移されて一緒にあるっていうじゃないですか。
ここに移そうと考えた皆さん、自分からしてみたらちょっと変です!
粛宗 のそばにわざわざ移して、死んでからも未練たらしくさせなくっても…。
粛宗 と並んで葬られている仁顯王后にとったら仇みたいな女の墓がまた近くにやってきちゃったよ、ってことだし、一方の張禧嬪にしてみたら、粛宗 と仲良く並んで眠る仁顯王后の側で一人寂しくって感じで、死んでから仕返しをされてるみたいだし、自分だったらどうせ移すのなら息子の景宗がいる「懿陵(ウィルン)」に移してあげますけどね。

  とかなんとか、どうでもいいことを書きましたが、ではその皆さんのお墓をまとめて並べ立てておきます。


ではまず、「西五陵」にある「明陵」には、粛宗と1番目の継妃・仁顯王后、2番目の継妃・ 仁元王后が眠っています。
粛宗と仁顯王后はやっと死んでから寄り添うような双墓になっています。
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同じく「西五陵」の「弘陵」には、クムこと後の英祖とその妃・貞聖王后の墓になるはずが、横は空いたままで英祖が隣にくることはなかったといういわくの墓があります。
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    本当はこちらが英祖の墓になるはずだった「西五陵」の「弘陵」
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で、結局のところ「イ・サン」こと正祖が、あのドラマの大妃である貞純王后に気を遣って別の場所に葬ったのが、「東九陵(トングルン)」の「元陵」で、英祖と貞純王后の実際の墓となっています。
ですから、クム君こと後の英祖は、心は「西五陵」の先妻の隣、体は「東九陵」の後妻の隣ということで、両方とも載せておくことにしました。
   実際に葬られた「東九陵」の「元陵」
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そして、「西五陵」にはなぜだかわざわざ移された、張禧嬪(チャンヒビン)の墓「大嬪墓 」があります。
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張禧嬪の息子、ドラマの世子である後の景宗夫妻は、ソウルにある「懿陵(ウィルン)」で眠っています。
このお墓も双墓ですが、横並びではなく縦並びという形になっていまして、風水の関係でそうなっているそうです。
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  以上がドラマ「トンイ」に関係のある王室の皆様方のお墓でした。
この世ではいろいろありましたが、みなさん安らかにお眠りくださいってことで、
     まとめて……合掌

  西五陵(ソオルン)  http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=786709
  東九陵(トングルン) http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=281790
  懿陵(ウィルン)  http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=787552    

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ドラマ「トンイ」の最終回には非公開のそのお墓も登場

  残すところ次回の最終回のみとなったドラマ「トンイ」、56話くらいからは完全な創作の世界で、実際の歴史とはかけ離れた展開を見せていましたが、トンイが亡くなった後にクムが英祖王になるまでに起こることをからませながら、トンイの人柄と晩年に至るまでをドラマ的な架空の世界で描いていたのだろうと思います。

  そしていよいよ迎える最終回、きっとイ・ビョンフン的な描き方で終わらせてくれることでしょう。
「イ・サン」の最終回では、本人である正祖のお墓が登場し、その前にはソンヨンのお墓としてその息子のお墓を登場させていましたが、どうやら今回の「トンイ」では本人である「淑嬪 崔氏(スクピンチェシ)」のお墓が見られるようです。
  トンイこと淑嬪 崔氏は1718年に50歳を前にして亡くなっています。
亡くなった頃はまだクムは国王にはなっていませんから、粛宗王の後宮としてのお墓でしたが、後の1724年にクムが英祖王になり、それに伴ってお墓も国王の生母として昇格しています。

  朝鮮の王室のお墓は三通りに別れていて、国王や王妃のお墓は「陵」、世子・世子妃、そして国王の生母は「園(苑)」、王の後宮や王子・王女などは「墓」として表されますから、このトンイのように後にお墓だけが昇格するという例もあるわけで、トンイも亡くなってから国王の生母の扱いを受けることになったということです。

  さて、そのトンイのお墓は坡州(パジュ)市にあって史跡第358号に指定されています、が、その坡州市の観光サイトなどを見ても紹介はされていません。
なぜなら、学術的な見学などで許可を受けないと入ることができないという、一般には非公開になっている墓地なのです。
  韓国のある方のサイトでは、〝運が良ければこっそり入ることもできる〟なんて書かれています(笑)
でもわざわざそこまでして見るまでもないし、「韓国ドラマにかぶれた日本人が無断侵入」なんて三面記事にはなりたくはありませんもんね[わーい(嬉しい顔)]
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  上の画像がその入り口で、多分その扉がたまたま開いていたりしたら入ることができたりするのかも…、(?)、とにかく軍事境界線に近い坡州市くんだりまで行って、結局は「見られなかった」ってことになりますから気をつけてください。
でも、このドラマのおかげで訪れる人が多くなったそうで、勉強会のような形で中へ入った方の画像がいくつか紹介されていますから、その中でも比較的に綺麗な画像を転載してご紹介だけしておくことにします。
  これまでのお墓同様に「丁字閣」があり山型になった墳墓という形式に変わりはありませんが、昨年にご紹介した同じ国王の後宮だった「イ・サン」のソンヨンとは比べ物にならないほど広く立派なお墓です。
後宮といっても国王の生母となるとやはり違うということもありますが、息子のクムこと英祖王の力によるものが大きいようです。
もしドラマの中の世子である後の景宗(キョンジョン)の力が大きくて、しかも長生きをして英祖王が誕生していなかったら、トンイのこんな立派なお墓は無かっただろうし、張禧嬪(チャンヒビン)のお墓が立派になっていたりしたかも(?)

  ではそのトンイのお墓、「昭寧園」と言いますが、そのお墓の様子です。
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  この下の画像は、「丁字閣」へと続く参道で、画像では分かりにくいかもしれませんが、二本の石の道が続いており、向かって左側が少し高くなっています。
これは、後の英祖王、クム君も何度か歩いた国王専用の道なのだそうです。
餞民の息子である国王と陰口を叩かれ、もしかしたら複雑な思いでここを何度も訊ねていたのかもしれません。
ドラマ「トンイ」の最終回のように… (合掌)

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「トンイ」オリジナルのセットで、「トンイ」の『ドラミア』を改めて実感

  少し前に「ドラミア」の思い出で、当時は「善徳女王」や「イ・サン」の撮影場所の印象の方が強く、「トンイ」の実感が無いと書きました。

  このところの「トンイ」は少し撮り貯めしてまして、59話で一連のことが一挙に解決するなんてことを知ってましたから(ネタばれを読んでました)、録画してある3話分をまとめて見て、それから引き続き59話の先日の放送分と、立て続けに見ておりました。
そうしたら「トンイ」の撮影セットを見てきた実感が無いどころか、どんどんと実感がこみ上げてきまして、今やあの『ドラミア』は「善徳女王」でも「イ・サン」でもなく、「トンイ」の『ドラミア』だという思いでいっぱいなのです。
人間というのは実に単純にできてまして、というよか、おいらがということにしておきますが、実に単純な理由でそんな心変わりをしてしまうものらしいです。

  『ドラミア』というのは撮影所のオープンセットですから、いろんな韓国時代劇でその風景は見せてくれます。
その建物のセットや街並みのセットは、映し方や飾り付けこそ変えてもやはり同じ場所だし、そのセットの役割というのは殆ど決まっています。
だから見方によって、それは「善徳女王」の世界であり、「イ・サン」の世界であり、「トンイ」の世界でもあるわけで、その人の好きなドラマのセットとして見てくれば、そのドラマの世界が広がっているということです。

  ところが、あるドラマの1シーンのためだけに、普段とはまったく違う役割の場所としてそのセットを使うこともあり、〝小道具〟などでそれらしく見せることも出てくることがあるようで、そうしたらそれは、いつも見かける『ドラミア』のそのセットではなく、そのひとつのドラマだけのための世界へと変身してしまうものだというのを知りました。


  ドラマ「善徳女王」で、ミシルが考え事をする時によく訪れていた望楼がありました。
そしてその望楼は「イ・サン」でも、そして「トンイ」の他の場面でも、町の風景を見下ろす高い場所にある〝望楼〟として使われるのが普通で、小道具で派手に飾り付けられたり、簡素な様子にしたりしてもそこは〝望楼〟なのです。
  自分ももちろん、そこを見学する時は〝ミシルの好きな場所〟という意識でしたし、一緒になったえりなーさんも「ミシルの椅子を持ってくればよかった」と口にしたほどで、自分たちは「善徳女王」の世界をそこに見ていました。

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  ところが、ミシルの椅子が置いてある「ソウルナビ」の画像を見ていたのに、そこにあるのはその場には不似合いな釣鐘や太鼓でした。
自分は思いました、「物置代わりか(?)、見学者用の演出か(?)、これじゃミシルの気分が台無しじゃん!」って。
そこは景色を楽しむ〝望楼〟の役割の場所だと思い込んでますから、そこに存在する太鼓や釣鐘がドラマの画面に登場することなんて予想もできなかったわけです。
  そこで太鼓のバチを手にして、太鼓を叩く画像を撮ってもらったりして、それはそれで楽しかったのですけどね、自分としては、ミシルの黒い椅子が並べられて、そこに座って景色を眺める、そんなことを期待してましたから、ちょっとばかり期待はずれの光景でしかなかったんです。

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  そうしたら登場しましたよね、「トンイ」の56話だったかに、その鐘や太鼓のある光景が[わーい(嬉しい顔)]
自分が叩く真似をしている太鼓の画像が、そして、「どうしてこんな物がここにあるんだろ(?)、でも一応写しとこ」と、どうでもいい気分で写した釣鐘の画像が、にわかに貴重な画像になってしまいました。

  それはなぜか?と言えば、その釣鐘や太鼓のある光景が、「トンイ」のこのシーンだけに用意されたものだからなのです。
そのシーンとはこれなのですが、

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このシーンのこの時だけは、ここは〝望楼〟ではなく〝お寺〟になっていたということで、ここがお寺の施設として登場するなんてことは、「トンイ」のこのシーンだけのことです。
つまり、どのドラマでも目にすることのない、「トンイ」のこのシーンだけのために用意された光景の中に自分たちはいたってことで、〝望楼〟として椅子やテーブルのある光景はざらに目にすることはあっても、ここに釣鐘や太鼓があるなんていう特殊な光景は、「トンイ」のこのシーンでしか見られない世界なんですよ。
  この後に撮影された「階伯」では、綺麗に飾り付けはされていますが、やはりいつもの〝望楼〟の姿に戻っていました。

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  こうして、「トンイ」だけのオリジナルの世界を体感したのですから、おいらが行って見てきた『ドラミア』は、「トンイ」の『ドラミア』だったのだと改めて実感が湧いてきたということなのです。
それに下の画像の書状の巻物だってそうです、「トンイ」のためのセットで、「トンイ」の画面に出てきた巻物を開いて、見て、画像を残してきているのですから。
  現在の『ドラミア』は自由見学もできるようになり、こういった小道具をさわれるのかは分かりませんが、まだ「トンイ」の物が残されたままになっていた『ドラミア』で、こういった体験をしてきた自分たち、ほんのちょっとラッキーだったのかもしれないし、その世界が「トンイ」でよかったー! 単細胞な自分はほんの何日かでこんなに心変わりをしてしまいました[たらーっ(汗)]

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  始まる前は「いつから始まるんだろう」と楽しみにしていた「トンイ」も残すは1話のみです。
また寂しくなってしまいそうです、やっと身近に感じられるようになってきた「トンイ」の世界が、もう今度の日曜日で見られなくなってしまいます…(T_T)

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【韓ドラ雑記】 「階伯」と「善徳女王」の閼川 (アルチョン)の年齢差に、納得がいかないってんで調べてみた

  閼川 (アルチョン)っていえば、ドラマ「善徳女王」のイメージが付いて回る。
あの若く冷静で凛々しく、善徳女王に人生を捧げた忠誠心の持ち主、かくいう自分もあのドラマの中での登場人物の中ではお気に入りだった人物像だ。
  歴史の上でも、晩年には高齢を理由に金春秋や金庾信に全てを委ね、表舞台からは姿を消したという幻の英雄的な生き様がとっても興味を惹く。
それが「善徳女王」のドラマの中の人物像と重なってしまうのは、自分だけではないと思う。

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  そして現在放送中のドラマ「階伯(ケベク)」も、あの「善徳女王」の続きのような時代背景を百済側から描いているのだから、当然のように敵国である新羅の人物として、金庾信(キム・ユシン)やら閼川 (アルチョン)の姿も見られるのだが、ちと違う、いやかなり違う、その映像の中の人物像が…。

  あの「善徳女王」の中の凛々しい閼川 (アルチョン)はどこへ行っちまったんだよう[あせあせ(飛び散る汗)]って感じで、そのあまりのギャップに合点がいかない自分がいる。

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  「階伯」というドラマ、大人になってからは、周囲の人物を除いた主要人物がやたらとお年を召して登場してきた。
ウィジャ(義慈)なんて父親と親子には見えんぞって感じていたのだが、それもそのはずで、実際のプロフィールは同い年どころか月の差で息子のウィジャの方が年上だったんだぁ(笑)
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  でも、それ以上に信じられなかったのが新羅側の閼川 です、「この恰幅のいいオッサンがあの閼川 ?」
あの「善徳女王」での閼川 のイメージを壊してくれよります、姿もそうなら性格も悪そう。
金庾信(キム・ユシン)と閼川(アルチョン) 、あの「善徳女王」での名コンビの年齢があまりに違いすぎる気がする、しかもやたら先輩風を吹かせてやがる。

  ということで、閼川 と金庾信、そして後の百済の国王・義慈王となるウィジャや階伯(ケベク)の年齢比べをしてみることにした。

  ところが、閼川 は韓国のウィキペディア(Wikipedia)でさえ、生年や没年の記載が無く、活動時期636年 〜 654年とあるのみで、実際に生まれた年や亡くなった年が記述されてやしない。
突然に歴史上に現れ、突然に表舞台から姿を消す、って、どこまでも興味深くミステリアスな人物です。
さらに調べて別の資料を見ると、こちらには生年と没年が書いてある、577年~686年、なんとまあ109歳で亡くなっていることになる。
信じらんねえ、どこかで資料が別の人物と重なりあってしまったのではないかと、そう疑いたくもなってくる。
これをWikipediaの活動時期に照らし合わせてみると59歳から77歳まで歴史の表舞台にいたことになる。
高齢を理由に退いてますから、まあ辻褄は合わなくもないのだが…。

  とにかく、これを信じて比較してみると、
  金庾信(キム・ユシン)が595年~ 673年ということで、閼川 とは18歳の差があるということで、信じたくはないのだがドラマ「階伯」のイメージはまったくかけ離れたイメージとは言えなくもない。
昔の親子ほどの年の差があるのなら、威張って先輩風を吹かせていてもおかしくはない。
  変わって義慈王が599年~ 660年なので、22歳の差ということは、金庾信とほぼ同年代ということで、こちらもちょっとは無理はあるものの、あのドラマの中の違和感は多少緩和されてくる。
  そしてラストの階伯(ケベク)は、 612年 〜 660年ということで、閼川 とは35歳差、金庾信とは17歳の差があることになる。
そうなんだ、他の歴史上の人々が突然に年を取って登場してきたのではなく、主役のケベクがイ・ソジンさんでは中途半端だったということで、他の皆さんは歴史的にこれからの展開を考えれば、あまりかけ離れてはいないキャスティングだったということでした。
ただ主役側の人物の全てが、少年期から二段階で表現するにはちょっと違和感は拭えないのは事実ですけどね。
まあ主役が若作りから始まって50歳ちょい前に亡くなってますから、ウィジャも60歳くらいで死ぬと思えば、まあまあ許せる範囲としておきましょう(笑)

  そんなわけで、人物像は別にして、「善徳女王」での閼川 の方が実際とは異なっていたということになりそうです。
とかくミステリアスな幻の英雄ですから、まあドラマから夢をいただいたってことで、きっと若かりし頃の閼川 は、ドラマ「善徳女王」の中のような凛々しい好青年だったことでしょう…ってことで[手(チョキ)]


  話は変わってドラマ「階伯」も、先週あたりから主人公を中心とした仲間がまとまりつつあって、やっと展開が楽しみになってきました。
こちらのドラマの歴史とドラマ「善徳女王」の歴史は繋がってますから、いろんな面で比較してみると面白いかもしれないと思っています。





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「キム・マンドク~美しき伝説の商人」に登場した『済州島』の筏(イカダ)に乗ってみたい!

  今日はAKB48の総選挙? 総選挙って何?
日本はなんて平和というか、のどかな国ですよねえ、そんなので一つの番組ができてYahooのニュースにまでなってって、自分にはよく分からない世界ですので、自分がよく分かる韓国時代劇の話しです[わーい(嬉しい顔)]

  韓国は済州島(チェジュド)、こちらは世界の皆さんの総選挙(?)で、自然版の「新・世界七不思議」に選ばれたといいます、世界の津々浦々〝選ぶ〟ということがお好きなようです(笑)
いろいろと物議は毎度のようにあったようですが、お隣の国に世界中が認める自然の造形が存在しているということは、すぐにでも行って見られる最も身近な地球の偉大な遺産だと、我々日本人にとっても言えるような気がします。

  この火山で造られた島「済州島」は、世界的に認められる自然が豊富にあるだけではなく、韓国ドラマの撮影地としては欠かすことができない存在だというのは、今更書くようなことではないかと思いますが、日本で現在放送中のドラマに関わってくるとなれば、このブログでも取り上げないわけにはいきません。
  そのドラマとは「キム・マンドク~美しき伝説の商人」ですね。
現在放送中の序盤は「済州島」が舞台になっていますから、島の風景やら「民俗村」なんてのはドラマのあちこちに出てきます。

  そのドラマ「キム・マンドク」の先週の放送を見ました?
死に別れたと思っていた師匠と再会を果たしたあのシーンの場所です。
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  自分のように、日本で放送される韓国時代劇の有名どころをご覧になっている方は、もしかしたら気付かれたかもしれませんが、以前のドラマで、このブログでも話題にした「済州島」の観光地がオープニングになっていました。
  「アレッ!どこかで見たような(?)」 そんな乗り物に妓生(キーセン)たちが乗っていました。
これですよ、これっ!
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  以前にもこんなのが出てきたドラマがありました、それがこちらですね
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  「推奴(チュノ)」の一場面でした、この「推奴」も 逃避行の途中では「済州島」が舞台になっていたことがありましたから、その時にこのブログでもご紹介させていただきました。
  この筏のような乗り物の名前は「テウ」、そして、この「テウ」という筏が観光の名物になっている場所が「済州島」の『セソカク渓谷』、このカタカナでの表記はひとつではありませんが、このブログでは日本人が一番発音し易いこの〝セソカク〟で書いていくことにします。

  たいていのサイトでこの「セソカク」を紹介している画像などでは、「テウ」という筏は欠かせないものになっています。
それをうまく妓生との宴という、ちょっと華やかで優雅なシーンで用いていたのが、先週の「キム・マンドク」でした。
以前の逃亡用の乗り物で用いた「推奴」とは大違いでしたが、どちらのドラマもこの「セソカク渓谷」の名物をうまく利用していた感じがします。
水のある美しい風景にはぴったりの乗り物「テウ」、ここ数日のようにやたら蒸し暑くなってくると、こんな風景の中をこの「テウ」に乗って水面の散策という具合に、「キム・マンドク」のシーンのような優雅でのんびりとした旅の1シーンに憧れてしまいます。

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  だけどこの「セソカク渓谷」はおだやかな美しい水辺の風景ばかりではなく、ちょっと内側にはあの「推奴」で登場していたような、岩が造り出す男性的な風景も存在していますので、「済州」の特徴的な岩のある風景、そして水のあるのどかな風景という二つともがこの場所で楽しめそうです。

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   韓国観光公社
      http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=1068850

  「済州島」には、最近では日本でもかなり有名になり、日本の地方観光の関係者も見学に行って参考にしてくるという「オルレ」というウォーキングコースがあり、済州の観光地ごとにいくつもに別れています。
この「オルレ」、新しいものを築くという観光方法ではなく、既存の観光施設をうまく利用しているという点で、かなり注目を浴びているそうです。
それだけこの「済州島」は自然と観光をうまく融合させている島だと言えそうで、しかも世界的な地球規模の自然が息づく貴重な観光地でもあるわけで、やっぱり一度は行っておきたいものですねえ。
もちろんその時にはこの「セソカク渓谷」も目的地のひとつに加えたいと思っています。
ちなみに、「オルレ」のコースでは“5・6”のコースに入っているそうです。

  「オルレ」 (韓国観光公社)
     http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_3_8_8.jsp

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「MBCドラミア」の王宮門セットの懸板が、『階伯(ケベク)』で三代目に交代?

  2010年の11月だったかに、当時行って来たばかりの「MBCドラミア」の話題で、王宮門セットの〝懸板〟の文字について話題にしたことがありました。

  「ドラミア」が本格的に始動したドラマ「朱蒙(チュモン)」、その当時の懸板の文字はこんなでした。
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読もうったって読めやしない文字です、そしてこれは「イ・サン」まで続いていて、
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「善徳女王」になってから、やっと読める普通に漢字の『徳永軒』という懸板に変わったんですね、ってな記事を書いたものです。
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  そして我々が「ドラミア」を見学した当時もこのままでした、ということは、最近書いているように、「トンイ」が終了したままのセットを見てきていたということで、もちろん「トンイ」でも「善徳女王」と同様の懸板が使われていたことになります。
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  現在放送中のドラマ「階伯(ケベク)」、このドラマったらこれまでの「ドラミア」の使い方とはちょっと違う。
同じ場所のセットなのに、これまでのドラマとは違う飾り付けや、映し方というこだわりを見せているドラマです。
だから、これまでとは一味も二味も違う、新しい「ドラミア」の姿を見せてくれているという点では、とっても新しく斬新な映像の中での「ドラミア」を見ることができて、その点ではとっても楽しみなドラマです。
これでもっとワクワクするような展開でキャスティングが良かったら、おいらなんか本当に夢中になったんでしょうが、今のところはちょいとばかり期待はずれのドラマってのが残念です。
  大人になってからの両王子がどうも好きになれない、ウィジャ(義慈)なんて急にお年寄りすぎやしないか(?)、突然に田中健が出てきたような違和感を感じとります、弟の方もなんだかパッとしないし…(ファンの方にはごめんなさい)
  なんだかんだと言ってはおりますが、ジッと我慢でこれからも見続ける自分がいるでしょう、だってこれだけ新鮮な「ドラミア」の姿を見せてくれるドラマはないですから、「あそこがこんな風に変わるんだァ」「あそこをこんな映し方をするとこう見えるんだァ」ってな具合に、「ドラミア」の変化を映像の中で楽しみたいですから[わーい(嬉しい顔)]

  さてその「階伯」でのドラミアの変化については、また後ほど書いていくように準備をしてますが、とっても分かりやすい変化があるのに気付きました。
それが上に書いている「懸板」の文字なんですね。

  「階伯」の画面の中での王宮門セットの懸板はこうなっています。
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文字が『徳永軒』から『泗沘宮』に変わっているんですね、この「ドラミア」の誕生から数えて三代目の〝懸板〟ということになります。
時代背景から考えてこんな細かいものまで変えたのだとしたら、この「階伯」というドラマ、映像的にはとってもこだわりを持って撮影されているドラマなのかもしれません。

  もしこれから「MBCドラミア」に行かれる方があれば、ぜひこの〝懸板〟の文字も確認してみてください。
このまま『泗沘宮』という文字が懸かっていたら、それは「階伯」の撮影セットを見ているということになるし、もし元に取り替えられていたら、「善徳女王」や「トンイ」の撮影セットであり、「階伯」というドラマの一時的なこだわりだったのだと感心してやってください。
  そして、まったく別の文字になっていたら、それはまた新しいドラマの世界になっているということです。

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主役と〝好きな女優〟が出たから立派な「太祖王建」の撮影地に格上げ(?) ~聞慶セジェ・鳥嶺院~

  韓国の時代劇をいろいろ観てますが、自分はドラマ自体に興味があって、俳優や女優なんてのは殆ど個人的な興味は無い人間です。
自分が観るドラマで泣かせてくれて、感動させてくれて、爽快な気分にさせてくれれば、そのドラマの中ではみんな演技力があるすばらしい俳優や女優です。
演技力って何なんでしょうね? 自分のような素人には分かりません。
だってそれを計るものがないのですから、これが演技力の基準だなんてないわけですし、そのドラマや映画の中で自分をその映像の世界の中へ惹き込んでくれる人なら、自分にとってはみんな演技力がある皆さんということになります。
そんな自分ですから、韓国の特定の俳優や女優に入れ込むなんてことはないのですが、ただその中にも「ちょっと気になるな」とか「「この人の雰囲気が好きだな」などという人はいるものです。

  現在、毎朝「太祖王建(テジョワンゴン)」を録画して欠かさず観ていますが、その自分が〝ちょっと気になっていた人〟が登場しました。
これまでに自分が見たこともないような、若々しい姿を見せてくれています。
王建の三人目の妃、嫁さんになるユ長者の娘役ですが、事前に配役や人物相関図なんてのを見ていたから判りましたが、この姿だけを見ても最初は気付かなかったかもしれません。
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  この女優さんを最初に目にしたのがドラマ「ファン・ジニ」でした。
盲目のジニの母親役として見てから〝ちょっと気になる存在〟だったのが、その後「エデンの東」や「製パン王キム・タック」などで見るようになり、やはり今でも〝気になる存在〟に変わりはありません[ちっ(怒った顔)]
あの雰囲気がどうも気になるっていうか、守ってあげたいくらいにか弱そうなのに、実はしっかり者っていう雰囲気がよく似合ってます。
  自分のことですから、もちろんこれまで気にはなっていたって名前なんかは知りません(笑)
今回は初めて覚えました、「チョン・ミソン」っていう人なんですね。
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  そのずっと自分が気になっていた女優さんが、自分が以前訪れた場所を歩いているシーンを見ました。
もちろん「太祖王建」の中のシーンなのですが、それが以前にも記事にしている「聞慶(ムンギョン)セジェ道立公園」の遺跡「鳥嶺院」です。

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  以前にも何度か書いているように、この「鳥嶺院」なんてのは石垣で囲まれた敷地があって、ボロい小屋がひとつあるだけの場所です。
最初訪れた時にはなんの魅力も感じない場所だったのが、その後の「済衆院」に登場したから、少しばかり自分の中じゃ格上げされた場所です(笑)
そして中にあるそのボロい小屋も、あれは史跡の物じゃなくって「太祖王建」のセットの残骸じゃないのか?なんて記事まで書いてしまったほど、韓国の史跡として見たらよく分からない下の下の存在感でしかない場所 _(._.)_

  ところがですね、今回そんな全く魅力の無かった場所が、「こここそ太祖王建の代表的な撮影地」として、自分の意識の中で超格上げされてしまいました[わーい(嬉しい顔)]
だって今度は主役のチェ・スジョンがあの今はボロい小屋の前に立ったんです、しかも、こっちが重要なんですけどね、あの以前から〝気になっていた女優さん〟がそこに来て歩いて撮影していたんですから、こりゃもう立派な「太祖王建」の撮影地以外の何物でもない!ってな具合に、単純な自分の中では「行って来てよかったね」の場所に急浮上してしまったというわけです。

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  これからの季節、この「聞慶セジェ」を歩くにはもってこいのいい時期です。
もし行かれる皆さんがみえたら、ぜひ「鳥嶺院」もしっかり見てきてくださいね!
史跡としたら「どうでもいい場所 _(._.)_」ですが、「済衆院」と「太祖王建」の主役や、チョン・ミソンさんが撮影をした場所なんですから、ってチョン・ミソンさんを特別視するのは自分くらいかもしれませんが[あせあせ(飛び散る汗)]

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