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二年前も、今回も、慶州の「エキスポ」バス停で大ドジ

  慶州最後の話題は、慶州に誕生した常設公演「MISO(美笑)Ⅱ」ということになる。

  「新羅ミレニアムパーク」を出てからこの公演の開始まで2時間以上もあるし、どうやって時間をつぶしていいのやら?ってな感覚でいたのだが、それどころじゃなかった。
  「MISOⅡ」の会場は「慶州世界文化エキスポ文化センター」で、どうやら「エキスポ公園」という場所の中にあるらしい。

  思えば二年前に「新羅ミレニアムパーク」を探して迷い彷徨い歩いたこの地を、またもや迷い彷徨い歩くことになろうとは思いもしなかった。

  実は、二年前に「エキスポ」として降りた大きな水車があるバス停は「エキスポ」ではなかったようなんです。
だから、昔に書いた記事は大嘘を書いていたことになるんですよ[ふらふら]

  でも言い訳をさせてもらうなら、あの二年前に確かにバスのアナウンスが「エキスポ」と言いよりましたんやで!
だからボタンを押してわざわざ降りましたんや。
違うバス停で降りてたんだから「新羅ミレニアムパーク」が遠かったはずです。
じゃああのバス停はなんていうところなんだろう?
調べてもわからない、近辺のホテルのアクセスを調べてもバス停の名前は出てこず、「慶州普門団地」、もうひとつが「水車広場」、慶州=キョンジュ・普門=ボムン・広場=クァンジャン 、どう聞き間違えても「エキスポ」にはほど遠い。
  そうなると、二年前に乗ったバスのアナウンスがずれていたんだろうか?ということになる。
「新羅ミレニアムパーク」が徒歩圏内にはあったのだから、その可能性も否定はできないが、まったくもって不可解な話だ。


  前置きが長くなりましたが 、これが前置きかい!? なーんて言わないでください。
この前置きがないと理解してもらえませんから <(_ _)>

  そんなわけで、自分はこの慶州普門団地の付近を「エキスポ」だと思い込んでいたわけです。
だから「エキスポ文化センター」もこの付近を歩けば見つかるだろうと、完全に高をくくってましたんですねん。
  それで雨の降る中「普門湖」の夕暮れを見たり、「普門塔」を見たりして時間潰しを計っておりましたんです。

  ところが、こんな時期の夕暮れは思いのほか早ようおまして、だんだんと薄暗くなってきよりますんですがな。
   「こりゃあかん!先に会場の場所を見つけといてからのびしたらええやんか!」
ということで、急遽「エキスポ文化センター」なる建物探しです、ところが、その近辺どころかあっちに行こうがこっちに行こうがそんな建物はあらへん!!!

  迷い歩いているうちにとうとう夕闇の中です。

  どうしようもないということで、観光案内所へ行っても、もう掃除屋さんが掃除してます。
そこで考えました、「二年前に迷った時も「慶北観光公社」のロビーにあった冊子の地図でなんとかなりました。
今回も一冊もらってこようやないか、うまくいけば人に聞けるかもしれへんし…

  ですから「慶北観光公社」の建物に入りましたが、お人なんかおらへんし、まあとりあえず冊子を頂いて地図を見てみますが、この近辺だと思い込んでますから見つかるわけがない。

  「そうだ、そうだよ、この冊子の後ろの方に「観光案内」の電話番号があったよ」 てなことを思い出しました。
そこでかけたのが「慶尚北道観光広報館」、でも日本語がわからないってことで、バスターミナルの方の番号を教えてくれました。

  今こうして考えると、本当におバカですよね、自分が最初にかけた電話番号って、自分が今そこにいる建物にかけてたんですよ(笑)

  なんにしろ、やっとバスターミナルの観光案内のお姉さんのおかげで真相が解りました。

  「エキスポ公園」はそこから10番バスで停留所3つ目、そして歩けば15分ぐらいなんだとか。
それを頼りにもう一度地図に目をやれば、「新羅ミレニアムパーク」の入り口の反対側にある橋を渡ってすぐです。

  こうなったらバスなんて待ってられっか![ちっ(怒った顔)]
歩き始めましたよ、せっせこと、そしたらすぐに10番バスが追い越して行きやがる。
     「ゲッ!すぐにバスに乗れたんやんか!」
  
  とにかく、二年前に乗ったバスにだまされたんですかー?   そのバスのおかげで、二年前も、そして今回も迷い歩くはめになったんですかー?   笑いごっちゃないぜ!、まったく!!! この付近は全部「エキスポ」って付くんかいな!?

  さあさあ、怒ってばかりいても仕方がないので、迷い歩いているうちに見つけた「慶州」の秋の名残りを、最後に載せておくことにします。

「普門塔」と「慶州ヒルトンホテル前」
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「金 春秋(キム・チュンチュ)」こと「武烈(ムヨル)王」の息子と子孫の墓

  武烈(ムヨル)王陵には、見る角度で数が違って見える古墳群が同居してますから、広いのなんのって一周したら疲れちゃうよということで、数が四つなんだって確認できたところで引き返すことにしました。

  入り口の門の脇にあるトイレで用を足して(ここまで書く必要はないですが…)、またバス停に戻ろうかと思ったら、アレッ、道路を挟んだお向かいにも古墳があります。
まだバスまでの時間はありそうだしということで、ちょいとばかし寄って行くことにしました。
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  誰の墓なんだか自分は知らないんですよね、武烈王の墓の近くにあるんだからお身内かな(?)って感じだけです。

  まず奥の方に墓とはちょっと別の角度に楼閣が見えますからまずそちらへ。
その楼閣にはまたまた〝亀さん〟あの「亀趺(きふ)」が入ってました。
でもこちらの亀さんは何も背負っていません、「やれやれ楽になった」って思ってんだか、それとも守るべきものを失くしちゃって悲しんでんだかわかりませんが、この亀が本来背負っていた石碑は、断片となって「慶州博物館」にあるんだそうです。

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  そんな亀趺(きふ)といい、武烈王の墓によく似てると思ったら、この墓は武烈王の次男である「金 仁問(キム・インムン)」という人の墓なんだそうです。

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  金 仁問って聞いたことがあるぞって思ったら、それもそのはずで、あの武烈王陵碑の文字を書いたとされる人です。
  またまたドラマになぞらえれば、金 春秋(キム・チュンチュ)の次男ってことは、天明(チョンミョン)王女の孫ってことになるんだ、そう考えるとまた別の意味合いが出てくるから不思議です(笑)
おいらの頭の中には韓国時代劇しかないんかい!って[ふらふら]
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  とにかくこの金 仁問はお父さんの武烈王が大好きか尊敬してたんでしょうか?こんな近くに墓があるってことは?
もしかしら、兄である「文武(ムンム)王」には墓が無くこの地に葬られていないから、自分くらいはっていう気持ちがあったのかもしれませんね。

  「金 春秋」こと「武烈王」の長男で、30代の王であり、この墓の「金 仁問」の兄である「文武王」は、死後の弔いも質素にし、墳墓も築く必要はないと遺言して、亡くなった後は竜になったといわれています。
ですから、歴代の王のようなこうした墓は築かれていないんだそうです。

  では、ここの古墳の話に戻ります。
その金 仁問の墓の隣には少しこじんまりした墓が並んでいます。
「金 陽(キムヤン)」という人の墓だそうで、金 春秋こと武烈王にとっては会うこともなかったろう9代目の孫にあたるお方だというのですが、こういう墓って不思議な系列がありますよね、直接に近い系列の人物の墓が並んでいるわけではないんですよね。

  ですから自分なんかはこう考えます。
金 仁問は父親の武烈王を、そしてその遥か子孫の金 陽は武烈王や金 仁問にそれぞれが生前に尊敬の念を抱いていたのかもしれないと。
金 春秋こと武烈王は、唐や倭国、そして高句麗と盛んに外交を行った人物として知られていますし、金 仁問も唐や新羅との外交にあたった人物、金 陽も統一新羅や唐と和平交渉にあたった人物だということで、外交に手腕を発揮した共通点が見えたりするな、そんな風に思ったりするのです、あくまで自分の印象なんですが。
そう思えば、死後もご先祖と子孫達が外交話に花を咲かせてるんじゃないかと…。

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  ところで現実問題です。
この墓でのんびりしずきたよ。
ここを見ている間に次の61番バスが行ってしまいました、ということで、そのまた次の60番バスをのんびり待つことになってしまいました。
60番、61番ともに1時間に1本ですから、自分が乗ってきた60番バスの1時間後のバスってことになるわけです。

  こうして次の60番バスに乗って、慶州駅へ行き、「善徳女王陵」へと旅行は続いたのです。

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「金 春秋(キム・チュンチュ)」こと 『武烈王陵』へ、「新慶州駅」から60番バスで

  ここでちょっと事情により…って、資料整理や準備の関係で時間を少し戻させてもらいます。

  ソウル駅7:10発のKTXで「新慶州駅」には9:26に到着したのですが、自分の今回の行程予定としては、ここから「武烈(ムヨル)王陵」、いわゆるドラマ『善徳女王』の中では金 春秋(キム・チュンチュ)君のお墓に寄るということでした。

  なぜ慶州の最初の訪問地にここを選んだか?といえば、当然ながらドラマの中の一人であるということ、善徳女王陵とともにこれまで行きそびれていた場所ということもあるのですが、何よりも「新慶州」の駅から近い場所にある史跡だという単純な動機です。

  ここへ行くには「新慶州駅」前のバス乗り場から60番、61番のバスに乗ります。
「新慶州」からのバスは路線図や時刻表が他に比べると充実していますから、ハングルが読めなくても自分が用意した資料と照らし合わせればなんとかなります。
時刻表を見ると2分前に61番バスが行ったばかりで、次は60番バスがあります。
路線図でここから何番目のバス停というのは理解できますが、念のために運転手さんに行き先を知らせておいた方が…と思い、もう一度駅舎に入って観光案内所を訊ねました。

  「新慶州駅」の観光案内所は日本語があまりできません、かたこと以下でした。
でもなんとか英単語を繋ぎ合わせて伝えることはでき、ハングルで「武烈王陵」と書いてもらって再びバス乗り場へ。

  次の60番バスは9:55分
ここで雨が降り出して風まで出てきやがった、広場みたいな駅前ですからやたら寒かったです。
再び駅の中へ入って熱いコーヒーを買ったりして過ごしてました。

  何台かのバスが到着する中60番のバスが見えてきましたが、待っている場所よりも遥か手前で停まっちゃいました、見てるとそこでドアが開いたので駆け込みます。
料金は1,200w、バス用にポケットには1,000w札と500w硬貨、そして100w硬貨数枚が用意してあります。
これだけ用意しておけば市内バスは万全ですから[わーい(嬉しい顔)]

  料金をボックスに入れて、観光案内所で書いてもらったハングルを見せると、女性のやさしそうな運転手さんは頷いて、一番前の座席に座るよう指示してくれます。
運転手さんがやさしそうだとホッとしますよね、しかもいかにも笑顔のやさしい女性運転手さんですから尚更です。

  さあて、走り出したバスの車窓からの景色ったら、まあまあ、こりゃ慶州のどはずれだわってことがよく分かります、周囲にはなーーーんにもありません。
それでもよく整備された山間の道路を走ることほぼ10分、運転手さんが声をかけてくれます。
左に見えるあれがそうだと手で示して教えてくれ、バス停に停まると、乗るために待っている人がいるにもかかわらず、手であっちへ回ってこう入るんだよってのを教えてくれました。
本当に嬉しい心遣いです、心を込めて「カムサミダー」と言いながらバスを降りました。

  「武烈(ムヨル)王陵」の入り口はバス停から進行方向に少し歩きます。
途中で乗ってきたバスが通り過ぎることになりますから、その時に少し立ち止まって運転手さんに「ありがとう」の会釈をすると、ニコッと笑って手を振って通り過ぎて行きました。
普段の生活の中ではなかなか出会えない、本当にこれが旅の醍醐味です。

  
  いよいよ今回の慶州初の見学地「武烈(ムヨル)王陵」です。
門をくぐりますが、料金所がないってことはここって無料開放だったっけ?
キム・ユシンさんだけが特別なんだねってことで、深くは考えずに入って行きます。
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  最初にあるのが「国宝25号」ですね、楼閣の中に亀に背負われた石碑があります。
「太宗武烈王陵碑(テジョンムヨルワンヌンビ)」、この下で頑張っている〝亀さん〟は「亀趺(きふ)」というそうです。
この碑が発見されたことで、この墓が武烈王の墓だってのが確認されたということで、よくぞ残っててくれましたという感じです。
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  さらに入っていくと、いよいよキム・ユシンと共に三韓統一の立役者となった「武烈王」のお墓です。
若き日の名が金 春秋(キム・チュンチュ)ということで、ドラマファンにとってはこちらの名前の方が印象深く親しみがあるという王様です。
立派だけど、キム・ユシンの墓に比べると素朴な感じがします、ドラマの印象からではちょっと想像できませんが、キム・ユシンよりもチュンチュ君の方が早く亡くなっているんですよね。
ちなみに、キム・ユシンは673年に、キム・チュンチュこと武烈王は661年に亡くなっています。
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  では、さらに奥へと入っていくと、大きな古墳が別にあります。
最初はひとつに見えますが、奥へ奥へと入っていくと、二つ?、いやいや三つだよ
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やっぱり三つなんだ、
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いや、ちゃうよ! 四つだよー!
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  そんな子供の頃に見たゴミ焼却場の通称〝おばけ煙突〟みたいな古墳群でした。
  この古墳群は誰のお墓だか判ってないそうなんですが、こんな立派なのに惜しいですよね、でも、「武烈王」の墓だけでも確認できてよかったです。
そんなわけで、武烈王の墓の奥に並んでいることから、武烈王の身内の墓だろうと推定されてますが、王の墓よりも上に位置していることから武烈王の先祖の墓かも?という説もあるそうです。
ってことは、母方は天明(チョンミョン)ですからおじいちゃんは真平王って判ってるし、ドラマでいうと戦で命を落とした父親方なんですかね???
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【新羅ミレニアムパーク】 ③ そして おいらのためみたいな気分の 『花郎(ファラン)の道』

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  たった5人の観客の前で演じられた「天櫃の秘密」、ご一緒した韓国のご夫婦は次の「花郎の道」は前の回のを観られたようで帰られるみたいです。
   「アンニョンハセヨー」と笑顔でお別れしました。

  それから見学を残しておいた「千年古都」一帯をぶらついて、ここが「鉄の王 キムスロ」に出てきた場所だなんて心の中ではしゃぎながら見て回りました。
心の中でなきゃ、本当にはしゃいでたら〝変なおじさん〟にされちゃいますからね、でもやっぱり正真正銘そうかもしれませんけどね(笑)[わーい(嬉しい顔)]

  さあて話は変わって、次の公演である「花郎の道」の時間が近づいてきました。
入り口の前でタバコを吸って待っていたのですが、誰一人入って行く人がいない。
やっぱり中止かな(?) でも、さっきの「天櫃の秘密」の従業員は、ありますからあちらへどうぞって身振りで教えてくれたんだけど…
  そう思いながらもこの雨です、馬場の状態は決して良くないわけで、危険だから中止かもなと、売店にいた従業員に訊ねると「中へどうぞ」の身振りだ。

  知らない間に何人かが入ってるのかもしれないと思いながら入ってみると………
     なんとまあ! さっきとは違う白人カップルさんがいらっしゃる、でもその人たちだけだ!
そして、16時5分くらいから公演「花郎の道」は始まったわけだが、観客はそうなんですねー、おいらと白人カップルさんの3人だけだってことです。
でも途中から増えましたよ、身内の売店のおばちゃんたちが観にきてました(笑)

  公演の方はやはり馬場の状態が良くないですから大技はありませんでしたし、普段の3分の1ほどの内容でしたが、微笑ましく終了しました、そのわけは[わーい(嬉しい顔)]

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  しかし、演技の最中はこっちの方がちょっとこっ恥ずかしかったです、なんせこの公演は前の「天櫃の秘密」よりも近い目の前で繰り広げられてますから、自分の方が見物されているような気分になって(笑)
でも、演じている彼らはこの寒い雨の中で、三人という観客にもかかわらず本当にめげることなく頑張ってくれてました。
フィナーレの時に自分のまん前に来た馬上の彼が、写真を撮ってる自分と目が合うと笑顔になって、最後はこんなサービス表情で終わってくれちゃったりしたんですよ[わーい(嬉しい顔)]
普段の大勢の客の目の前では決して見せないひょうきんな顔でしょうね、この日だからこそのお得画像ってわけです、そして自分のためだけの笑顔だったってことですね (^_^)

  前回は動画ばかり撮っていて静止画像が1枚も無い、だから今回は静止画像を撮るのが目的だったから、まあその目的は達成したしで、おいらにとっちゃあ 充実した「新羅ミレニアムパーク」での時間でした。
早く動く馬を撮るのはかなり苦労して、あまりいい画像は撮れませんでしたけど、素人はこんなもんで上等だい!
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