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【韓国よもやま話】 お札になり損ねた「金萬徳(キム・マンドク)」、その代わりに母子でのお札共演が誕生した(?)

  今や珍しくもなくなった韓国の5万ウォン札、ましてや我々のような外国旅行者が両替となりゃ、やたらめったらこのお札を目にすることになります。
確かに最初の時点での嵩張りは緩和されますが、どうもタクシーなんかではいまだに「これで払ってお釣りは大丈夫かいな(?)」などと心配してしまうお札です。
それにも増して構想中の10万ウォン札なんてのが出たら、もう即コンビニなどでちょっとした買い物をして、細かく両替をしなきゃ気軽に使えません、銀行の両替時点で拒否ってしていいのかな?
ちょっと絵柄に失敗して(?)、とにかくは中止になってよかったよぉ、なんでも地図のような絵に竹島(独島)問題があったとかって…。

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  話しを戻して、この5万ウォン札に描かれているのが、申師任堂(シン・サイムダン)というおばさん。
この人は女流画家なのですが、それよりも韓国の「良妻賢母」の鑑(かがみ)として有名なお方、…らしいのだが、あまり韓国でもポピュラーな人物ではないような(?)
日本の5千円札で「新渡戸 稲造」さんが登場して、「誰?それ?」と多くの人が思ったのと同じような感じでしょう(?)
おいらはいまだにこの新渡戸という人がお札になるような功績を理解していない[あせあせ(飛び散る汗)] <(_ _)>

  でもって、この新札の肖像画を決める際に何人かの候補が挙げられます、まあこれはどこのお国でも同じことなんですが、その中にちゃんと前のページで紹介して、現在はドラマとして放送されている「金萬徳(キム・マンドク)」さんもいたんだと言います。
女性候補としてはいいところでしょう、前に書いているように、私財を投げ打って多くの人を餓死から救ったんですから、そりゃもう功績としてみたら、女流画家で単なる「良妻賢母」と言われるお方よりも、自分だったら金萬徳さんの方に軍配を上げますけどね。
なんたって人の命の方が重いわけで、そこに慈悲の心が宿っているんですから。

  だけど、現実には負けてしまって、申師任堂(シン・サイムダン)さんが韓国初の女性のお札の肖像画にあいなったということです。
いかにも儒教の国らしいといえばそうかも、〝慈悲の心〟が〝良妻賢母〟に負けちゃったってところです。


  こうして韓国初の女性肖像画の座を射止めた申師任堂さん、7人の子供の教育に励んで立派に育て上げました。
その中の一人、息子に栗谷李珥(ユルゴッ・イイ)っていうお方もいます。
このお人は儒学者で朱子学者として有名な方なんだそうですが、韓国の5千ウォン札の肖像画のおっちゃんなんです。
やっぱり韓国だけあって思想方面の第一人者がお強いようです。

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  ということで、5万ウォン札の「申師任堂(シン・サイムダン)」と5千ウォン札の「栗谷李珥(ユルゴッ・イイ)」は親子なんですよねえ。
しかもこの5千ウォン札の肖像画の裏に描かれているのが、「草虫図」という母親の作である絵なんだそうで、まさにダブルでの親子共演が実現した韓国のお札なんです。
母親と息子が揃ってお札の肖像画になってるってことなんですが、こりゃあ父親の「李元秀」さんの立場がありゃせんがなってとこですよね(笑)


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金万德(キム・マンドク)は商人なのに医女(?) 正祖王との関係

  ドラマ「キム・マンドク~美しき伝説の商人」、まだ商人としての活躍は先のことのようですが、この主人公の「金万德(キム・マンドク)」という女性、日本で見られる資料というのは本当に少ないのですが、済州島では大きな碑が建てられているほど、島の恩人として語り継がれている偉大な人物だというのを初めて知りました。

  このドラマは聞慶(ムンギョン)の「KBS撮影所」を訪れた時に撮影をしていて、その若い男の子のスタッフから、「自分の財産を投げ打って貧しい人たちを助けた女性の話」であるというのは聞きました。
でも、具体的なことは何も知る由も無く、ましてやその救ったのが昔の済州島民の命だったなどというのも、今回調べてみて初めて知ったことです。

  済州島に韓国の夕日の名所、しかも〝韓国の絶景12景〟にも数えられている「沙羅峰公園(サラボンコンウォン)」という観光地があるそうです。

   沙羅峰公園
     http://travel.k-pops.jp/spot_view.kn?item_id=61&category_id=8&qstr=Y2F0ZWdvcnlfaWQ9OCZjaXR5TnVtPSZzdGF0ZU51bT0mc3R4PSZpY29uPSZwYWdlX2luZGV4PTk=

     http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=1069350

その「沙羅峰公園」の南側に、金万德さんの功績を讃える碑やお墓などもあり、「金万德記念館」なる施設までもあるそうなのですが、お墓を始めとしたその金万德さんを表するものには〝内医女〟とか〝医女班首〟という文字が名前の前に記されています。

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  この人ってあのチャングムのような医女だったのか(?)、医女でありながら伝説の商人(?)
しかも済州島ではこの金万德さんを「島を救った医女」と呼んでいるのだといいます。
なんだかよく分からなくなってきます、この金万德という女性は妓生?医女?商人? どれが正解なんだろう(?)

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  そもそもこの金万德という女性は何をやった人なのか?
  この金万德さんは1739年に仲介商人の娘として生まれたのですが、12歳で両親と死別してしまい、親戚の家の世話で妓生として育つことになってしまいます。
ところが、大人になって世間を知るようになると、妓生というのは世間から蔑視される職業なのだと悟り、23歳で済州の役所に願い出て苦労の末にやっと元の身分を回復します。
  元々の血筋なのか金万德さんは商才に長けていたようで、島の特産物であるミカン・ワカメ・トチなどを内地で売り、そして反対に内地から装飾品や日用品などを仕入れて両班などを相手に商売をするというように、妓生の頃の経験を活かしながらの商才を発揮したのだそうです。
また、薬草の栽培なども手がけるなど、その活躍の場を広げたのですが、この当時の朝鮮は田植えという農業技術の発展とともに、商業も発展するという時代で、その時流をうまく読んだ人物だったようです。
そんな成功者で巨万の富を得ながらも、本人の生活はいたって質素でつつましく、神の恩恵で自分はこうして生きていられるという気持ちを持ち続けて生活していたといいます。

  しかし、その後の1793年のこと、済州島をひどい飢饉が襲います。
3つの村だけでも600人の餓死者が出るほどの飢饉が続き、このままだと済州の島民の多くが餓死の危機に陥るというひどい有様になってしまったのです。
1795年には政府も救援の手を差し伸べはしますが、その救援の食料を積み込んだ船5隻が沈没してしまうというアクシデントで、支援の政策もあえなく失敗に終わってしまいます。

  そこで乗り出したのが金万德(キム・マンドク)さんです。
自身が築いた富を惜しげもなく投じて内地の米500石の買い付けをし、その殆どを飢えにあえぐ島民に無償で分け与えたのです。
当時の朝鮮王朝ができずにいた済州島民の救済を、私財を投じて、しかも女の身でありながら成し遂げたんですねえ、多くの餓死寸前の島民の命を救った女性、医術や看護ではなく、〝慈悲深い救世主〟という敬いの意味合いでの『内医女』 だったわけです。

  そんな王朝が成しえなかった偉業を成し遂げた女性なのですから、当時の国王さんが直接謁見して褒め称えることになるのですが、それが「イ・サン」である正祖王なのです。
そして翌年の1796年に金万德の願いを聞き入れ、漢陽(ハニャン)の宮廷に招待をし、霊峰である金剛山を見物させるということになります。
  ところが、当時の済州島から一般の女性が出て、ましてや宮殿に入るなんてことは前代未聞のこと、そこでこの国王である正祖が、『医女班首』という特別な地位の称号を金万德に与え、特別な待遇をしたということなのです。

  そういうことだったんですね、「内医女」には〝救世主〟のような意味合いが込められ、「医女班首」には〝最高の救済者〟というような特別な尊い意味合いが込められていたようです。

  金万德さんは1813年に73歳で亡くなりますが、今も済州島の救世主として「内医女・金万德」は生き続けています。
こんな偉業を成し遂げた女性をこれからのドラマで、どこまで描いてくれているのか、ドラマを観ていく上での興味が沸いてきました。

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