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『太祖王建』に見る、新羅を滅亡の道へと導いた三人目の女王 「真聖女王」

  まず最初に、ドラマ「善徳(ソンドク)女王」のおさらいをしておきましょう。
  新羅という国には「骨品制(こっぴんせい)」なるものが存在してました。
ドラマでもよく登場したので、聞き慣れた制度ですが、父母ともに純粋な王族の血を引き継ぐ者が「聖骨(ソンゴル)」、父母のどちらかが王族の血を引き継いでいる者を「真骨(ジンゴル)」と言います。

  この骨品制によって、新羅の官僚の上層部の役にある者は、ほとんどが真骨で占められていたといいますから、新羅で出世するなら王族と縁を結べば早いということなんですが、残念なことに聖骨や真骨間どうしの婚姻が大勢を占めていたようです。

  ということで、近親者どうしの婚姻が続けば、どうしても遺伝子的に異常をきたしてくるわけで、子供が生まれない、生まれても短命だったりということになり、子供がいなきゃ後を継ぐ男子もいないということになってしまいます。
末期の新羅がまさにそれで、王族に男子がいなくなる、そして早死にする王が出てくる、ということで、上の二人の兄が国王を受け継いだものの死んでしまって、とうとう女の身にお鉢が回ってきちゃったよ、っていうのが新羅51代目の「真聖(チンソン)女王」です。

  新羅とすれば、善徳・真徳に次ぐ三番目の女王ということになります。
が、前の女王とちょっと違っていたのは、あくまで女性だったということです。

  ドラマ「太祖王建」では実の伯父を愛人にして、その伯父に政治は任せっ放しで遊びほうけ、果てにはその伯父さんを腹上死させちゃったよという、まあまあいいとこ無しの女王様として描かれてました。

  実は、この恋の相手の伯父さん魏弘とは元々が不倫関係にあったようで、まさかお兄さんの定康王が1年で死んでしまって、自分を遺言で後継者にするなんてことが想定外だったのか、周囲の陰謀だったのか定かではないですが。
とにかく、
  「私、政治のことは何もわかんないの、お願い、伯父さんが代わりにやって!」ってなことで、愛人に政治をまかせっきりにしちゃうってことになっちまったんです。

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  ところがところが、その頼りにしていた伯父さんが死んでしまった、ドラマのように腹上死かどうかは知りませんが(笑)、とにかく何もわからないから途方にくれてしまう。
この女王様は徳曼こと善徳女王とは違い、女を捨てきれなかったんですね。
色欲に陥ってしまって、数々の美少年を住まいに引き入れての好き放題(真骨に適当な男性がいなかったのかも…?と書かれてたりしますが)、しかもその美少年達を筆頭に、女王に媚びている奸臣たちの群れが国の権力を掌握してしまいます。
  邪魔になるものは消しちゃえ!、媚びる者は大事にしますよってわけで、賞罰がむやみに行われるという事態になってしまう。
そうすれば世の常です、賄賂が横行し、官職を買収するなど、根本的な規律が崩れてしまい、地方の豪族まで監視の目が届かなくなる。
しかも女王自身は贅沢のし放題ですから、国庫は資金難に陥り王室の権威は失墜して、好き勝手に豪族が民から重税を徴収したりで国民はどん底の生活、そうなりゃ生きていくために盗賊になるっきゃないよ、ってことで、新羅の国内は大混乱ですわな。

  こうして力をつけた豪族や盗賊たちの国となった新羅に見切りをつけて、新しい国を建てようじゃないかと蜂起する者が現れ、それがまとまって大きな力となって現れたのが、「後三国時代」の幕開けということになるのです。

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  真聖女王が新羅を直接滅ぼした最後の女王ではないのですが、弱りつつあった新羅に決定的な引導を渡したのが、この真聖女王だったと言えるわけです。

  「骨品制(こっぴんせい)」という近親婚がもたらした弊害によって新羅は衰退し、真聖女王はその大きな被害者だったとも言えます。
どうしても女性を捨てきれずに、韓国の記録の中には「素行が良くない淫乱な女王」として記されるほど、男と贅沢に逃避するしかなかった女王、なりたくてなったわけではない〝女王の座〟だったから、女王として生きることができず、単なる一人の女性のままで終わってしまったようです。
ただ、千年という新羅の歴史の中では、大きな罪を背負わされてしまいました。

  後に真聖女王は、兄の憲康王とその愛人の子を太子とし、その太子に譲位してすぐ亡くなってしまいます。
多分、この時にきっとホッとしたことでしょう、しかし、突然に譲位された太子は孝恭王として即位しますが、もう既に甄萱(キョンフォン)の後百済、弓裔(クンイェ)の後高句麗に立ち向かう力は無く、こちらも酒や女に明け暮れ、王にはなりえず情けない一人の男として終わってしまったようです。

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  ドラマ「善徳女王」の中に、愛するキム・ユシンを忘れ、女王として生きる決心をする場面がありますが、善徳女王は一人の女性ではなく、女王として生きる道を選んだというのを、強調したかったのかもしれません。
子孫に、ふしだらな女としてしか生きられなかった女王がいたのですから。
  女性が王として政治をするのは、大変な苦労と重圧の連続でしょう、ましてや女王になりたくてなったわけではない、一人の女性として見れば、同情の余地はあるし、他のことに逃げたくなる気持ちはわかるような気がしますが、元々妻のある伯父さんを愛人にしてたってことで、それらも差し引かれちゃいますよね。
この品のあるブログ?(笑)でこんな言葉は使いたくはないのですが、やっぱり淫乱で王になる素質のない女性だったという結論になっちゃうのかな(?)[わーい(嬉しい顔)]

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