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「板門店ツアー」 戦争の悲劇よりも道路を疾走する戦車に夢中って…

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  「フィリピン戦跡碑」から次の「統一公園」へと向かう途中のことです。
突然にガイドさんが声をあげます、
     「ホラッ!前から戦車が来ますよ!」

  そういう間もなく戦車が自分の左側の窓の外を、普段ではあまり聞くことのできない轟音を発しながら走り抜けて行きます。
「早い!」 あの姿からは想像できない速さで1台・2台と。
カメラなんて用意してませんでした、1~2台だけのことだろう… 間に合うわけもない、そう思っていたから。
ところが次から次へとバスとすれ違う。
どちらもがそれぞれの反対方向へ走っているわけだから、その次から次へとすれ違う速さと迫力といったらない。
戦車の上には二人ずつの韓国兵士が乗っていて、窓から見ている自分達を見ていく兵士もいる、一瞬目が合うような気さえする。
  こんなに来るのならカメラに写せるかも…、そう思い直してカメラをバッグから出し、そのキャップをはずしたら…終わった。
窓から前方を見てみるが、もう来るような気配はない。

  写真に撮れないとなると、急に勿体無く思えてくる。
あんなのにそうそう出会えるはずがない、惜しかったなってちょっと悔やまれて仕方がない。


  それからしばらくすると、もう次の目的地である「統一公園」へと到着。
誰やらの像があって、難やらの記念碑が建っていてって、ガイドさんが教えてくれたが覚えちゃあいない。
ただ、従軍記者という単語だけは残っているのだが…[ちっ(怒った顔)]
なんにしろ、過去の「朝鮮戦争」の多くの犠牲という痛ましい現実を振り返りながら、平和な南北統一を目指したいという、そんな願いが込められている場所だということだけは理解できる。

  そしてバスを降りて見学を始めるが、実際に「朝鮮戦争」も知らなきゃ、その壮絶な痛ましさも知らない自分には、きれいに整備された公園に、戦争の犠牲となった多くの人たちの記憶を留めてある、そんな場所でしかなかった。
  沖縄などでその悲惨な犠牲となった人たちの鎮魂碑を見たりするのとは違う、やはりそこには過去に対しての認識の違いというか、その歴史への関わり方の違いが感覚の中にどうしてもあるようだ。

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  自分はチョロチョロとあっちこっち駆け回って見たので、ゆっくり見学している人たちよりも早い。
そろそろバスに戻ろうかとした時だ。

  突然に、ゴォーッとも何とも表現しにくい音が響き渡ってきた。
   「何よ、飛行機?大型重機?」 空を見上げそれから道路を見ると、またまた戦車が走り抜けて行く。
ごく普通の道路を走りぬけて行く戦車の姿、バスの中では写し損ねた戦車が、目の前を想像以上の早さで疾走している。
今度はカメラは手に持っている、電源を入れるだけだ。
そしてズームで狙う、バッチリ撮れたからもういいや、まだまだ戦車は次々と走り抜けてはいるのだが、自分は満足してバスへと戻ると、公園の奥にいた人たちが遠目から、その戦車の姿を名残り惜しそうに眺めていた。

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  でも後で画像を見返してみれば、ズームでの戦車はちゃんと写っているが、道路を走り抜けている感が無い。
   「何台かが道路を走る姿もローアングルで撮っておくんだった」
  戦争の犠牲者たちの魂を慰めるべき場所で、現実の韓国兵士が操る戦車に夢中になっていたという、戦争の悲惨さを直に知らない世代で、韓国のように実際に直面もしていない人間なんて、所詮はこんなもんなんですね。
それは自分だけじゃないようです、戦車をカメラに残した人はそのチェックに余念がない、他人の振り見て我が身も反省です。[ふらふら]

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