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「善徳女王の新羅」、その千年の歴史の中で、『エミレの鐘』の誕生とともに途絶えていた「金春秋(キム・チュンチュ)」直系の王統

  二年前に、順天(スンチョン)シティーツアーに参加して、「仙巖寺」というお寺にも訪れた。
自分にとっては、ドラマ「チェオクの剣」の撮影地でしかなかったが、自然が豊かで落ち着いた美しいお寺だった。
そこには釣鐘があり、ツアーで知り合ったおじさんがいろいろ教えてくれたものだ。

  梵鐘は日本のものよりも低く吊られ、鐘の下には穴があり、その中は空間になっているとか、こうした構造だから日本の鐘よりも澄んだいい音色がすると、おじさんは自慢げに説明してくれた。

  しかし、自分はそのおじさんに教えてもらうまでもなく、そういった韓国の梵鐘については既に知っていた。
その少し前に、そういった鐘のことを日本のテレビニュースで見たばかりだったから。

  なぜ日本のニュースにまでなっていたのかは記憶にないが、日本で、しかもニュースになっていたのだから、もしかしたら、長い年月を経てその鐘の音色が甦ったとか、そういう内容だったのかもしれない、ただ定かではない。
  やはりニュースでもおじさんと同じようなことを解説し、日本の鐘よりも澄んだ音がすると、やっぱり最後はおじさんの言葉同様に締めくくっていた。
  ところがその鐘の音色を聞いた自分は
   「これが澄んだ音? なんか軽くていい音には聞こえない」そんな感想をもった。
  きっと古くから聞き慣れた音への違和感がそうさせていたのだと思う、こんな鐘の音色ひとつにも日韓の環境の違いがあるものだというのを感じていたものだ。

  そしてそれが「エミレの鐘」の存在を伝えるニュースだった。
その鐘には伝説があり、なかなかうまく鋳造ができず長い月日を費やしたが、ある一人の少女を生贄にして胴を流し込んで鋳造をしたところ、やっと完成することができた。
しかしその鐘をつくと、音色が「エミレー(お母さーん)」と聞こえる、生贄になった少女の悲しい叫び声に聞こえるということから、その鐘は「エミレの鐘」と呼ばれるようになったと、ニュースの中では伝えていた。



  このところ、ドラマ「太祖王建」の影響で、あまりに知らなさすぎた新羅の末期のことを、時間があれば調べていたのだが、新羅として存続していた時代は、その歴史的な流れから三つに区分されているというのを知った。
上代・中代・下代と言われるらしいのだが、その真ん中の中代と呼ばれる時代に興味をもった。
  なぜなら、その時代は、ドラマ「善徳女王」でよく知っている「武烈王(ムヨルワン)」に関係していたからだ。
  以前にも書いているように、「武烈王」というのは、ドラマの中での金春秋(キム・チュンチュ)の後の名で、キム・ユシンとともに三韓統一の礎を築いた立役者でもある。
だから自分の意識の中では、このキム・チュンチュからの王統が延々と続き、新羅という国を治めていたのだろうと思い込んでいた、

  ところが、新羅の中代と呼ばれる時代は、キム・チュンチュこと武烈王から、その王統が途絶える780年までのことをいうのだという。

つまり、キム・チュンチュの王統は、780年まで新羅を治めた王で終わっていたということになる。
その、キム・チュンチュからの王統最後の子孫が「恵恭王(ヘゴンワン)」という国王だ。

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  恵恭王は八歳で即位し、20代そこそこの即位後15年で内乱の中殺害されている。
幼くして即位し、太后による摂政が執り行われるという間に多くの乱が起こり、その中にはあのキム・ユシンの子孫も含まれていたというのだから、本当に歴史とは残酷で皮肉なものだと思う。
そしてその、武烈王直系の王統が途切れて以後、新羅という大国の末路が始まったというのだから、重ねて皮肉なものだと思う。

  その恵恭王の時代に完成したのが、あの「エミレの鐘」だ。
この「エミレの鐘」、本当の名は「聖徳大王神鐘」と言われるらしい。
恵恭王のお爺ちゃんである「聖徳王(ソンドクワン)」の冥福祈願のために、父王である「景徳王(キョンドクワン)」の時代に製造が始まった。
うまく鋳造ができなくて苦労したと伝えられるとおり、父の代から造り始めて完成したのが、息子の恵恭王が14歳の時だから、かなりの年月を費やしたことになる。
しかしこの鐘が完成した9年後に、恵恭王が死に、お爺さんの冥福どころか、キム・チュンチュこと武烈王から引き継がれてきたそのお爺さんの直系の王統までもが途絶えるという、残酷な結果になってしまったというわけだ。

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  さて、その「エミレの鐘」、現在は「慶州博物館」の庭で見られるというのだが、残念ながら自分はまだ見ていない。
何度も慶州を訪れていながら博物館へは行っていない。
東洋最大の梵鐘として、高さ333cm、直系227cm、重さ25tというその鐘は、韓国の国宝第29号に指定されているものらしいのだが…。
内部に展示されたものを見て時間を費やすのが惜しくて、もっぱら野外の歴史物しか興味を示さなかったからだ。
でも、そのでっかいレプリカ風のものは見ている、「新羅ミレニアムパーク」の「エミレタワー」(笑)
中が売店になっているあの「エミレタワー」ですが、馬鹿にしたものではないんですよ、外観の模様や文字はちゃんと再現されているようです。

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エミレタワーの絵(上)と、本物の「エミレの鐘」の絵(下)
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  新羅という国の1000年の歴史の中で、ひとつの区切りともなった、武烈王の王統が途切れた国王の時代に完成した「エミレの鐘」、その新羅の歴史に一つの区切りをつけた時代の象徴として、「新羅ミレニアムパーク」のシンボルとなっていても、なんら不思議でもなんでもないことだったようです。

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