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ドラマ「トンイ」の最終回には非公開のそのお墓も登場

  残すところ次回の最終回のみとなったドラマ「トンイ」、56話くらいからは完全な創作の世界で、実際の歴史とはかけ離れた展開を見せていましたが、トンイが亡くなった後にクムが英祖王になるまでに起こることをからませながら、トンイの人柄と晩年に至るまでをドラマ的な架空の世界で描いていたのだろうと思います。

  そしていよいよ迎える最終回、きっとイ・ビョンフン的な描き方で終わらせてくれることでしょう。
「イ・サン」の最終回では、本人である正祖のお墓が登場し、その前にはソンヨンのお墓としてその息子のお墓を登場させていましたが、どうやら今回の「トンイ」では本人である「淑嬪 崔氏(スクピンチェシ)」のお墓が見られるようです。
  トンイこと淑嬪 崔氏は1718年に50歳を前にして亡くなっています。
亡くなった頃はまだクムは国王にはなっていませんから、粛宗王の後宮としてのお墓でしたが、後の1724年にクムが英祖王になり、それに伴ってお墓も国王の生母として昇格しています。

  朝鮮の王室のお墓は三通りに別れていて、国王や王妃のお墓は「陵」、世子・世子妃、そして国王の生母は「園(苑)」、王の後宮や王子・王女などは「墓」として表されますから、このトンイのように後にお墓だけが昇格するという例もあるわけで、トンイも亡くなってから国王の生母の扱いを受けることになったということです。

  さて、そのトンイのお墓は坡州(パジュ)市にあって史跡第358号に指定されています、が、その坡州市の観光サイトなどを見ても紹介はされていません。
なぜなら、学術的な見学などで許可を受けないと入ることができないという、一般には非公開になっている墓地なのです。
  韓国のある方のサイトでは、〝運が良ければこっそり入ることもできる〟なんて書かれています(笑)
でもわざわざそこまでして見るまでもないし、「韓国ドラマにかぶれた日本人が無断侵入」なんて三面記事にはなりたくはありませんもんね[わーい(嬉しい顔)]
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  上の画像がその入り口で、多分その扉がたまたま開いていたりしたら入ることができたりするのかも…、(?)、とにかく軍事境界線に近い坡州市くんだりまで行って、結局は「見られなかった」ってことになりますから気をつけてください。
でも、このドラマのおかげで訪れる人が多くなったそうで、勉強会のような形で中へ入った方の画像がいくつか紹介されていますから、その中でも比較的に綺麗な画像を転載してご紹介だけしておくことにします。
  これまでのお墓同様に「丁字閣」があり山型になった墳墓という形式に変わりはありませんが、昨年にご紹介した同じ国王の後宮だった「イ・サン」のソンヨンとは比べ物にならないほど広く立派なお墓です。
後宮といっても国王の生母となるとやはり違うということもありますが、息子のクムこと英祖王の力によるものが大きいようです。
もしドラマの中の世子である後の景宗(キョンジョン)の力が大きくて、しかも長生きをして英祖王が誕生していなかったら、トンイのこんな立派なお墓は無かっただろうし、張禧嬪(チャンヒビン)のお墓が立派になっていたりしたかも(?)

  ではそのトンイのお墓、「昭寧園」と言いますが、そのお墓の様子です。
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  この下の画像は、「丁字閣」へと続く参道で、画像では分かりにくいかもしれませんが、二本の石の道が続いており、向かって左側が少し高くなっています。
これは、後の英祖王、クム君も何度か歩いた国王専用の道なのだそうです。
餞民の息子である国王と陰口を叩かれ、もしかしたら複雑な思いでここを何度も訊ねていたのかもしれません。
ドラマ「トンイ」の最終回のように… (合掌)

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